<小言航兵衛>

権力と財力

 去る2月24日から3月4日までアメリカへ旅行した。帰国して驚いたのは、ライブドアの堀江が自民党の武部幹事長の次男に3,000万円の送金を指示したメールは偽造だったというのである。そんな偽物を国会にまで持ち出し、それを根拠にして政敵を攻撃し、反論されると証拠はあるが今は言えないなどと主張した民主党とは如何なる政党か。その運営にあたっている幹部連中は信頼に足る政治家であろうか。

 今回の旅の途中、『功名が辻』(司馬遼太郎)を読んだ。30年前に読んだものの再読で全集第9巻、上下2段組みで650頁に及ぶ。目下NHKの大河ドラマとして放送が続いているが、原作は遙かに面白い。この中に秀吉の甥、秀次が登場する。

「もともと、叔父の秀吉が天下をさえ取らなければ、どこかの農村でぐれ歩いているはずの若者が、不幸なことに、人臣としては最高の位である関白になってしまったのだ。精神の平衡がくずれるのは無理もないであろう」

 秀次は聚楽第に住まい、その櫓(やぐら)の上にのぼって「蟻のように往き交うておる」路上の人びとを虫けらでも殺すように鉄砲で射ちはじめる。そして日が暮れると夜な夜な、近臣を引きつれて京の町に辻斬りに出る。盲人、妊婦、美女など、常人とは事かわった特徴のある者――というよりも抵抗力のない弱い者を次々と斬ってゆく。

 そのため「殺生関白」と呼ばれたが、そればかりではない。身の周りに多数の女をはべらせて、やつれるまでに女色にふける。そんなとき秀吉に実子が生まれる。秀吉にとって養子の秀次よりも実子の秀頼の方が可愛いのは当然のことで、秀次への憎悪が増してゆく。

 秀次はみずから秀吉に討たれる口実を作っているようなものだが、その暴虐と淫楽はいっこうに収まらない。

 やがて、秀次のもとに秀吉から5人の使者が送られてくる。山内一豊を含む詰問使で、秀次はこの5人の首を刎ねるか、それとも使者の言葉にしたがって秀吉の伏見城へ参上するか「一生のうちで、これほどの決意をうながされるときがあろうとは思ってもいなかった」

 しかし、如何に思案しようとも、もともとが心の弱い男である。使者の言葉にせき立てられて即刻伏見へ向かう。けれども秀吉との対面はならず、宿舎に到着した翌朝「このまま、高野山に行き、ご謹慎なされますように」という指示が来る。頭を剃って家来ともども僧形(そうぎょう)となって高野山へのぼると、それを追うようにして「御腹を召され候え」という指示。

 4人の近臣と共に「ついに、秀次は自刃せしめられた」


秀次

 以上を読んで、私は証券詐欺で留置場へ送りこまれた堀江一派と、もうひとつ同じ事件をタネにした偽造メールに踊らされた民主党代議士たちを想起せざるを得なかった。いずれも、にわかに成り上がって精神の平衡をなくした若手の一団である。

 本来、権力と財力は隔離されなければならない。権力を握った者はできるだけ財力から遠ざかるべきだし、財力を得た者はそれ以上に権力を望んではならない。しかし最近は、そうしたけじめを知らぬ連中が多すぎる。それどころか、権力を背景にして金銭を求めようとする政治家や官僚がはびこり、その欲望に乗じて権力を利用しようとする経済人も多い。

 その一端が、ライブドア事件や偽造メール事件としてあらわれたのだ。彼らの暴虐、淫乱、謀反に始まって、政権をもおびやかすに至ったところは400年余り前の出来事と変るところはない。

 テレビによれば、問題の代議士は東大から大蔵省に入った男だそうである。「そんな人が何故ころりと騙されるのだろうか」と言った茶坊主のようなテレビの囃し手がいたが、そういう権力と財力に浸りきった者こそ騙されやすい。そのうえ、秀吉が秀次に対して「お前は、器用でこざかしい」と叱りつけたように、現代のむずかしい試験を渡り歩いてきた男も器用で小ざかしくない筈はない。ライブドア一派も同じことである。

 代議士への懲罰は何か月かの登院停止だそうである。裁く方もすねに傷持つ身だから甘い判定をせざるを得ない。こんな連中に国政を左右されていいのだろうか。いずれは秀次同様、腹を切ってもらわねばならない。


秀吉

(小言航兵衛、2006.3.7) 

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