<小言航兵衛>

 戦争の民営化

 

 

 イラクで日本人拘束という報道の中から、今や「戦争の民営化」が生じているという見方が出てきた。

 ここで民営化というのは、拘束された日本人が警備会社に所属していたためで、イラクに駐在する軍や政府関係者のテロ警備は民間企業がやっているらしい。ほかにもトラックの運転から爆弾処理に至るまで、命がけの業務に軍隊を上回る人数が1日およそ1,000ドルの高価な報酬でイラクに出稼ぎにきているとか。

 対するテロの方も、宗教的、政治的な信条に駆られてやっているのではなく、1回100ドルとかのお金を貰った一般人が攻撃してくるのだという。まことに驚くべき事態である。

 航兵衛としてはてっきり、イラクではアメリカ軍とテロ集団が闘っているのかとばかり思っていたが、実際はそれぞれに雇われた警備会社と貧しい大衆とが命の危険を承知の上で闘っていたのである。まさしく「民営化」にほかならない。

 15年前の第1次イラク戦争では、日本が血も汗も流さず、金を差し出して勘弁して貰ったといって世界中のひんしゅくを買った。けれども、あれは内心うらやましがられていたのである。したがって今や、日本を嗤った国々が日本の真似をして、金で買った傭兵たちに代理戦争をやらせているのだ。

 この際、日本の先進性は大いに褒められるべきであろう。ところが今の日本は逆に、バカ正直に自衛隊を派遣して汗を流している。血を流していないからまだいいようなものの、実際はそのとばっちりを受けた民間人が殺されたり拘束されたりしているのだから、どこかちぐはぐの感を免れない。

 こうして戦争までが民営化しているのに、日本では郵政の民営化でコップの中の嵐が吹き荒れている。まことに滑稽なことだというのは簡単だが、ここで問題にしたいのは国鉄の民営化である。

 JR西日本の問題はご承知のとおりで、民営化したために電車のスピードが上がり乗り換えが便利になって良くなったように思われていたが、福知山線の事故ですっかり化けの皮がはがれてしまった。

 ここで考えなければならないのは、郵政も国鉄も、民営化といっても既存の官営組織を株式会社の形に改めただけに過ぎない。これは形だけの民営化であって、本当の民営化ではない。

 真の民営化とは、戦争の民営化を手本にするわけにはいかないけれども、既存の民間企業に仕事を譲渡することである。武士の商法といえば褒めることになるかもしれぬが、公社や公団が株式会社に変わったといって、百年もたてばともかく、実態は変わるはずがない。むしろ不慣れな利益追求に走る余り、安全を忘れて堕落したのが今のJR西日本である。

 JRの経営陣が中間管理職も含めて、どれだけ社員を押さえつけ、いじめ虐待したか知らぬが、社員たちがテレビ・カメラの前で組合幹部を筆頭にここぞとばかり会社の悪口を言うのには驚いた。こんな対立があれば、事故の起こらぬ方が不思議といっていいであろう。

 航空界でいえば、日本航空も昔は国営だった。それが民営化されて株式会社になったものの、実態はどうなのか。最近のトラブル続きに見られるとおりである。

 この事態は旧JASとの合併の結果だという見方もあろうが、私は別の意味でそう思う。つまり官営体質と民間体質とが一緒になったところに問題が起こっているのである。空港の運営も民営化というので、空港公団が職員は同じままで株式会社に変わったりしているが、形だけではないことを願う。

 逆に純民間企業だからといって安心してもいられない。組織が大きくなれば、だんだん官僚化してゆくから、企業全体が一種の官営体質になってゆく。三菱自動車の例がそうであった。

 つまり同じ「民営化」という言葉を使っても、実際は官営組織の形だけを変える場合と、官営事業を民間企業に譲る場合の二通りがある。これらを、きちんと区別して見ておかねばならない。

 郵政の民営化も、本来ならば金融事業は民間銀行へ、保険事業は保険会社へ、物品の配達は宅配会社へ譲渡すべきで、単に呼び名を変えて株式会社にしただけでは真の民営化にならない。反対議員も安心していいのではないだろうか。

 そういえば今回、イラクで日本人を拘束したテロ集団はアンサール・スンナというそうである。つまり「安心すんな」というわけで、恐ろしい結果にならなければいいがと思う。

(小言航兵衛、2005.5.11)


民主化すなわち民営化したイラクの自爆

 

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