<小言航兵衛>

戦争の経済学

 『戦争の経済学(Economics of War)』(ポール・ポースト、山形浩生訳、バジリコ株式会社、2007年11月11日刊)を読んでいたら、面白いことが書いてあった。兵器の調達に関する問題である。

 政府が物品やサービスを買い入れる場合、通常は民間企業の競争入札によって行なう。しかし、たとえば軍用機などは、そうもゆかぬことがある。というのは機種が限られ、メーカーが限られていて、誰もが同じものをつくれるとは限らないからだ。

 そこで本書は防衛市場の特殊性として、次のような7点を挙げる。

(1)需要家は1人――すなわち兵器の買い手は政府だけである。外国政府に売ることもあるが、たとえばアメリカの場合はすべて政府が仲介しているので、兵器メーカーにとって顧客は自国の政府だけになる。

(2)供給者は寡占――その製品を供給できるメーカーはごく少数。ときには1社だけである。

(3)価格は度外視――敵を圧倒できる技術性能こそが重要であって、それが満たされるならば値段は問題にならない。

(4)競争は研究段階のみ――ある兵器について、開発契約ができてしまえば、あとは独占体制となり、納品後の技術支援や設計変更も全て引き受けることができる。

(5)全か無か――主要な兵器プログラムは規模が大きいので、個別の企業から見れば、その注文が取れるか取れないかで命運が左右される。契約を逃した企業は倒産に追い込まれるかもしれないし、うまく獲得した企業は契約金が湯水のように流れこんでくる。

(6)無倒産――前項にもかかわらず、ある程度の規模になった軍需企業はつぶれない。倒産すれば軍事機密が散逸するので、政府として倒産させるわけにはゆかない。そのため契約を持ち回りにしたり、何かの名目をつけて補助金や研究開発費を出したりする。

(7)政府の介入――兵器の開発や生産は形式的には民間企業がやっているように見えるが、強い主導権をもってプログラムを進めているのは政府にほかならない。

 以上のような7要素から、兵器に関する国内市場は選定された企業と政府が相互に独占することとなる。したがって、兵器の調達に関する両者の交渉は1対1の勝負になり、どちらの交渉力が強いかも問題だが、たいていの場合は企業の方が執念深く頑張る。役人の方は自分が損するわけではないし、困難な交渉をいつまで続けるのも面倒だし、いい加減なところで妥協する。それゆえ兵器の価格はどうしても高くなる。

 おまけに倫理問題も出てくる。業者の方はできるだけ高く契約したいので、口実をつくっては役人を接待したり、つけ届けをしようとする。役人がこの誘惑に負けると、妥協どころか進んで高い金額で契約することになり、兵器価格はすさまじく高くなる。

 それだけ高い価値がその兵器にあるのかどうか。そんなことは軍事機密だということにすれば、第三者に明かす必要はない。政府と業者だけの間で如何ようにも工作できるのである。

 とりわけ日本では「天下り」という制度だか慣習があって、天下ってきた元役人が現役役人と業者との間の仲介をするので、表に立つものは手を汚すことなく職を汚すことができる。

 本書は、もうひとつ兵器の輸出についても論じている。たとえばアメリカの兵器メーカーが自社の製品を外国政府へ売り渡す場合、上の第1項にあるように、すべて政府が仲介する。そこにも兵器の価格が高くなる要素が生じる。

 日本は「武器輸出3原則」によって、そういう場面はないけれども、自衛隊の使う最新鋭の兵器はほとんど外国製品なので高いものを買わされているのは間違いない。具体的にいうならば、日米安保条約を背景として、ほとんどの兵器はアメリカ製品を購入している。そのため先ずアメリカ側で政府と業者の関係から値段が上がり、それを日本にもってきたあと、今度は日本政府と業者の関係でもう一段の値上がりが生ずる。

 防衛症の前の次官がこれに当てはまるのではないだろうか。次官といえば、調達問題からは外れるけれど、今の防衛次官もお粗末である。先日のイージス艦と漁船の衝突問題では、記者会見の答弁がしどろもどろの支離滅裂で、数日前に当直士官から聴取した内容を「記憶にあるかないか憶えていないと思う」などと日本語になっていない。おそらくウソをいうのが下手くそなんだろうが、それならば最初からホントのことを言えばよかろうに。どうせばれるようなウソを冷や汗たらしながら言うさまは、見ていて気の毒を通りこしてアホらしくなってくる。

 もうひとつ蛇足を加えると、先日のテレビが建設省の道路関連のコンピューターシステムを構築するのに、どんな方法でやったのかという問題を追究していた。課長補佐と称する男が出てきて、入札で決めたと答えた。ところが応札したのは1社だけだという。

 驚いた聞き手が突っ込んでゆくと、形は入札でも、応札したのはその法人ひとつだけで、それでも通るのかと訊くと、建設省の方であらかじめ予定価格を決めておいて、それを上回ったときはやり直し、範囲内に納まれば落札ということになるらしい。金額は億単位である。

 ところが、話はそれだけではおさまらず、こんな奇妙なシステムを使うことにした発端は落札した法人の提案だったという。つまり研究調査と称して自主的に、というよりも勝手に何かのシステムをつくり、それを国に売りつけるのである。そういうものが真に必要なのかどうか、それすらはっきりしないまま建設省は買い上げたに違いない。

 自分自身のことを考えても、誰かが頼みもしない商品を持ってきて買わないかといえば、大抵は断るであろう。こちらが欲しいと思っていたものが、ちょうどうまくやってくるとは限らない。

 しかし建設省は欲しいものと押し売り品がうまく合致するらしい。何故そんなことができるのか。実はシステムを売りこんできたのは民間企業ではなくて、何とかいう公益法人であった。しかも、その全職員300人のうちトップから中堅幹部まで3割が建設省の天下りというのである。つまり、コンピューターシステムという見えにくいもの、必要の有無が分かりにくいもの、値段が決めにくいものを材料にして、国の税金を天下り法人に渡しているのであった。

 政府の調達価格がいくらか高くとも、製品が十分な機能を有し、十二分の役割を果たすならそれでいいかもしれない。けれども実態は、高価な粗悪品、役に立たない不要品を買っているのではないか。

 その上そういうものを使いこなせるかどうかも問題で、海上自衛隊のイージス艦も、最新鋭の軍艦にレーダーと自動操縦装置をつけていたが、使いこなせぬまま敵の軍艦ならぬ味方の漁船を沈めてしまった。

(小言航兵衛、2008.3.10)

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