<小言航兵衛>

「南京事件」の虚妄

 こんなことを日本人が書いても、あの連中からすれば「自画自賛か自己弁護か、都合のいいことばかり書いてやがる」で終わってしまうだろう。しかし、この本はイギリスの記者が書いたもので、表題は『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(ヘンリー・S.ストークス、祥伝社新書、2013.12.10)という。

 日本のことを日本人が書くよりも、いくらか客観性が濃くなるのではないか。しかも著者は『フィナンシャル・タイムズ』の東京支局長を皮切りに、『ロンドン・タイムズ』と『ニューヨーク・タイムズ』の、それぞれ東京支局長を歴任したジャーナリストだから、最も客観性を求められる立場の人である。その第三者が日本人以上に熱をこめて、日本人がなかば諦めている問題を論じているのだ。

 たとえば「東京裁判は裁判の名にも値(あたい)しない無法の復讐劇」とか「『南京大虐殺』にしても、信用できる証言は何一つとしてなく……中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信した謀略宣伝」とか「慰安婦問題」に至っては「論ずるにも値しない」というのである。

 しかるに「日本は相手の都合を慮(おもんばか)ったり、阿諛追従する」せいか、これまで、ほとんど反論したことがなかった。もっと反論すべきであって、当然、相手の言い分とは「食い違う。だが、それでいいのだ。世界とはそういうものである。日本だけが物わかりのいい顔をしていたら、たちまち付け込まれてしまう」。現に、そうなっているではないか。

 しかも、もっと不可解なのは「『南京』にせよ『靖国参拝問題』にせよ『慰安婦問題』にせよ……日本人の側から中国や韓国にけしかけて、問題にして貰ったのが事実」ということ。獅子身中の虫が獅子の皮をかぶって、中国や韓国に告げ口をしにゆくという、きわめて卑劣な行為の結果なのだ。

 いうまでもないが、日本では古来、告げ口は最も恥ずべき行為とされていて、子供ですら先生に告げ口をしようものなら仲間外れにされるほどである。

 たとえば「南京大虐殺事件」――今や、そんなことを信じている日本人はいないと思っていたが、本書によれば「日本の大新聞の記者や、大学教授や、外務省の幹部職員まで、多くの者が『南京大虐殺』が行われたという旧戦勝国の宣伝をいまだに信じている」らしい。

 事実は、これは「情報戦争における謀略宣伝(プロパガンダ)」にほかならない。具体的には、当時の中国の情報機関が、英国人ハロルド・J・ティンパリー(Harold John Timperley)をけしかけて、『What War Means: The Japanese Terror in China(戦争とは何か-中国における日本の暴虐)』を書かせたもの。

 この本は1938年7月、ニューヨークとロンドンで出版され、「当時、西洋知識人社会を震撼させた。『ジャーナリストが現地の様子を目の当たりにした衝撃から書いた客観的なルポ』として受けとられた」ためである。実際はしかし、ティンパリーは1921年以来、香港、北京、上海などに在住し、当時はイギリスの日刊紙『マンチェスター・ガーディアン』中国特派員の肩書をもって国民党政府の宣伝工作に従事していた男。その本を出版したのもレフト・ブック・クラブという「左翼知識人団体で、その背後にはイギリス共産党やコミンテルンがあったという」

 このように中国人みずからは顔を出さず、「手当を支払うなどの方法で、『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人となってもらう』という曲線的宣伝工作は……(中国が)常用した技巧の一つであり効果が著しかった」「つまり初めから『南京大虐殺』は中国国民党政府によるプロパガンダであった。ティンパリーは政府の工作員さながらの活動を展開した」

「ティンパリーの働きは絶大で、中国の情報機関も驚愕し、味を占めた。日本人は野蛮な民族だと宣伝することに成功した。中国人は天使であるかのように位置づけられた。プロパガンダは大成功だった」というのが本書の主張するところである。


南京のでっち上げ記念館で、もっともらしく頭を下げる元首相
「ルーピー」といわれた愚かさは、まだ治っていないらしい

 しかし、これだけで「南京大虐殺」が虚構だったとはいえないかもしれない。そこで本書はさまざまな証拠を挙げて、実際にはそんな非道を日本軍がしていないことを証明する。そのあたりのことは本書を読んでいただかなければならぬが、一例は「南京陥落後3日間で……誰1人として殺人を目撃していない」こと。

 また「蒋介石と毛沢東は南京陥落後、多くの演説をしているが、一度も日本軍が南京で虐殺をしたことに言及していない」。つまり当時、国民党と共産党に分裂抗争中の中国を代表する両首脳が、それぞれ自ら「南京事件」を否定しているのである。

 それにしても、1週間前の本頁に続いてもう一度いうが、わが外務省は何をしているのか。何のために存在するのか。外交官というのはシャンデリアの下でグラスを傾け、外国人との間で当たりさわりのない雑談をするだけが任務なのか。

 外国の新聞記者ですら、このくらいのことを調べて本にしているのだ。仮にも外務省が政府機関のひとつならば、もっと詳しいことが調べられるはずで、多くの情報が集まるはず。現に集まっていると思うが、それならば報告書にして公刊すべきではないか。

 そのうえで、当然のことながら、中国に厳しい反論をぶつけ、南京のでっち上げ記念館を撤去するように要求すべきで、それが今のように何もいえないとすれば、あってもなきが如き軟弱外務省は不要である。いや、もともと調査などしていなかったとすれば、そんな無知怠慢の外務省はやっぱり不要というほかはない。

 さっさと霞ヶ関を出て、北京でもソウルでもどこへでも引っ越してゆくがよかろう。

(小言航兵衛、2014.6.2)


近いうちに引っ越しが期待される……

【参考文献】

 

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