<小言航兵衛>

A380とインサイダー取引

 株価吊上げを狙ったインサイダー取引の問題は、日本放送の株式をめぐるライブドアのホリエモンに始まり、元通産官僚のハッタリ・ファンドを経て、ついに日銀総裁にまで及んできた。実に情けない、腐りきった世の中である。金融界最高峰の立場にある者までが、そんなことに手を染めていたとは、まさしく「ブルータスよ、お前もか」というシーザーのせりふを吐きたくなるではないか。

 そう思っているところへ、本頁でもしばしば取り上げているエアバスA380をめぐって、インサイダー取引のニュースが飛びこんできた。

 エアバス社は去る6月13日、この超巨人旅客機の引渡し開始が7ヶ月遅れになると発表した。そのため親会社EADSの株価が一挙に下落したらしい。EADSはフランス法人ではあるが、株主はフランス、ドイツなど多くの国にまたがり、欧州最大の航空宇宙企業である。影響するところも大きく、損をした人も少なくなかったであろう。

 とりわけA380の遅延が、前からくすぶっていたこととはいえ、7ヶ月遅れと具体的に発表されたのは今回初めてで、それも突然のことであった。そのためEADS経営陣の中にも知らなかった人が多く、さらにEADSの株式3割を保有するドイツ側の大株主ダイムラークライスラー社も、何も聞いていなかったと憤慨している。

 その不満によっていぶり出されてきたのは、EADS経営陣の中に、発表の前に持株を売却した役員がいるという噂である。それは、こともあろうに、かつてエアバス社の社長としてA380の開発を決断したノエル・フォルジャー氏で、今ではEADS副社長の立場にある人物だった。無論この人がA380の最近の動きを知らなかったはずはないし、先行きについても相当確実な予測を持っていただろうことは充分想像できる。

 その予測にもとづいて――といっても、本人は否定しているが、去る3月EADSの株式を1株32ユーロで売却し、250万ユーロ(約3.6億円)を手にした。のみならず、その3人の子どもたちも同じ頃、140万ユーロ(約2億円)の利得を上げたという。この種のスキャンダルとしては驚くほどの金額ではないが、売り損なった人びとの不満を招くのは間違いない。

 そこでEADSの副会長が、これらの問題について内部調査をすると発表した。もっとも、この人自身、自分で経営している別会社が保有していたEADSの株式を最近売却していたらしい。ただし、ご本人はA380の遅延は寝耳に水というから、この売却は偶然のことだったかと思える。いずれにせよ、混沌たる中でインサイダー取引の疑惑を招くスキャンダルが広がり始めた。

 渦中のフォルジャー氏は、開発遅延問題は4月に社内の議題となったけれども、5月末までは誰もが解決可能と思っていた。その詳細が検討され、結論が出たのは6月13日で、即日問題を公表したという。

 しかるに、自分が持株を売却したのは3月17日であった。決して問題を見越し、インサイド情報を得て売ったわけではないと主張する。また、それ以前にEADSの主要株主の2人が株の売却を決めたが、それを知ったのは自分が株を売ってから3日後の3月20日であった。さらにA380の配線が複雑に過ぎて、引渡しを遅らせるという今回の問題を知ったのは4月になってからだという。

 しかし、こうした弁明にもかかわらず外部ではインサイダー取引という見方が出ており、フォルジャー氏の逮捕を求める声も上がっている。

 フランスでは、インサイダー取引は最大2年の懲役刑と少なくとも150万ユーロ(約2.2億円)の罰金が科せられる。しかし、これは最小限の金額であって、裁判の結果によってはインサイダー取引による利得の10倍の罰金にもなる。

 もう一度、日本に話を戻すと、元通産官僚か算術の得意な通算完了かは知らぬが、逮捕直前の記者会見で「金儲けをしてどこが悪い」などと開き直っていた。むろん悪いに決まっている。悪くなければ、つかまるはずがない。

 金というのは何かの仕事に対する報酬であって、金そのものは仕事でも何でもない。その点、株価の上下による利得は仕事による報酬とは別もので、一種の博打である。それを経済活動と混同して、今や多くの日本人が刻々の株価に目を光らせ、売った買ったというようになったのは狂ったとしか思えない。

 それもこれも経済評論家と称する株屋の回し者や経済官庁、マスコミ、そしてしつこく勧誘電話をしてくる株屋の手先から「個人投資家」などとおだてられ、わずかな元手で博打をするようになったためである。博打が悪くないのであれば、なぜ法律によって禁じられているのか。株取引にしても、特に株価の瞬間的な差額によって利益を得ようという投機的な売買は賭博と変わるところがない。その結果大損を蒙り、今になってライブドアを訴えたりなんかしているが、自分も同類ではなかったのか。

 こんなことは、騙されやすい大衆ばかりがやるのかと思っていたら、分別があるはずの日銀総裁までがやっていたという。自分では売買しなくても、ハッタリ・ファンドに預けていたのでは投機や博打と変わらない。ゼロ金利政策にしても、無論この人が独りで決めたわけではないが、株価の吊上げを助けたことになりはせぬか。

 それにしても、その総裁に向かって国会では社民党の女党首が「いくら儲かったか」などと質問していた。実に品性下劣である。いかなる育ちかは知らぬが、お里が知れようというもので、聞いている方が恥ずかしくなる。他人の懐勘定などはどうでもいいことだし、それじゃあもうけの金額が千円ならば駄目だけれど、百円ならば勘弁するとでもいうのだろうか。

 そうではなくて、金額の多寡にかかわらず、日銀総裁がどこかの株を買ったとなれば、それだけでお墨付きを与えたようなもので、間違いなく値上がりするだろう。元通算完了ならば、そこで売り抜けるということもやりかねないわけで、日銀総裁という金融界の大元締めがこういう博打に関係をもってはならないのである。

 インサイダー取引とは何か。証券取引法には「会社関係者が重要事実の公表前に行う株券等の取引」とか「会社関係者から重要事実の伝達を受けた者又は職務上伝達を受けた者が所属する法人の他の役員等であって重要事実を知った者が、その公表前に行う株券等の取引」などと規定されている。

 何だかよく分からない日本語だが、要するに企業の内部情報を知り得る立場にある者が、情報の公表前に、株の売買をすることであろう。このようなインサイダー取引の規制に違反するとどうなるか。3年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金、または懲役と罰金の両方が科せられるという。またインサイダー取引によって獲得した財産は没収されるらしい。ホリエモンとか元通産官僚はそれに当たるのだろうが、上のフランスの罰則に照らしても、実に甘いといわざるを得ない。

 元々そんな悪人は日本にはいないということで法規も甘いのだろう。しかし一連の事件に見られるように、法律の隙間をかいくぐって金儲けをしようというやからが出てきたことを思えば、フランスのように利得の10倍を召し上げるなど、もっと罰則をきびしくすべきである。いったんシンガポールに隠棲し、再びハッタリをもって出直すなどというようなことがあってはなるまい。

(小言航兵衛、2006.6.18)

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