<救急ヘリの危機管理――7>

飛ぶべきか飛ばざるべきか

 先日アメリカ人のドクターと話をする機会があった。ヘリコプター救急に当たっている人で、話が安全の問題に及んだことから、最近のアメリカの救急機は何故あんなに事故が多いのか訊いてみた。理由のひとつは新規参入が増えたためではないかという。

 アメリカのヘリコプター救急は近年、急速に拡大してきた。そのため新しい需要を求めて、企業もパイロットも救急飛行に不慣れのものが数多く参入してくる。結果として不安全な要素も増えるというわけである。

 それで思い出したのが今から40年ほど前、1960年代後半の日本で農薬散布が急速に伸びたときである。次々と事故が起こって社会問題になったことがある。高度成長がはじまったばかりの当時、農村人口がいっせいに都会に流れて人手不足になる一方、農業の近代化を推進するというので機械化が進み、農林省からの補助金も増えて水田のヘリコプター散布が盛んになった。

 その需要に乗って、わずかな間に機数が増えたのはよかったが、事故も増えたのである。そのほとんどが電線との衝突。散布飛行の高度とせまい田んぼの上を走る電線の高さがちょうど同じくらいなので、どうしてもぶつかりやすい。そのため何千時間もの飛行経験を持つベテラン・パイロットも事故を起こすほどで、的確な安全策がなかなか見つからず、ヘリコプター会社も航空局もずいぶん苦しんだ。

 今、アメリカの救急ヘリコプター界も同じような状態にあるのではないか。前にも書いたと思うが、救急飛行はヘリコプターの仕事の中では戦場での作戦飛行に次いで最も危険な任務といわれる。一刻を争って出動し、目的地では未知の場所に着陸しなければならない。それも空き地や道路など、どんな障害物があるかも分からぬような不整地である。

 そのうえ、夜間飛行が加わる。パイロットは深夜、仮眠をとっているところを叩き起こされ、ぼんやりした頭で暗い夜空を飛ばなければならない。それを防ぐために、スイス航空救助隊REGAの場合は、夜間は飛行要請から離陸まで20分間の余裕が与えられている。昼間は5分以内に離陸するのが原則だが、パイロットの意識がはっきりするのを待つためである。

事故原因となる3つの課題

 こうした悪条件の下で飛ばなければならない救急飛行だが、如何に条件が悪いといっても事故を起こしては本末転倒である。その転倒事態が最近のアメリカでは深刻になりつつあり、社会問題にもなってきた。そして、ついに国家運輸安全委員会(NTSB)までが先頃、「特別報告書」を出して注意を喚起するに至った。報告書の公表にあたって、NTSBは「不安全な救急飛行は意味がない(ナンセンス)」という言葉をつけ加えたほどである。今月はその報告書を読むことにしたい。

 NTSBの『救急飛行に関する特別調査報告書』(2006年1月25日付)は冒頭、救急医療に航空機を使うことの意義に触れて「救急飛行はヘリコプターでも固定翼機でも、急病人や大けがをした人、さらには移植臓器を搬送するという点で、社会的に重要な飛行業務である」と賞揚する。にもかかわらず、これだけ事故が多くては、褒めるどころか、やめてしまえということにもなりかねない。

 確かに、救急飛行は迅速かつ安全でなければならない。しかし、その飛行条件は一刻を争うことに加え、天候悪化、夜間飛行、未知の場所への着陸など不安全な要素も多く、近年は機数が増加したせいもあって事故もまた増加していることは否めない。

 そこで「この特別調査は救急飛行の問題点を明らかにして、事故の絶滅をはかり、もって安全な救急業務が遂行され、社会に貢献すること」を目的としている。

 この調査は、2002年1月から2005年1月の3年間に米国内で発生した55件の救急飛行事故を対象とした。これらの事故によって死者55人、重傷者18人が生じた。主要な原因は、今回改めて特別調査をした結果、次の3点が重要な課題であることを見出したという。

(1)患者が乗っていないときの運航基準が甘い。
(2)救急飛行の可否の判断について体系的な基準がない。
(3)地形との衝突を防止するための警報装置がついていない。


米ヴァンダービルト大学病院の屋上ヘリポート
ここはGPSによる計器進入が可能

臨界条件での事故ばかり

 55件の事故の中から、典型的な実例は、たとえば2003年1月10日、ユタ州ソルトレーク・シティで救急現場へ向かったヘリコプターが濃霧の中へ突っ込んだ。そのため目的地への飛行を断念して霧の中から脱出しようしたが、方角を誤って小高い山に衝突。パイロットとパラメディックが死亡し、フライトナースが重傷を負った。

 同じような例は2003年12月23日、カリフォルニア州レッドウッド・バレーで、強風と豪雨の中を救急現場へ向かっていたヘリコプターが山の中腹に衝突、パイロットと2人のフライトナースが死亡した。

 2004年3月21日にはテキサス州ピョートで、患者をのせた救急ヘリコプターが、視界が悪くなったために墜落。パイロット、パラメディック、患者、および患者の母親が死亡した。ほかにフライトナースが重傷を負っている。

 2004年7月13日にはサウスカロライナ州ニューベリーで、交通事故が発生した現場の高速道路で患者をのせたヘリコプターが離陸直後、立木に衝突。パイロット、フライトナース、パラメディック、患者が死亡した。

 また2004年8月21日、ネバダ州バトルマウンテンで患者をのせた救急ヘリコプターが夜間、天候の悪化する中を飛んでいて、山の中腹に衝突した。ヘリコプターは前方の山を迂回せず、直接病院へ向かおうとしたもの。乗っていた5人――パイロット、医療スタッフ2人、患者とその母親が全員死亡した。

 いずれも同じような事故で、初めから天候が悪ければもちろん飛行はしない。悪くなりそうだが、ひどくなる前には戻ってこられるはず。なんとかして患者さんを救いたいと考えて飛び出したのが仇になる。そういう臨界状態での事故ばかりである。

 ということは救急機の運航者の多くが今なお、過去の事例に学ぶことなく、昔ながらの危険な運航をしていることになる。これでは今後なお、事故は絶えないであろう。

旅客輸送なみの運航条件

 そこでNTSBは、この報告書の中でFAAに対し以下のような勧告を発している。この勧告は最終的には運航者に対するものだが、直接の指揮権を持つのはFAAであるところから、先ずはFAAに対する勧告となる。それをFAAが妥当と認めたならば、たとえば法制化するなどの方法で実行に移してゆくことになる。

 勧告の第1は、救急機の運航はすべて連邦航空規則(FAR)パート135の規定にしたがって運航するよう、法規を改めるべきというもの。現状は、患者が乗っていないとき――救急現場へ向かうときや、現場で治療した患者を救急車に託して戻ってくるときなどは、FARパート91で飛んでよいことになっている。

 パート91は一般航空(ジェネラル・アビエーション)に適用されるもので、自家用機や使用事業などがそれに当たる。飛行条件も比較的ゆるい。一方、パート135はコミューター航空やエアタクシーなどの旅客輸送に適用され、最低気象条件などの飛行限界が厳しい。ちなみに国際線や国内線などの定期運航は、運航条件のもっと厳しいパート121が適用される。

 上の55件の事故も、そのうち35件がパート91による飛行中であった。医療スタッフは乗っていたが、患者は乗っていない移動飛行である。したがってNTSBは、これらの救急飛行が患者搭載の有無にかかわらず、すべてパート135に従って飛んでいれば、事故に至る例も少なかったのではないかと見て、勧告を発したわけである。

 なお日本のドクターヘリは法規上、旅客輸送とほぼ同じような条件で運航がおこなわれている。したがって患者が乗っているかどうかといった区別もない。

系統立った危険予知が必要

 NTSBの第2の勧告は、救急機の運航者すべてが危険を予知できるような「リスク・アセスメント・プログラム」を作成し、それを実行するよう求めている。

 たとえば天候の悪化が予想されたり、日没に向かって飛ばなければならないとき、さらに救急現場の着陸地点が未知の場合どのような決断をするか。

 こうした悪条件が重なり合うような環境の下で飛ぶかどうか、飛ぶとすれば如何にして安全を確保するか、といった判断をするにはさまざまな状況を系統立って考える必要がある。なんとかなるだろうといった安易な気持ちで飛んだり、ヤマカンに頼ったり、パイロット独りだけの判断では間違った結論になりやすい。

 むしろ第三者――ここでは運航管理者や運航部長が客観的にパイロットの資格や経験を考慮して助言したり、是非とも飛んで貰いたいとか早く行ってくれといった外部からの圧力を抑えて、冷静な判断を導くようにすることが大切である。

 しかるに、事故を起こした運航会社のほとんどは、そうした危険予知や判断の方法について何のルールも定めていなかった。のみならず、リスク・アセスメント・プログラムのない会社は、飛行の可否を判定するディスパッチャーの業務についても明確な規定をもっていない。ディスパッチャーはパイロットに助言を与え、正しい判断の下に任務を遂行する役割を有するはずだが、そうした体制ができていないのである。

 したがって、そのような救急ヘリコプター会社は、消防本部や救急病院からの要請だけで決断をすることになる。しかし消防本部や救急病院には通常、航空の専門家はいない。飛行の可否に関する条件も知らない。特に夜間飛行の条件や気象悪化の問題について判断を下せる人は、まずいないであろう。このような悪条件について正確な情報をつかみ、的確な判断を下してこそ、事故は防ぐことができるのだ。

 そこでNTSBは救急機の運航会社が飛行の可否を判断するためのリスク・アセスメント・プログラムまたはマニュアルを正式に定め、航空に関する知識と経験のあるディスパッチャーを配置して、常に最新の気象情報を把握できる体勢をととのえ、パイロットの判断を助けるようにすべきであると勧告している。

 なお「危険予知」と意思決定の訓練については、本誌2005年12月号で取り上げた。

ジャンピング・ツリーの言訳

 NTSBの次の勧告は、救急機にはすべて対地衝突警報装置(GPWS)を取りつける必要があるとして、FAAに対し法規を改めるよう求めている。これで夜間や悪天候の中のCFIT――すなわち航空機には何の異常もないのに山や地面に衝突する事故は、大幅に減らすことができると見ている。具体的には上の55件の事故を詳細に検討した結果、17件は衝突警報装置があれば事故にはならなかったという推定である。

 霧の中の障害物探知とよく似た問題で、暗闇の中でも前方が見える手段として夜間暗視装置(NVG)がある。しかし視程不良は暗視装置では解消できない。

 もっとも暗闇の中を飛んでいて、前方に雲があるような場合、NVGをつけていると雲の存在が見えるので回避することができる。そんなときNVGがなければ、知らないままに雲の中に飛びこんでしまい、前後不覚になるかもしれない。

 救急機の運航者の中には、暗視装置を使っているところがあり、正しく使えば夜間の障害物回避に役立つであろう。しかしNVGを正しく使うためには特別の訓練が必要であり、大都会の光のまぶしい地域や街路の灯りの多いところでは使えない。したがってNTSBとしては、その利用は推奨していない。

 繰り返しになるが、NTSBはこの「特別調査報告書」の結論として、救急飛行は患者搭載の有無にかかわらず常にFARパート135の規定に従っておこなう。さらに救急飛行の出動前に系統立った方法で危険予知をおこなう。そのために知識と経験のあるディスパッチャーを置き、飛行の可否についてパイロットに助言を与え、飛行中はヘリコプターの位置を常に監視しながら刻々の気象情報を送りつづける。そして救急機には全て衝突防止装置を取りつける。こうした手段によって救急飛行の安全性は大いに高まり、事故は大幅に減少するだろうとしている。

 そこで冒頭のアメリカ人ドクターとの話に戻る。ヘリコプターの事故原因には「ジャンピング・ツリー」(jumping tree)とか「ジャンピング・ハウス」(jumping house)という言いわけがあるという冗談が話の中に出てきた。立ち木がないはずのところに降りていくと樹木がジャンプしてきてぶつかったというのである。建物にぶつかったときも、家が向こうから跳んできたという笑い話である。

 これは事故を起こした人の無理な言いわけであると同時に、危険は思いがけないところに潜んでいるという一面の真理でもある。障害物との衝突が冗談ですむくらいならばまだいい。笑っていられなくなったときが恐ろしいのだ。

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』2006年3月号掲載)

  【救急ヘリの危機管理――関連頁】

   ヘリコプター国際安全シンポジウム(2006.1.27)
   前途の危険予知(2006.1.23) 
   安全の確保は全関係者の責務(2005.11.29) 
   HAI白書「安全の文化」(2005.11.28) 
   パイロットを待ち受ける心理的陥穽(2005.9.26)
   なぜ老練パイロットが事故を起こすのか(2005.8.25)


離陸するライフフライト機。周囲に不時着場がないため、
カテゴリーAの離陸方式によって、まず垂直に上昇する。

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