<米HEMS>

死亡事故のなかった日

 

 12月10日夜8時半頃、救急ヘリコプターが米イリノイ州の広い畑に突っ込み、パイロットと2人のフライトナースの合わせて3人が死亡した。おそらく今年初めての米救急ヘリコプターの死亡事故ではないかと思われる。

 事故機はシカゴ西方110km付近のロックフォード記念病院に所属し、メンドータ・コミュニティ病院へ患者を迎えにゆく途中だった。したがって患者は乗っていない。

 原因はまだ不明だが、周囲は刈り取りが終わったあとの広大なトウモロコシ畑で、障害になるような構築物や電線はなかった。

 ただ、当時の天候は余り良くなく、気温は氷点下で徐々に悪化しつつあり、みぞれが降り始めたところだった。そのため事故機は途中まで行って引っ返してきたらしい。そんな中をヘリコプターは、近所の人の目撃談では、かなり低く飛んでいた。なお基地病院が最後の無線連絡を受けたのは8時15分頃。その15分後に事故が起こったのである。

 事故調査は翌朝から米運輸安全委員会(NTSB)、米連邦航空局(FAA)、地元警察などによって始まった。

 死亡したクルーへの追悼の中には「他者の命を救うために生涯をかけて努力してきた最高のプロフェッショナルたちが、こんなことで自らの命をなくすのはまことに残念、かつ悲しい」という言葉が聞かれた。

 なお、ロックフォード記念病院がヘリコプター救急を始めたのは1987年。使っていたヘリコプターは欧州製のBK117で、製造後25年を経過し、年間600時間ほど飛んでいたという。


ロックフォード記念病院のHEMSシステムは
REACTと呼ばれ、BK117を使っていた

 ところで、今年10月シアトルで開催された米航空医療学会(AMTC2012)でシカゴ大学のブルーメン教授が講演し、アメリカの死亡事故がなくなって422日が経過したと語り、この良好な状態がもっと続くように「ノックオン・ウッド」と呼びかけたことは、本頁「二途物語」に記した通りである。

 しかし、その祈りもむなしく、ついに救急機の死者が出た。これで最後の死亡事故から471日目で死者ゼロの記録は止まったことになる。

 ブルーメン先生の話では、これまでの最長記録は1989年から91年にかけての510日間だった。それには及ばなかったものの、95年から96年にかけての458日は超えたことになる。

 このあたりのことを、先生はまた独自の解釈を加えながら、来年のAMTCで語るにちがいない。

(西川 渉、2012.12.13)

 

【関連頁】
   二途物語(2012.11.5)

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