ヘリポート標識のあり方

                              

 

 ヘリポートをつくった場合、日本では接地点を明確にするため、円の中に「H]の文字を描く。これを、われわれは「マル・エッチ」と呼び、英語では「サークルH」(Circle H)という。

 しかし、この標識は必ずしも万国共通ではないらしい。アメリカでは三角形の中にHを置いて、その頂点が北を向くように描かれることが多い。ニューヨークのウォール街ヘリポートでは、かつて、この典型的なマークが桟橋の先端にあった。またポートランド・ヘリポートでは円の中に破線の三角形とHの文字が描かれ、オレンジカウンティ・ヘリポートでは2つの着陸帯を示すために2つの正方形が並んでいるだけで、その中に1、2という番号が描かれている。

 いつぞやカナダで見た標識は、黄色い円の中に破線で三角形が描かれ、Hの文字はないけれども、各線の周囲に黒い縁どりがあるので、全体がごちゃごちゃして、空から見ても何のことだかよく分からなかった。

 救急のための病院ヘリポートも、太い白十字の中に赤い「H」を描くのが原則だが、すべてがそうなっているとは限らない。

 要するに、アメリカやカナダでは、日本と違って、ヘリポートの標識が統一されていないのである。ちなみに日本では「航空法施行規則」によって、ヘリポートの中心にマル・エッチをを明瞭な色彩一色で描くように定められている。

 しかし実は、ヘリポートの標識、または英語でいうマーキング・シンボルについては、安全上の観点からさまざまな論議がある。

 

9種類の候補図形を選定

 アメリカ航空局(FAA)が米陸軍と共に、ヘリポートの標識について再検討をはじめたのは1960年代なかばであった。当時は三角形の中に「H」を描くのが一般的だったが、必ずしも科学的に定められたものではなく、もう一度考え直してみようということになったのである。

 そこで最初に手をつけたのは、実際に飛行をしているパイロットたちの意見を聴きながら、ヘリポートの標識はどんな条件をそなえていなければならないか、その基本要件を整理することであった。その結果、表1のような原則が明らかになった。

 

表1 ヘリポートの標識に関する原則

1 ヘリポートの位置を水平距離1マイル(1,609m)以上の遠方から、有視界気象条件のもとで、俯角5〜20°で視認できること。

2 ヘリポートへ進入してくるパイロットにとって、この標識が方向操作の目安になること。

3 ヘリポートへ進入中のパイロットにとって、この標識がヘリコプターの正しい姿勢を維持する目安になること。

4 ヘリポートへの進入速度を加減する目安になること。

5 所定の接地点またはホバリング地点が正確に識別できるものであること。

6 ヘリコプターが着陸帯の上に到達したとき、接地点またはホバリング地点の位置を判断する手段となり得ること。

 こうした基本原則を整理した上で、次はどのような標識がその条件に適するか、テストをすることになった。まず、屋外での飛行テストの前に、屋内でさまざまな縮尺図を描いてテストをおこなった。

 この縮尺実験は2段階に分かれる。最初は25種類の図形についてテストがおこなわれた。その結果、当時アメリカで広く使われていた破線三角形の中にHの文字を入れた図形はごたごたと小さく詰まりすぎていて、ある角度からは識別できないことが判明した。そのため最初に排除され、その代わりに実線三角形の中にHの字を入れたものが加えられた。そして下図に示すような9種類の図形が選定された。

 

ヘリポート標識の候補図形

 

 この9種類について、さらに詳細な屋内テストが続けられた。その結果、進入角度が浅いときには見えにくいという理由で、2つの図形が排除された。そのひとつは実線三角形の中にHの文字を入れた図形Jである。もうひとつは円形の中にHの字を入れた図形Kであった。

 つまり屋内の実験段階で落とされた2つの図形は、皮肉なことに米国と日本で広く使われている標準的な標識だったのである。

 また屋内テストの結果から、ヘリポートの標識について、表2のような結論が導き出された。この結論は今後、ヘリポートや飛行場の標識を考えていく上で、広く一般的に考慮すべきポイントとなろう。

 

表2 ヘリポートの標識に関する実験結果

1 水平距離1マイル、俯角5°で識別できる図形の大きさは75ft(22.8m)以上である。

2 図形の識別がしやすいのは、大きさが着陸帯の50〜83%の場合である。それよりも小さいと消えてしまうし、大きすぎると周辺のマーキングと混じり合ってしまう。

3 図形の大きさと線の太さとの割合は、7%である場合に最も見やすい。それよりも線が細すぎると消えてしまうし、太すぎると着陸帯全体がペイントされているように見える。

 

飛行実験ではマルタ十字が選ばれたが

 以上のような屋内テストによって7種類の図形が選定されたが、次にそれらを実際のヘリポート面に描いて、飛行テストがおこなわれた。

 第1段階のテストはアラバマ州フォトラッカーの米陸軍ヘリコプター基地である。その結果上図の中の“マルタ十字”(Maltese Cross)と呼ばれる図形Fが最良という結論になった。また図形Bの“断続車輪”(Broken Wheel)もかなりの高得点を得た。残りは、いずれも低い点数であった。

 そこで、この2つの図形について、テキサス州フォトウォルターズに場所を変えて飛行テストをおこなった。2つの標識に向かって飛んだパイロットたちは、どちらもアプローチがしやすいと感じた。その感じは双方ともほぼ同じであったが、強いて差をつければ“マルタ十字”の方がやや良好という結論であった。

 こうして陸軍の軍用ヘリポートおよびFAAの指導する民間用ヘリポートの標識は“マルタ十字”を標準にしようということになった。1960年代末のことである。ところが1970年代に入って、FAAの長官がこの決定を取り消すという事件が起った。というのは、マルタ十字はヨハネ騎士団の十字架であって、反ユダヤ主義をあらわすものという非難が出てきたからである。

 とすれば当然、第2位の図形が選ばれるはずだが、何故かそういう配慮はなされなかった。そして1977年に公表されたFAAの「ヘリポート設計ガイド」には、先のテストで欠陥図形として排除されたはずの“三角H”(Triangle H)が、標準的な標識として推奨されていたのである。

 しかし1988年の「ヘリポート設計基準書」では三角Hの欠陥が認められ、“大型H”(LargeH)が公共用ヘリポートの標識として推奨されていた。これが現在、ニューヨークのウォール街ヘリポートで使われている標識である。

 ところが、この基準書にはまた「ヘリポートの標識としては、文字、ロゴ、シンボル、紋様、その他、いかなる図形や文字を使ってもよい」と記載されていた。これによって1960年代なかばの科学的な実験と関係者の努力の結果はすっかり失われてしまった。

 つまり何でもいいということになれば、自分の頭文字を記入するヘリポートや会社のマークを描いたヘリポートも出てくる。その結果、ヘリポートの安全性を低下させることになったのである。

 

ヴァーティポートの標識を選定

 いっぽう1980年代末、FAAはティルトローターの実用化にそなえて、ヴァーティポートの設計基準の作成に着手した。その中には、ヴァーティポートの標識をどうするかという課題も含まれていた。

 そこで「H」、「V]、または「VTOL」といった、いくつかの標識が検討された。意見が分かれたのは、ヘリポートとヴァーティポートの標識を区別するかどうかという問題で、その区別をするために当初は「VTOL」という文字をヴァーティポートの標識にしようという考えが強かった。

 しかし、FAAの技術センターにあるヘリポートにこの文字を描いて飛んでみた結果、FAAのパイロットも民間パイロットも、このパターンはよく見えないという意見になった。

 そこでFAAは、先の1960年代なかばの実験結果を改めて見直すことになった。検討の結果、これらの図形はヘリポートのために考えられたものだが、ヴァーティポートにも適するということになった。そして、当時の候補図形に別のものをつけ加えたり、削除したりする必要はないということから、もう一度すべての候補が再検討された。

 この検討にはFAAだけでなく、ヘリコプター・メーカーや運航会社の代表も加わって討議された。まず三角H、マル・エッチ、およびマルタ十字が落され、さらに検討を続けた結果、かつて第2位となった“断続車輪”が最終的なヴァーティポートの標識として選定された。この標識はFAAの「ヴァーティポート設計基準書」に記載され、標準的なものとして推奨されている。

 この図形が決まったとき、同じ標識を普通のヘリポートにも採用してはどうかという意見があった。しかし、そこまで決めてしまうのは時期尚早であるということになった。実際に使ってみて、それから結論を出しても遅くないという考えからである。

 

 

適切な標識は安全を支える

 ヘリポートとヴァーティポートの標識選定に関するFAAの研究作業の経過は以上の通りである。その考え方の基本にあるのは、いうまでもなく安全であった。

 われわれは普段、何気なくマル・エッチのマークを使い、それに向かって飛んでいる。いつも飛び慣れたヘリポートはそれでいいかもしれないが、初めてのヘリポートや不慣れなヘリポートは、接地点の確認できる距離が遠ければ遠いほど、パイロットの気持ちと操作に余裕をもたせることになる。

 つまりヘリポートの標識は、普通に考えられている以上に安全上の意義をもっているのである。そして標識が適切であるか否かは、先に見たような条件を満たすことになり、アプローチ中のパイロットを援助することにもなる。ひいてはヘリコプターの安全を支える手段として有効な働きをするのである。

 したがって、正規のヘリポートでも臨時ヘリポートでも、その標識は適切なものでなければならない。不適切な標識は、いずれ廃止されることになるであろう。 

 

緊急用着陸施設の標識

 もうひとつ最近の日本で増えてきたのは、大都市の高層ビル屋上に設けられた緊急用ヘリポートである。これは、そのビルが火災などで緊急事態に陥った場合、屋上に逃げてきた人を空から救出したり、ヘリコプターで駆けつけた消防隊員がここからビルの中に降りてゆき、消火および救助活動をおこなうための施設である。

 つまり原則としては、その建物自体が緊急状態に陥ったときに使う施設であって、空に向かって開かれた非常口とみなすことができる。したがって、どこかよその場所で緊急事態が発生したときに、ここにヘリコプターが降りて、救援隊や指揮官などが乗降したり、情報収集や救援活動のための拠点にするというわけではない。そのような災害拠点にするためには、法規にもとづいて正式のヘリポートとして承認を受けておこなければならないであろう。

 そうした緊急用ヘリポートは現在、2種類が考えられており、したがって標識も2種類がある。一つは火災などの緊急事態に際してヘリコプターが着陸できる場所で、標識は通常のヘリポートと同じマル・エッチである。

 もうひとつは、強度や広さの問題があって、ヘリコプターの着陸ができないような場所で、標識は円の中にRの文字を描く。Rはレスキューの頭文字である。このような緊急用スペース「マル・アール」では、ヘリコプターは屋上に降りることなく、標識の上でホバリングをしながら避難してきた人をホイストで吊り上げたり、消防隊員がレペリングで降りたりする。

 この場合、マル・アールははっきりしているけれども、マル・エッチの方は通常のヘリポートと区別できないので、やや問題が残るかもしれない。おまけに、これらの緊急用ヘリポートの設置を促進しているのは建設省と消防庁であり、ふつうのヘリポートはいうまでもなく運輸省が管轄している。これらの省庁間の調整がうまくできているのかどうか、いささか疑問なしとしない。

 

(西川渉、97.8.29)

 

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