名刺と秘め事 

 

 文士や詩人はアウトローで、国から勲章やごほーびをもらう存在ではない。人並に名刺を持つ存在ではない。「小説家徳田秋声」という名刺はない。先方が出しても「徳田です」と辞儀をすればそれでよかった。

 つい最近出た本『寄せては返す波の音』(山本夏彦著、新潮社、2000年9月30日刊)の一節である。長野県の新しい知事になった田中康夫が、庁内の挨拶回りで名刺を配ったのが反発されたのは、なるほどこれであったかと合点がいく。つまり、あの何とかいう企業局長はまだ新知事を知事と認めず、内心では「この軟弱文士めが」とでも思っていたのであろう。そのアウトローの文士が名刺を出したので頭に血が上り、「こんちくしょう」とばかりに折り曲げたのである。それも、今にも名刺を破りかねない仕草であった。

 そのような企業局長に対する悪口雑言は、ここしばらくのテレビで評論家諸君が言いたい放題の限りを尽くしたので、今さら繰り返すつもりはない。ただひとつ誰も言わなかったことで、私の感じたのは「夜郎自大」である。山の中の小さな城の中で威張って、ふんぞり返っていれば、たいていの人間はお山の大将になってしまう。自分の領分以外に広大な世界が広がっていることを忘れてしまい、なおかつ自分は偉いと思いこんでしまうのである。

 そのうえ、あの局長はもとより、県庁全体が自大であったことは、最近発覚した選挙違反を組織ぐるみで堂々とやっていたことにもあらわれている。恐れるものは何もなかったのであろう.。

 この手の夜郎自大に、私は何人も地方の役所で出くわした。こういうのに行政を牛耳られている住民はまことに不幸である。おそらく全国民のほとんどが似たような状態にあるのではないかと思うが、われわれ日本人の今の苦悩はこのあたりに発しているのではないだろうか。

 田中康夫が奇天烈な作文で文学賞を貰ったのはいつのことだったか忘れたが、私は読んだことがない。しかし3年前に『全日空は病んでいる』(田中康夫著、ダイヤモンド社、1997年6月26日刊)を読んで、おのれの体験にもとづく指摘だけに強い説得力を感じた。無論いまでは、あれから3年を経て全日空の病気も治ったとは思うが、本の中には乗客を顧みず、中央集権的な官僚体制に毒された全日空の病気が昂じて「ある日突然すべてなくなっても何も困らない」とまで書かれている。

 是非とも、その調子で長野県、ひいては日本の行政を改革して貰いたいと思うが、せめて公職にいる間は、自分の情事を公開するのは控えていただきたい。吹聴したい気持ちも分からぬではないが、姫事は秘め事である。人前にさらすべきものではないし、聞かされる方もたまらない。

(小言航兵衛、2000.11.4)

 (「小言篇」目次へ (表紙へ戻る)