<小言航兵衛>

原子炉注水

 何年か前カナダのバンクーバーに近いSEIインダストリーズ社を訪ねたことがある。ヘリコプターの消火作業に使う吊り下げバケットをつくっている会社で、ごく小さな町工場みたいなところだった。

 裏庭に子供が遊ぶビニール製のプールを大きくしたような、直径10メートルくらいの円い水槽があり、その上に赤いバケットがクレーンで吊り下げてある。それが「バンビ・バケット」――といっても知る人は少ないと思うが、この数日来おそらく日本中の大半の人が目にしたにちがいない。原子力発電所の上空から自衛隊のヘリコプターが水をまいた、あのバケツである。

 バケツといっても合成繊維の頑丈な布地を2重にして、大きなこうもり傘のような骨組みに張りつけ、逆さまに吊す構造になっている。したがって傘と同じ原理で開閉するので、閉じたまま水に突っ込み、再び引っ張り上げると水圧によって傘が開き、内部に水が入りこむ。

 このもようを、SEI社は裏庭の水槽でクレーンを上げたり下げたりしながら見せてくれた。それを、クレーンの代わりにヘリコプター下面に吊し、海中にひたして水をため、そのまま引っ張り上げて火災現場へ飛ぶ。現場では操作員がスィッチを押すだけで、こうもり傘の頂部、すなわちバケットの底部が開いて水が落下する。

 しかしバケットの底を開くだけでは水が飛び散ってしまうので、開くと同時に水圧に押されて長さ1メートルほどであろうか、太い管が伸び出してきて、その先から水が噴射される仕組みになっている。これで射出の方向が決まり、水がねらい通り火災に向かって勢いよく飛んでゆくことになる。

 それにしても、テレビの映像ではあるが、原発上空のヘリコプター散水のもようを見ていると、バンビ・バケットの機能が必ずしもうまく発揮されているようには見えなかった。航兵衛の見たのは最初の4回だけだが、第1回はうまくいったように見えたものの、そのあとは高度が高すぎたり、位置が遠すぎたりして、水が霧のように拡散してしまった。これを5回でも10回でも続けてゆけば、作業のコツもつかめたのではないだろうか。

 その中で、もっと大胆に低く下がり、場合によってはホバリングをして投下するなど、いろいろ試みるべきではなかったのか。むろん放射能があるのでそうはいかないのかもしれぬが、政府や原子力安全保安院の発表や、学者の意見では、われわれがレントゲンなどの放射線検査を受けるときの線量にくらべて遙かに小さいというではないか。

 それにヘリコプターの床面には放射線をさえぎる鉛板が敷いてあり、パイロットは防護服を着ているので、実際にもあとで乗員の放射線量を測ったところ、許容量をはるかに下回ったという。

 それでも心配ならば、バケットの吊り下げワイヤを伸ばしてはどうか。60〜100メートルくらいの長吊りにして、ヘリコプターやパイロットは高いところにいて、バケットだけを原発建屋のすぐ上に持ってゆき、水を投下するのである。そこでホバリングをしても、放水は何秒間で終わるはずだから、危険を招くほど長い間、放射能の中にとどまるわけではない。

 さらにパイロットや地上作業員に宇宙服を着せることも考えられる。宇宙服ならば宇宙船外の作業もできるのだから放射能にも耐えられるのではないか。宇宙服は重くて硬くて、こまかい作業は難しいかもしれぬが、何らかの工夫も可能であろう。


バンビ・バケットの傘のような構造

 それでも危険というのであれば、無人ヘリコプターの利用はどうか。もとより、チヌークのように7トン積みのバケットを吊り上げられるような無人機は存在しない。せいぜい数百キロというところだろうが、日本では2,000機以上の無人ヘリコプターが農薬散布に使われている。

 そういうものが現場にあれば、われわれ素人がテレビのこちら側で下手な考えをめぐらす間に、さまざまな用途が出てくるであろう。その素人が考えた一例だが、これにカメラを積んで原子炉上空に飛ばせば、内部のようすをこまかく観察することもできる。

 テレビでは自衛隊機が上空を通過する際に撮ったという写真1枚から使用ずみ燃料のプールにまだ水があることが分かったといって喜んでいた。その程度のことは、無人ヘリコプターを頻繁に飛ばし、あるいは長く上空に停めておけば、内部の変化を常に監視することができよう。

 こうして原子炉の詳細が分かれば、次に打つ手もいろいろと出てくるにちがいない。

 ともかく、あの原発上空のヘリコプター散水は世界中が見守っていたはずで、その檜(ひのき)舞台での演技としては、いささかもの足りないうらみが残った。

 それどころか、これをカナダで見ていたSEIインダストリーズ社は、日本に技術者を送りたいという提案をしてきたらしい。もっとうまく放水できるよう現場で助言するつもりか、あるいは自分もヘリコプターに乗り込むつもりかもしれない。政府がそれを受け入れたかどうか、余計なお節介と断ったかどうかは知らぬが、はるかに遠いカナダですら決して他人事とは思っていないところが嬉しい。

 一方アメリカでは、日本から飛んできた旅客機の乗客は全員、空港で放射能検査を受けるらしい。まことに情けない事態になったわけである。

 それに、情けないだけですんでいるうちはいいが、専門家の中にはチェルノブイリのような炉心溶融と大爆発が近づいているという人もある。新聞は書いていないが、原子炉が爆発すれば放射性物質が広く飛び散って東京も放射能雲におおわれ、都民は死滅するだろうという恐ろしい話まで出てきた。 

 こうした原発事故のために関東地方では電力が不足するとして、テレビが繰り返し節電を呼びかけている。数日前の寒い日であったが「室内の温度を3度ほど下げ、ジャンパーを着て過ごしてください」と放送していた。ところが、その原稿を読み上げた女アナウンサーは胸もとを大きくはだけた半袖の軽装である。その無神経ぶりに、航兵衛思わず「バカもの」と叫んでしまった。

 放送局の温度は何度か知らぬが、もっと室温を下げて、アナウンサーだろうとご意見番だろうと、これからはジャンパーを着て寒さにふるえながらマイクの前に立ってもらいたい。そのために、少しくらい舌がもつれても構やしない。みんな笑って許すはずだ。

 さらに明日からは、国会でも政府や自治体の会議でも、室温を下げてジャンパーかオーバーを着るようにして貰いたい。今でも首相以下、みんな作業服を着ているようだから、別に背広にネクタイの正装である必要はないはず。

 ちなみに、わが家は、もう何年も前から暖房器具の設定温度は17度である。航兵衛も家の中でジャンパーを着て過ごしている。家人はひと冬中カイロを手放したことがなく、夜はむろん湯ゆたんぽである。そんなところへ孫たち(小学校と幼稚園)が遊びにくると「寒い、寒い」といって温度を上げたがるので、そのときだけは19度まで認める。それでも寒がって、外から着てきたオーバーをなかなか脱ごうとしないのである。

(小言航兵衛、2011.3.19)


チヌークに長吊りをしたバンビ・バケット

【関連頁】
   <小言航兵衛>天罰(2011.3.17)

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