<安全の課題>

「ヘリコプター救急は有難迷惑」

――過ぎたるは及ばざるが如し――

 航空史上最悪の事故は、よく知られているように、テネリフェ島の滑走路上で起こったジャンボ機同士の衝突である。1977年3月27日、パンアメリカン機へKLM機がぶつかって、583名が死亡した。

 この両機はどちらもテネリフェ島が目的地ではなかった。ところが目的のグランカナリア島でテロ騒ぎがあり、テネリフェに一時避難を余儀なくされた。そこで何時間も待たされ、待たされている間に空港は霧に包まれてしまった。

 4〜5時間ほど待っていよいよ出発することになり、まずKLM機が1本しかない滑走路上を出発点に向かった。パンナム機もそれに続く。ところがパンナム機が滑走路の外へ出る出口を間違え、手間取っている間に滑走路の向こうの端でこちらへ向きを変えたKLM機が離陸滑走を始めたのである。

 あたりは霧が立ちこめ、お互いに相手機を見ることはできない。管制塔からも滑走路は見えず、空港内の動きを示す地上レーダーもなかった。無線交信にも何度か間違いが起こる。アメリカ人とオランダ人とスペイン人の英語によるやりとりの中で、KLM機の機長は離陸の許可が出たものと思いこんでいた。そのため「離陸する」という無線を聞いて、パンナム機は「当機はまだ滑走路上にあり」と送信した。しかし、その声は管制塔からの声と重なり合って、無線通信でいうヘテロダイン現象を生じ、KLM機の機長には聞こえなかった。

 出力をいっぱいに上げたKLM機は、霧の中をパンナム機に向かって突進した。そして衝突の2秒前、前方に機影を見つけた機長は咄嗟に機首を上げ、パンナム機の上を飛び越えようとした。機首は辛うじて越えたが、脚がパンナム機にひっかかった。実はKLM機は、この空港で待たされている間に、グランカナリア島での地上時間を短縮するため大量の燃料を補給していた。その重量がなければ、飛び越えられたかもしれなかった。

 KLM機は衝突地点から前方150m付近に接地し、約300m走って止まった。しかし満タンの燃料が燃え上がり、乗っていた全員248名が炎の中で死亡した。パンナム機の方も爆発と火災が発生し、61名が命拾いをしたものの、335名が死亡した。

時間に追われて飛ぶ

 この事故について調査の結果、原因の第1は同じ滑走路上で同時に2機を移動させたこと、第2にパンナム機が霧の中で出口を間違え滑走路上に長くとどまったこと、第3にKLM機が管制官の指示を聞き違えて許可が出る前に離陸滑走を始めたこと、第4に無線通信にヘテロダイン現象が起きてKLM機の機長が最も重要な言葉を聞き逃したことであった。

 たしかにその通りであろう。しかし、こうしたいくつもの齟齬が重なった背景もしくは根本には関係者の一致した心理状態――長く待たされた苛立ちや焦燥感があったにちがいない。両機の機長に限らず、乗員や管制官も、さらには乗客にさえ、早く遅れを取り戻したいという焦りのようなものがあったであろう。

 目的地へ早く無事にたどり着きたいという乗客の気持ちは、乗員にも伝わる。結果として機長は、時間に追い立てられるようにしてエンジン出力を上げたのであった。

 同じようなことは救急飛行にも当てはまる。テネリフェの事故はそのときだけのことだが、救急飛行は毎回、時間に追い立てられながら、テネリフェと同じような心理状態で飛ばなくてはならない。それも機長だけではなく、周囲の関係者全員が早く早くという気持ちに駆り立てられる。そこから、いくつかの食い違いが重なると惨事を招くことになる。

 1998年以来、アメリカの救急ヘリコプター事故は表1に示す通り、98件に上る。平均すると毎年12.3件で、要するに毎月1件ずつの事故が起こったことになる。そのうち死亡事故は36件で、救急事故総数の36.7%――3分の1以上である。それも、どちらかといえば増える傾向にあり、今年2月末の国際ヘリコプター協会(HAI)の年次大会では、2006年に入ってわずか2ヶ月間というのに、早くも7件の事故が起こったことがFAAによって公表された。異様な事態というべきだろう。

表1 米救急ヘリコプターの事故件数

事故総数

うち死亡事故

1998

7

4

1999

10

3

2000

12

4

2001

10

4

2002

13

5

2003

18

4

2004

13

6

2005

15

6

合  計

98

36

年平均

12.25

4.5

 こうした事態に対して、米運輸安全委員会(NTSB)は今年1月25日、特別調査報告書によって表2のような4点の勧告を出した。詳しくは本誌3月号でお伝えした通りだが、FAAはいずれ、これらの勧告を法制化することとなろう。

表2 救急ヘリコプターに関するNTSBの安全勧告
  1. 救急飛行はすべてFARパート135の規定に従って行なう。
  2. 運航者は飛行の危険予知に関する手順を定める。
  3. 運航管理基準を定めて、飛行前の状況判断、飛行中の気象通報などに関して機長を支援する。
  4. 救急機には地形衝突警報装置をそなえ、その利用に関する充分な訓練を行なう。

FARパート135とパート91

 4点の勧告の中で、おそらく最も有効と見られているのは、連邦航空規則(FAR)パート135に従って飛ぶという項目である。パート135はエアタクシーのような不定期の旅客輸送に適用されるルールで、気象条件や乗員の勤務時間がきびしく規制されている。しかし現在は、患者が乗っていないときの飛行はパート91の規定で飛ぶことができる。これは自家用機に適用される規則で、さほどきびしくない。

 このどちらの規定にしたがうかによって、安全性はどのくらい異なるか。HAI大会で公表されたFAAの集計によると、最近の85件の救急事故のうちパート91で飛行中の事故は59件、パート135は26件だった。つまりパート91の方が2倍以上の事故が起こっているのである。同じように死亡事故は18件と9件で、これも丁度2倍である。

 この数字だけで、安全性が2倍になるというような表現をしていいかどうかは分からない。けれども、規制の強化によって安全性が高まることは間違いないであろう。

 かつて1990年代初め、アメリカでコミューター航空の事故が多発した。当時のコミューター機はパート135で飛んでいたが、FAAは10人以上の乗客を載せる機材でコミューター事業をおこなう場合、運航はパート121にしたがって行なうよう指示を出した。これは大手エアラインに適用される規則で、無論135より遙かにきびしい。

 それにならって、救急飛行に関しても運航基準を一段引き上げることで安全性を高めようという考え方であろう。第一、患者が乗っているかどうかによって安全基準が異なるのというのも不思議な話で、乗っていなければパート91でよいというのは一種の抜け穴ではないかとNTSBは見ている。

 なお日本のドクターヘリは旅客輸送と同じ規則の下で運航している。気象条件や乗員の勤務割はもとより、救急現場への着陸条件もきわめてきびしい。そのため諸外国では着陸しているような場所でも、日本では認められず、救急業務に差し支えるといった問題が生じている。しかし、安全の確保という観点からすれば、確かに安全にはちがいない。

 このあたりのバランスは綱わたりのようなものであろう。どちらに転んでも問題が起きる。つまり事故になるか、患者が救われないかである。すなわち救急飛行というのは、まことに微妙かつ困難なタイトロープであって、どちらにも転ばぬようなバランスを取りながら、うまく綱をわたってゆかねばならない。

航空医療のバランスが崩れた

 こうして見ると、近年の救急事故の多発は、アメリカの航空医療が綱の上でうまくバランスを取れなくなったためではないのか。では、何ゆえにバランスが崩れたのだろうか。

 第1に救急ヘリコプターの急増である。もとより救急専用機の増加は望ましいことで、最近では800機近くになったようだが、これは日本の民間ヘリコプターの総数とほぼ同じ機数である。アメリカの救急機がここまで増加したのは、医療に関する法規が変わったためらしい。1990年代末、航空医療業界はアメリカ議会を動かして、航空搬送に対するメディケアの支払額を増やすことに成功した。そのため民間ヘリコプター会社が大挙して参入してくることとなったのである。

 第2に人材の不足である。機体の増加に伴って救急業務に熟達したパイロット、フライトナース、パラメディックが足りなくなった。しかもパイロットは、ベトナム戦争の時代に養成されたベテランたちが今、引退の時期を迎えた。そこで運航会社はパイロットを増やすために、その募集要件――たとえば飛行時間の経験数を引き下げるようになった。しかも経験の浅いパイロットが、飛べば給与が増えるということから、たとえば霧の発生が予想されるような気象条件でも無理をして飛ぶことが多くなった。

 第3に救急現場が簡単にヘリコプターを呼ぶようになった。これも救命率を上げるには悪いことではない。呼ばれた方も喜んで飛んでくる。しかし、これが高じると一種の商取引のようになって、現場の救急隊員にコーヒーカップやキーホルダーを渡したりする。次もまた宜しくというわけで、救急隊員は交通事故が起こると、下を向いて患者を診る前に、空を見上げてヘリコプターを呼ぶようになったという非難まで生んでいる。

 こうなると、メディケアも医療保険会社もそう簡単にヘリコプターの運航費を払ってくれない。救急内容を精査して、不要不急の病状にヘリコプターを飛ばしても、支払いに応じるわけにはゆかないと主張する。そのため、保険会社から拒否されたヘリコプターの運航料金は患者個人に請求がゆく。結果として救急請求書をかかえる家庭が増えてきた。

 ちなみに、メディケアが2004年に運航費を支払ったヘリコプター救急の飛行回数は、2001年の飛行回数の58%増、すなわち1.5倍以上になったという。

健康を損なうおそれがある

 このような状況から、最近「ヘリコプター救急は有難迷惑」という論文まで出るようになった。著者は米ジョージ・ワシントン大学の救急医学教授、ブライアン・ブレゾー先生である。掲載されたのはワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館の機関誌『エア・アンド・スペース』(2006年6月号)だから、権威ある出版物といってよい。

 この人は、しかし、外部の第三者的な立場から一方的にヘリコプター救急に反対しているわけではない。というのは、かつては自分自身がパラメディックとして救急ヘリコプターに乗っていた経験を持ち、今も医師としてさまざまな関係をもっている。論文の副題は「ヘリコプター救急はあなたの健康を損なうおそれがあります」というもの。タバコの注意書きの通り、無闇に吸ったり、乗ったりしてはいけませんというわけである。

 なぜ健康を損なうのか。事故が多いためである。にもかかわらず、無駄な飛行が多い。誰もが安易にヘリコプターを呼んで、救われるはずの患者が逆に命を落とすことにもなる。「最近の調査ではヘリコプターで搬送された患者のうち、本当にヘリコプターが必要だったと見られる症例はごくわずかしかない」というのである。

「1970〜80年代の調査ではヘリコプターで搬送された患者の治癒率は、救急車で運ばれた患者よりもはるかに高いという結論だった。そのため多くの病院がヘリコプターをチャーターしたり購入したりして、航空搬送を始めるようになった」

 それはそれでよかったのだが「最近のヘリコプター救急の効果は、昔とは異なる結果になってきた。救急車との差異がさほど大きくないのである。救急車の方も装備の内容が充実してきたためだ」

「2002年、スタンフォード大学が付属病院のトラウマ・センターにヘリコプターで搬送されてきた患者947人を連続調査したところ、生命に危険が及んで直ちに手術が必要だった患者はわずか1.8%しかなかった。そしてヘリコプター搬送の恩恵を受けた人は947人中9人だけで、5人はヘリコプター搬送が却って有害だった」

「われわれジョージ・ワシントン大学でも昨年、バーモント州やウィスコンシン州と協力して、事故現場から病院へヘリコプターで搬送された37,350人の患者を調査した。その結果、およそ3分の2はトラウマ判定基準にもとづいて軽症とみなされるものであった。無論これだけで結論を出すのは早すぎるが、救急医療に余りにヘリコプターを使い過ぎるのではないかという疑問が生じるのも已むを得ないだろう」

米国で最も危険な職業

 ブレゾー先生は論文の中で救急ヘリコプターの事故についても言及し、ジョンズ・ホプキンス医科大学の調査結果を踏まえて、次のように書いている。「1983年から2005年4月までの救急ヘリコプターの事故を分析調査したところ、乗員の危険度は事故率から見て、米国で最も危険な職業になった。ごく普通の職業についている人の6倍も危険である。また鉱山で働く人の2倍の危険性があり、戦場を飛ぶ戦闘機のパイロットと同じくらい危険である」

「アメリカという、世界で最も豊かな国にあって、われわれが懸命に育て上げた救急ヘリコプター・システムは、いつの間にか最も危険で、最も金のかかるシステムになっていたのである」

 とすれば、その利用を促進するよりも、それなしで済ませる方法を考える必要があるのではないかというのが結論である。繰り返しになるが、ブレゾー先生はパラメディックとしての飛行経験も多い。それでも、ここまでいわざるを得ないというのが今のアメリカの救急ヘリコプターの安全の程度なのである。

 また、この人は救急医療に誇りをもつ医師でもある。別のエッセイに「救急こそは世界で最も尊い職業のひとつ」と書いている。それがヘリコプターの誤った運用によって事故が多く無駄が多くなったとすれば、その誇りが踏みにじられる。これは、ヘリコプター救急の関係者による悲痛な叫びでもある。

 過ぎたるは及ばざるが如しというが、アメリカの実態は過ぎたる方で、日本は及ばざる方に当たる。どちらも褒められたことではない。救急ヘリそのものが10機しかないようでは、日本にアメリカを批判する資格はない。過ぎたる例を横目で見ながら、救急飛行の危険性と安全性のバランスを崩さぬように、しかも急がねばならない。

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』2006年6月号掲載)

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