ロンドンHEMSの1日 

 

 去る7月8日、全国航空消防防災協議会の研修会で「世界のヘリコプター救急」について話をする機会を与えられた。表題にいうほど体系的な、まとまった話をすることはできなかったが、その準備のために改めてロンドンHEMSの実情について調べた。

 ロンドンHEMSのことは本頁でも「大都市ロンドンの救急ヘリコプター」および「ロンドンの果敢なヘリコプター救急」の頁に書いたが、最近のもようが昨年の英『AIR AMBULANCE』誌(1998年9月号)に「首都の守護者」と題する記事になって掲載されていた。

 その要約に、新しい「HEMSロンドン」のホームページの記事を加えてつくったのが、以下のメモである。

 

 赤い胴体にヴァージン・グループのロゴ・マークを光らせながら、ロンドン上空を飛ぶ小型ヘリコプター。多くの人は、リチャード・ブランソン会長の自家用機かと思い込んでいるが、実はさにあらず。このヘリコプターは人命救助のための救急機なのだ。

 その拠点は王立ロンドン病院の屋上ヘリポート。ロンドン中心部のやや東寄りのホワイトチャペルにあって、機種はAS365ドーファン。

 この救急飛行「HEMS」が始まったのは1988年。同じ年に王立外科大学は、大怪我をした人が早急な手当を受けられないために、無駄に死ぬ例が多いという報告書をまとめた。この批判に応えて始まったのがHEMSである。

 運航は当初、郊外の飛行場からおこなわれていたが、1990年8月30日からロンドン病院の屋上に移った。以来98年までに9,778回の出動をした。運航費は長年にわたってデイリーエクスプレス新聞社が出していた。しかし97年春からリチャード・ブランソン氏に代わり、その寄付金でまかなわれている。

 ブランソン氏は1997年このヘリコプターを買い取り、マッカシー・ヘリコプター社の協力によって運航している。 ヘリコプターには通常2人のパイロットが乗組み、医師とパラメディック、または医師2人から成る医療チームが同乗する。ほかに予備の座席1人分がある。

 キャビン後方右側には患者搭載用のストレッチャーが取りつけられ、ほかにさまざまな医療器具が装備されている。

 

待機は午前8時から日没まで

 ロイヤル・ロンドン病院は6階建て。その屋上に毎朝、ヘリコプターはロンドン北方のデンハム飛行場から飛んでくる。デンハムには格納庫があって、ヘリコプターは毎晩そこに戻って格納され、整備点検を受ける。そして翌朝午前8時までに病院屋上へ飛んで行き、日没まで待機する。1年365日、全く休みのない任務だが、夜間飛行はしない。予備機がないので、夜間は機体の整備点検をするためである。

 ヘリコプターの担当する救急範囲は、ロンドン市街地を取り囲むように走る高速自動車道路M25の内側。最大直径70kmの範囲で、その中心に近いところにロイヤル・ロンドン病院があり、出動要請が出てから3分以内に離陸するので、ヘリコプターは遠いところでも12分、平均6分で現場に到着する。

 出動の対象となるのは2階以上の高さから落ちたとき、交通事故で運転手か乗客が車外に放り出されたとき、大やけどをしたときなど。出動の判断をするのは航空専門のパラメディック。ウォータルーにあるロンドン救急サービス本部(LAS)にいて、緊急電話「999」の全てをモニターしている。

 そしてヘリコプターの出動が必要と判断すると、そこからヘリポートの運航管理室に出動指令を出す。それを受けたパイロットは直ちにヘリコプターに乗りこんでエンジンを始動する。また医療チームは所要の医療器具を貯蔵室から出して、ヘリコプターに乗る。

 その間、もう1人のパイロットは運航管理室にとどまって、事故の状況について、できるだけ詳しい情報を集める。その多くはコンピューターのプリンターから吐き出されてくる。その中にはロイヤル・ロンドン病院から見た事故現場の方位、距離、最寄りの医療施設なども含まれる。この中には医療情報もあって、各病院の得意とする治療の種類なども知ることができる。これで、ヘリコプターに乗った医療チームは患者をどこへ運べばいいか容易に判断することができる。

 ヘリコプターの飛行に当たって、問題の一つはロンドン周辺の空域が航空機で混雑していること。ときにはロンドン・シティ空港の進入経路の真下に着陸しなければならないこともある。しかし「メディバック」というコールサインと特殊なトランスポンダーコードを与えられたヘリコプターに対して、航空交通管制官はきわめて協力的で、ヘリコプターは最短コースを取って目的地へ飛ぶことができる。唯一の規制といえば、高度制限があるくらいだが、もともと救急飛行はそんなに高く飛ぶ必要はない。

 航法は市街地図を使って目視でおこなわれる。現場に近づけば、パトカーや救急車の赤い灯火が忙しく点滅しているから、すぐに見つけることができる。

 

事故現場の近くに着陸

 ヘリコプターは現場に到達すると、事故の場所にできるだけ近いところに着陸する。ロンドンは意外に公園や広場が多い。ヘリコプターはそういう場所を上空から探して着陸する。ときには、道路や駐車場にも降りる。右席の機長は周囲に危険な障害物のないことを確認しながら降下する。このとき左側の副操縦士はドアを開け、体を機外に乗り出して、左側の安全を確認する。必要によっては、機長に合図を送る。

 こうしてヘリコプターが事故現場から500m以内に着陸できる事例は全体の85%だが、75%は200m以内に着陸し、40%は50m以内に着陸する。

 問題は、病院側の着陸場所である。かつてはほとんどの病院にヘリポートがなく、どんなに早くヘリコプターで患者を搬送してきても、それから時間をかけて救急車で地上搬送をしなければならなかった。しかし最近は、ヘリコプターの搬送を受けるような病院は、ほとんどがヘリポート、もしくは適当な着陸場所を敷地内や隣接地に整備するようになった。

 こうした着陸スポットに関する情報についても、病院データの一部としてコンピューターに入れてあり、各病院についてヘリコプターの着陸可能な場所があるかどうか、そこから病院まで救急車が必要かどうか、といった情報が即座に分かるようになっている。

 

出動判断には経験も必要

 さて記者がHEMSの現場を訪れた日の1日。最初の出動要請は救急隊員からの電話で、ベッドから落ちた老婦人をどのように処置してよいか分からないというものであった。別に頭を打った様子もなかったが、ヘリコプターは出動することにした。その家の近所に公園があり、周囲には高いフェンスのあることが分かっていたが、ヘリコプターはそこに着陸し、そこから患者の家まで医師が走った。

 応急手当をほどこした患者は、そこからキングス・カレッジ病院へ運ぶことになった。ヘリコプターは病院まで4分で飛んだが、病院のそばには適当な着陸場所がないため、警察の協力を得て近所の公園に着陸した。そこから患者は救急車で病院へ運ばれた。

 次の救急要請は梯子の上から落ちた怪我人であった。最初はひどい重症のような通報だったが、詳しく聞いてみるとさほどひどくないことが分かった。結局ヘリコプターは出動しないことになった。このあたりは長年の経験を積んでこそ的確に判断できるようになるものである。しかし無駄な飛行を恐れて出動しなかったために、あとになって患者の容態が悪化したりすれば、その方が余程問題であると考えるべきであろう。そのジレンマを如何にして解消するかは、長い経験のみである。

 

現場ではエンジンを停める

 しばらくして3度目の要請が出た。ロンドン市内北部のピナーというところで発生した交通事故である。ヘリコプターが現場に到着したときには、すでに警察が道路を閉鎖し、適当な場所をあけて、道路の真ん中に着陸するよう誘導してくれた。患者の状態を見た医療チームは直ちに近くのノースウィック・パーク病院に救急車で運ぶことを決めた。その救急車には医療チームも同乗した。

 この合間を利用して、ヘリコプターはデンハム飛行場へ飛び、燃料補給をして、同時に朝から気になっていたちょっとした不具合を点検した。このヘリコプターは1982年製で、20年近く飛びつづけ、ときどき小さな不具合が出るのである。

 それというのも救急任務に使っているため、1回当たりの平均飛行時間は8分程度である。しかも、現場に着陸したあとは原則としてエンジンを停める。というのは医療チームが現場治療をするため、直ちに患者をのせて離陸するようなことはないからである。したがって飛行時間の割に飛行回数は多く、そのたびにパワーを上げたり下げたりするから、エンジンも機体も傷みやすいのである。

 燃料補給を終わったヘリコプターは、まっすぐノースウィック病院へ飛び、駐車場のわきに着陸して医療チームをピックアップした。この駐車場わきは、ふだんからヘリポート代わりに使っているところである。古い病院は当然のことながら、ヘリコプターやヘリポートなどを考えて設計されたわけではない。ノースウィック病院でも、駐車場のそばの小高いロータリーの上、泥のやわらかい草地が使われている。

 そこからロイヤル・ロンドン病院へ戻る途中、ヘリコプターは緊急連絡を受けた。ロンドン市内の南側の地区で、年を取った婦人がバックしてきたバンの後輪に轢かれたらしい。

 ヘリコプターは小さな駐車場に着陸した。広さはドーファンの主ローター直径の2倍程度。医療チームは、その婦人について救急車で近くのセント・ジョージ病院へ行った。ヘリコプターは単独でロイヤル・ロンドン病院へ戻ることになったが、飛んでいる最中に早くも次の出動要請が出た。大急ぎでロイヤル・ロンドン病院に着陸すると、別の医療チームが屋上で待っていた。

 その事故はクロイドン地区で作業員の頭に金属の棒が当たったというもの。事故現場の隣りに小さなトラック置き場があって、そこに着陸することになった。この日の着陸場所としては最もせまい場所で、しかも一方の側に電線が走っている。それでもヘリコプターは着陸を敢行し、医師たちが大急ぎで怪我人のところへ走った。

 怪我人はキングス・カレッジ病院へ運ぶことになった。現場から10kmほどの距離である。実は1km余りのところにも病院があるのだが、脳外科の手術はできない。医療チームは患者の気道確保をしてリッターにのせ、患者のそばにあった何台かの車をどかして隙間をつくり、フェンスの向こう側のトラック置き場にいたヘリコプターを呼んだ。ヘリコプターはフェンスを飛び越え、わずか10mほど飛んで患者のそばに着陸、患者をのせて離陸した。キングス・カレッジでは、すでに連絡を受けた救急車が、近くの公園で待っていた。

医療チームを連れ戻す

 その日の最後の飛行は、2た組の医療チームを2か所の病院から連れ戻すことであった。その途中でバターシー・ヘリポートに寄って、ローター回転のまま燃料補給をした。

 この日は、かなり忙しい1日であった。飛行要請は5回、出動は4回、飛行回数は19回になった。とはいえ総飛行時間は114分――2時間足らずである。しかも朝夕のデンハム飛行場への往復22分を除くと、1回当たりの飛行時間は5.4分にすぎない。

 救急ヘリコプターは明日もまた忙しいであろう。

(西川渉、99.7.15)

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