<TBSニュース23>

事故の理由(1)

 

 外出先から戻って入浴、寝巻きに着替えて夕餉の膳につき、少しばかりお酒を飲んでいるところへTBSから電話がかかってきた。昨日アルプスで発生したヘリコプターの墜落事故についてどう思うかという質問である。どうかといわれても、こちらは事故の当日も夜遅く帰ってきて、今朝も早くから出かけたのでテレビも新聞もろくに見ていない。何も分かりませんと答えた。

 すると先方からいろいろ説明があって、いくつかの事象について感想と意見を求められた。やむを得ず、思ったことを答えると、では今からスタジオに来て貰えぬかという。しかし、こちらは寝巻きでお酒を飲んでいるところだし、これから外出したり理屈を言ったりする態勢にはない。第一すでにお答えしたではないか。そう言って断ると、テレビは新聞やラジオと違って文字や音声だけではおさまらない。こちらのしゃべっている姿が画面に出なくてはならない。それに、TBSのある赤坂とお宅ではそんなに離れてないし、車を送るのでとにかく支度をして貰いたいということから、すっかりあわただしいことになった。

 やってきた車に拉致されてTBSに着くと、ミキサー室とでもいうのだろうか、壁面にモニター画面が並び、手前のデスクには多数のスイッチ類が取りつけてある小部屋に連れ込まれた。そこで胸もとに小さなマイクをつけられ、膝を付き合わせるようにして坐ったディレクター氏が質問をしてくる。

 その手もとには、先ほど電話でしゃべった答えがすでに文字になっており、同じようなことを言えばいいのだが、急にまばゆいばかりのライトが点き、前方右手やや下の方からカメラが狙っているので、やはり緊張する。これはビデオを録るだけですから、いくらでもやり直しができますと言われて、1回だけやり直したものの、どうやら2度目で合格したらしい。ディレクター氏が目の前に親指と人差し指を出して、丸い輪をつくってくれた。

 そのあと参考までに聞いておきますといわれて気が楽になり、いくつか雑談をした。雑談中も何故かカメラが回っていて、本番の放送でも使われたから、あれはこちらの舌をうまく回転させるための手だったのかもしれない。ともかくも20分ほどで釈放され、わが家に戻ってきたのは10時頃であった。

 このときの録画は、その夜11時からのTBSテレビ「ニュース23」で放送された。翌朝みのもんたのニュース番組でも使われたと聞いたが、私自身は見ていない。

 私の話の主旨は以下のようなことだが、放送されたのはこちらの科白だけで、それも半分程度であろうか。

質問――4月9日午後4時20分頃、北アルプスで10人を乗せたヘリコプターが墜落、2人が死亡し、8人が重軽傷を負った。この原因について何が考えられるか。

答え――ひとつは3,000m級の高山で出力の余裕がなかったのではないか。出力不足ではないので普通ならば問題はないが、そこへ突風などの甚だしい気流の乱れが生じると、咄嗟の回復ができずに飛行高度が下がる。同乗者の1人が尾部ローターが雪面に当たったようだと言っているが、それに符号するかもしれない。

質問――ほかに考えられることはないか。

答え――機長の空間識失調(ヴァーティゴ)があったかもしれない。ローターのダウンウォッシュのために雪煙が舞い上がったり、急に霧が襲ってきて視界を失ったりすると、機体の姿勢や飛行高度が幻惑され、地面や水面に突っ込むことがある。

質問――この飛行は、当日早く山小屋の整備のために6人の作業員を送りこみ、何時間かたって迎えに行ったもの。しかし、その前に機長は「天候が良くないので飛行を断念する」という連絡を会社に入れていた。

答え――飛行しないと決めていながら、なぜ戻ったのかが分からない。恐らくは寒い雪の中で作業員たちが一夜を過ごすのは気の毒と思ったのではないか。何とかして今日のうちに戻して上げたいと考え、雲の晴れ間をねらったに違いない。その気持はまことに尊いが、途中で判断を変えながら、その変更を会社へ伝えなかった。会社へ連絡していれば、機長独りの判断よりは、気象情報などの先を見通した別の判断があって、ひょっとしたらもう少し様子を見るようにとか無理をするなといったアドバイスがあったかもしれない。


人の感覚を幻惑する白一色の雪山

 以下、放送からは離れるが、近年アメリカで救急機の事故が増えている。そこで問題になっている一つは、気象条件が不安定なときに飛ぶべきか飛ばざるべきかをパイロット独りで判断すると間違いやすいということである。

 救急任務の性格上、目的地には生死の境にある患者が待っている。自分でもなんとかして家族に喜んで貰いたいという気持が強まる。ついつい無理をすることになりかねない。そんなとき運航管理者を初めとする関係者の組織的、体系的な判断が必要となる。しかも、このような組織体制は、天候の悪いときばかりでなく、普段から活用していなければ、いざというときにうまく機能しない。

 今回の事故も、原因調査の結果は「パイロット・エラー」ということになりかねないが、実はその背景には組織の体質もあったのではないだろうか。事故はパイロット独りだけでは防ぎきれないし、パイロット一人だけの責任でもない。関係者全員の組織的な支えがなければ、同じことはいつまでも繰り返されるだろう。

 聞けば、この会社は最近5年間に5件の事故を起こしているという。だからといって、管理体制をどうこうすべきだなどというつもりはない。管理や監督や検査や規則などをいくら強化しても、安全は強化されない。最近よく言われる「安全の文化」といったものがうまく醸成されなければ、管理監督だけで事故はなくならない。

 安全体質の確立には時間がかかるのである。では、どうすればいいか。本当のところはよく分からないけれども、美味しいお酒を醸し出す酵母菌のような、人の目に見えない何かが時間をかけて安全の文化を醸し出す。ただし、酒や文化は一と色ではない。地域によって、さまざまな種類がある。それぞれに味があって、人びとの賞味するところとなる。

 安全の文化も組織によって異なってよい。結果的に人に愛でられるような無事故の世界ができあがればよいのだが、そのための酵母菌を探り当てるのがむずかしい。しかし現に安全の酵母菌は存在する。航空人たるもの、何とかしてそれを探り当てねばならない。

 ともかく、ヘリコプターの事故が起きると、おちおちお酒も飲んでいられなくなるのが困る。是非とも事故などは起こさぬように願いたい。

【参考頁】

 NHK「きょうの世界」(2007.2.23)

(西川 渉、2007.4.15)

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