<小言航兵衛>

不可解なり古紙論議

 この数日来、いっこうに解せぬのが製紙会社への非難である。紙の製造にあたって古紙の混ぜ方が少ないといって怒るのはどういうことなのか。本来は、古紙の混ぜ方が多すぎるといって、怒るはずではないのか。

 純白の紙を買ったはずのところ、どこか薄黒い。聞いてみたら古紙の混ぜ方が多すぎる。それならば誰だって怒るであろう。今回は話が逆で、品質を良くしたのである。良いものを売って、それで怒られたのでは間尺に合わない。というよりも航兵衛には理解できない。

 なるべく多くの古紙を使って山林を守ろうとか、自然保護の役に立ちたいという気持があるならば、製紙会社に頼らなくとも、まず自分で紙そのものを節約すべきである。外部の会議などで貰ってきた書類も不要になれば、内部で裏の白い部分にプリントして使えばよい。これならば古紙100%の紙ということになって、いま怒っている連中も文句はなかろう。そのくらいのことは役所でも企業でも個人でもできることだ。

 おそらく現状は、不要になった書類は捨ててしまうことが多いのではないか。その言い分は秘密が洩れるということをよく聞くが、洩れて困るような秘密など、さほど多いわけではない。それも2〜3年も経てば秘密でもなんでもなくなる。しばらく手もとに残しておいて、問題が片づいた頃に使えばいいのである。

 もうひとつは、裏紙にプリントすると今日の会議の資料がどっちだか分からなくなるという意見もある。そんな呆けたやつは、そもそも会議に出てくる資格がない。

 さらに、航兵衛いつぞや、あるオフィスのOL嬢に、裏紙にプリントした文書をわたしたところ、「あたしは裏紙は嫌いです」といわれたことがある。こういう身勝手が山林を枯らし、人の心を枯らすのである。

 最も身勝手なのは郵政省で、年賀はがきの古紙の割合が少ないといって怒っているようだが、なぜ古紙を混ぜねばならないのか。おそらくは、わが省も環境保護に貢献しておりますと云いたいのだろうが、はがきくらいで手柄を立てようとか体裁をつくろうなどとはケチ臭い姑息な手段。それよりも省内の文書の下書きや会議の資料などに、どのくらい裏紙を使っているか、それを教えてもらいたい。

 新聞も盛んに製紙会社を攻撃するが、新聞紙にはどのくらいの古紙が混じっているのか。新聞は、ほとんどが1日で捨てられる。それならば紙面がいくらか薄黒くても構わんのではないか。

 新聞は高速輪転機にかけるから、古紙がまざったような粗悪品では駄目だというかもしれない。自分だけは良い紙を使っておいて、他人には古紙の割合を増やせというのもおかしな話だ。第一、最近の新聞は頁数だけが無闇に増えて、ロクなことが書いてない。不要な記事が多すぎるのだ。今朝(1月19日、土曜日)の朝日新聞のごときは52頁もあって、大きな紙の頁をめくるだけでも大仕事である。しかも航兵衛の読むところはほとんどなかった。あんな膨大な記事を誰が読むのか。まさしく紙の無駄である。

 航兵衛の現役当時、会社で仕事をしているときも、紙を捨てることはどうしてもできなかった。よそから貰ってきた書類は、不要になれば裏紙として使い、裏表を使った紙は古いダンボール箱に入れておき、あとで束ねて古紙回収に出した。

 ときどき、書き損じの文書をくしゃくしゃに丸めて紙くず籠に捨てる社員もいたが、それはやめるように注意した。今でも、よそのオフィスを訪ねた折りなど、文書類を丸めて捨ててあるくず籠を見ると、気分が悪くなる。

 しばらく前に「裏紙を使うな」といった趣旨の本が出たことがある。何か新しい発見が書いてるのかと思って、本屋でパラパラめくってみると、どうやら能率が落ちるとかプリンターにひっかかるとか、極めて単純な理由だったから、もちろん買いはしなかったけれど、詰まらぬ本が出たものである。

 質の異なる紙を、不ぞろいのままプリンターに入れるようなことをすれば、プリンターの方もとまどって紙がひっかかるのは当然だ。したがってコストが上がるというのだが、あの本を読んだ連中は、そうだそうだとばかりに、ますます紙の無駄使いに走ったにちがいない。そんな連中の本来の仕事ぶりが、どれほど効率的なのか怪しいものである。

 そういう無知につけこんで、紙をどんどん使えと宣伝しておきながら、今になって役所も新聞社もテレビ局も、古紙の割合が低いなどとぶりっ子になろうとしても遅い。恐らくは内部告発か何かで実態が露見しそうになり、あわてて製紙会社を犯人に仕立て上げたのであろう。

 製紙会社は紙の専門家として、常に紙のことだけを考えながら仕事をしてきたはず。その知識と技術と経験を生かして、ただ謝ったり社長が辞任したりするだけでなく、もっと強く反撃すべきである。たとえば、どうすれば最も無駄のない紙の使い方ができるかといったことを広く教えて貰いたい。

 それを本にするのも一案であろう。仮に100頁の本ならば、10頁ごとに、あるいは一折りごとに古紙の割合を変えて、どのくらいが読みやすいかを読者に体験して貰う。なおかつ古紙の割合いによって紙のコストがどう変わるか、最も経済的、最も環境保護的な最尤値はどこにあるかを計算し、その結果を古紙の流通や再生のメカニズムと共によく説明すべきである。古紙の割合は多ければいいといった単純なものではないはずだ。

 それでもまだ弱いというならば、一策として、毎日大量の紙を浪費する新聞社への出荷を一斉に止めるという実力行使もあり得るのではないか。

 紙は紙様である。

(小言航兵衛、2008.1.21)

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