<小言航兵衛>

倫理教育のなれの果て

 防衛省制作の倫理教育ビデオはバカバカしくも可笑しくて、やや古くさい表現を使うならば、臍が茶を沸かしそうになった。こんなことをしてはならぬという例題として、役人と業者が酒をくみ交わしたり、ゴルフをしたり、物品の受け渡しをしたりしている。テレビのアナウンサーは最近の事務次官の犯罪を彷彿させると説明していたが、彷彿どころかあのヤモリ次官そのものをモデルにしたのではなかろうか。

 おまけに、わざわざ「登場人物は実在の人物ではありません」という断りまで入れたのは、実はビデオの制作者がヤモリの所業を知っていたからかもしれない。将来は、歴史に残る傑作となるであろう。


国の護りより自分の守り

 渡部昇一は『日本人の品格』(ベスト新書、2007年7月25日刊)の中で「武士の基本的な精神は『恥を重んじる』ことだ」と書いている。「恥をかくくらいならば自ら死を選ぶのが武士の生き方」だったというのは、大方の日本人がそう思いながら生きてきたはずで、なにも武士や松岡に限ったことではない。もっとも松岡農水相の場合は、武士ではなかったとみえて切腹ではなかった。

 ともかくも江戸時代の武士は「天地神明に誓って恥じるところなしという精神」をもって自分を律し、しかも優秀な行政官として働いた。そうなるためには試験に通るだけの勉強ではなく、剣術もできなければならず、学問も必要だった。つまり文武両道を身につけて理性的な判断をする能力が求められた。それが明治維新以降の日本を近代国家へと導いたのである。

 防衛省の高官ともなれば、まさしく文武両道の達人でなければならぬはずだが、女房の尻に敷かれるような軟弱にしてゴルフと麻雀と宴会に明け暮れ、部下を人事権で脅しながら言うことをきかせる狡猾な小人に過ぎなかったのである。この男は「天知る、地知る、我知る」という言葉を知らなかったのか。こんな品格のないヤカラを天皇と呼び、号令をかけられたり閲兵を受けたり、唯々諾々と従っていた自衛隊3軍の実力も推して知るべしであろう。

 折から最近報じられたニュースは、陸上自衛隊のAH-64D戦闘ヘリコプターが2009年度限りで調達を断念することになったという。そのため富士重工は量産に要した設備費用など400億円を2008〜09年度に製造する3機の価格に上乗せして、1機あたり216億円という途方もない高額で納入することになった。

 こんなバカげた処理を、国会はいつの間に認めたのか。おそらくは次官のスキャンダルで山田洋行の上乗せ価格が大騒ぎになっている陰で、ひそかに通してしまったのだろう。富士重工はかつて中島洋次郎衆院議員との間で汚職事件を起こし、同議員を自殺に追い込んだ前科があるから油断はならない。

 そもそもAH-64アパッチが開発されたのは今から30年前、1970年代後半のことである。それが1991年の湾岸戦争で手柄を立てたのに目がくらみ、2001年に採用を決めたのが陸上自衛隊であった。いったい、この攻撃ヘリコプターにどんな作戦任務を想定していたのか。62機の調達計画を13機でやめるというのだから、あってもなくてもいい任務だったのだろう。おそらくは買うこと自体が目的だったにちがいない。なるほど、ボーイングという異国の一企業が製造計画を変えただけで日本の防衛計画も変更になるという無策ぶりは、獄中のヤモリがやりそうなことである。

 見通しの悪さとずさんな計画は防衛幹部の凡暗さを示すものだが、設備投資の金額を単純に機体価格に上乗せするという安直な処理も問題である。ボーイングがやめても日本側だけでつくり続けるとか、別の次期航空機の製造に設備を利用するとか、上乗せ分の資金で富士重工の別の航空機や自動車を調達するとか、もっと生産的なことは考えられないのか。


恰好だけは勇ましいが、張り子の虎に終わったAH-64

 ここまで堕落した防衛省は防衛庁に戻せという議論があるが、もはや取りつぶすほかはない。こんな連中に国を護る気概など、あり得ようはずがないではないか。

 しかし国の守りのために軍隊が必要だというのなら、今の防衛予算をそっくり米軍に差し出して保護下に入ってはどうか。そんな情けないことは嫌だというなら中国や北朝鮮の規律正しく行進している軍隊を傭兵として雇い入れることも考えられる。そうすれば北朝鮮も日本に向かってテポドンを撃ち込むわけにはいかなくなる。安上がりで手っ取り早く、しかも安全が保障されるのだ。暇になった防衛幹部も好きなだけゴルフや宴会に興ずることができるであろう。


整然たる運動を見せる北朝鮮軍

(小言航兵衛、2007.12.6)

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