ホームページをつくる者にとって心がけるべきは何か。それはアクセスしやすく、画面表示が速く、サイトの中の目的頁が探しやすく、見やすくて美しく、内容が読みやすくて分かりやすく、最後に出て行きやすいウェブサイトであろう。
しかるに、そういう完璧なサイトは必ずしも多くない。作者が間違った考え方でつくっているからである。特に最新のインターネット技術を駆使したサイトは作者の独りよがりで、「どうだ、カッコいいだろう」と思っているのは本人だけ。利用者にとっては迷惑以外のなにものでもない、と主張するのはわが敬愛するヤコブ・ニールセン先生である。
先生は3年前にウェブサイトの制作上やってはいけない10の間違いを発表した。これは今や、知る人ぞ知る古典となっている。本頁でもかつて紹介したことがあるが、先生は去る5月再び「新ミステーク10項」を発表した。
ここに、その内容を見てゆきたいと思う。ウェブサイトの作者ばかりでなく、利用者にとっても参考になるであろう。
インターネット・ブラウザーの左上についている「戻る」ボタンは、利用者にとってライフラインのようなもの。リンクのためのクリック操作に次いで2番目に多く使用するボタンである。これさえあれば、インターネットの沖合い遠くへ泳ぎ出しても必ず岸辺に戻ることができる。しかるに「戻る」機能をなくしてくれるサイトがあるが、これは広い洋上で人を迷子にさせ、溺れさせる犯罪みたいなものだ。
実際、こんなサイトに入ってしまうと、いくら「戻る」ボタンを押しても外に出られず、再び同じ画面に戻ってしまう。やられたということに気づくまでは機械の故障かと思い、まさに蜘蛛の巣(ウェブ)にからめとられた蝶のような気になる。最後は、そのブラウザーを完全に終了し、改めてもう一度立ち上げなければならない。
リンク操作をすると、その画面が変わるのではなくて、わざわざ新しいウィンドウを開いて表示してくれるサイトがある。すると、そのウィンドウからはもとに戻ることができず、いつまでも同じ画面で立ち往生することになる。これも前項と同じ考え方から発した手法らしく、自分の画面をできるだけ長く利用者の手もとに置いておこうというのであろう。
しかし、利用者の方は新しいウィンドウが開いたことに気づかぬ場合が多い。しかもスクリーンが小さい場合は、画面がごちゃごちゃして、混乱を起こす。ニールセン先生は「やたらにウィンドウを開いて私の画面を汚さないでもらいたい。新しいウィンドウが必要なときは、自分でやるよ」と書いている。
ウェブサイトは使いやすさが重要。そのため文字だけでなく、GUI(Graphical User Interface)――すなわち、絵や写真などのグラフィックを多用して視覚的にわかりやすくしたコンピューター操作機能を使うことが多い。だからといって勝手な絵文字をつくって「どうだ」というような顔をされても利用者はとまどうだけ。
絵文字、すなわちアイコンは一種の象形文字で、将来漢字のような発達を遂げるかどうかはともかく、未熟とはいえ、時間がたつにつれて共通の意味をもつようになってきた。そこへ、同じようなアイコンを使いながら異なった意味をもたせたり、同じ目的のために異なったアイコンをもってこられては困るのである。
利用者にとって、同じようなアイコンは同じような機能をもっていてこそ使い勝手が良いということになる。使い勝手が良ければ、そのサイトも好まれる。
たとえばニールセン先生のいう具体例は次の通り。「ニュートンの頭上になっているリンゴは必ずニュートンの頭に落ちるように、ラジオ・ボタンはいくつかの放送局の中から一つを選ぶものであって、放送局を選んだ上で“確認”のボタンを押して初めて、音声が聞こえてくるべきものだ。しかるに放送局を選んだ途端に音が鳴り出すような勝手な設定は、利用者をとまどわせ、アクセスを減らす結果になるだけ」
本の奥付にはたいてい著者の略歴が書いてあって、読者は未知の著者がどんな人か確かめたうえで本を買う。ウェブサイトの利用者も、その作者がどんな人か、信頼に足る人物かどうか、したがってホームページの内容も信頼できるかどうか知りたいと思うはず。「それには作者の略歴と写真が掲載されているとよい」というのがニールセン先生のご推奨だが、果たして如何。ご本人のサイトでも、写真はまだ見たことがない。
旧い文書はときに貴重な情報源となり、利用者の役に立つ。新しい情報はもちろん旧い情報より貴重だが、旧い情報もそれなりの価値がある。しかもオンライン上で貯蔵しておくのに、大した費用はかからない。推測するところ、旧い情報をいつでも取り出せるようにしておくのに、ウェブサイトの維持費は1割ほど増加するかもしれない。けれどもサイトの利用価値は5割も向上するのである。
そのうえ、旧い頁を廃棄してゆくと、せっかく余所からのリンクがつながっていたのに、それが切れてしまう。
サイトを移動し、URLを変更するのもよくない。これも、よそからのリンクやブックマークがつながらなくなってしまう。
新聞、雑誌、本など、従来のメディアは見出しの後にすぐ本文が続く。したがって見出しが正確でなくても、その場で本文を照合することができる。
ところがインターネットの題名は内容と切り離されて、独り歩きをすることが多い。リンク集のリストに入れられたり、検索エンジンの見出しに使われたりするからで、それ自体が的確に内容を示すものでなければならない。
さもないと、利用者の誤解を招いたり、せっかくの利用者を取り逃がしたり、アクセスしてきた利用者の期待にそむいて反感を買ったりする。
インターネット用語は現在、常に新しい言葉が生まれている。したがって、それを適切に使えばいくらか利用者の役にたつこともあるかもしれぬが、大抵の場合はそのサイトを損なう結果となってしまう。
サイトの作者は、そうした新しい用語を知っておくことは必要だが、それをすぐさまサイトの上で使うなどという軽はずみな真似はすべきでない。
ウェブサイトの利用効率を損なう最大のものは、反応時間が遅いことである。たとえばグラフィックを使いすぎて、画像が多すぎたり大きすぎると反応時間が遅くなり、利用者の反感を買う。利用者は常に料金を気にしながら、一刻も早く画面が立ち上がってくれと祈りつつインターネット・サーフィンをしているのである。
しかるに画面に動きを持たせようとして、やたらに最新の技術を使ったサイトがある。これも反応時間が遅くて、見る気がしなくなる。
もうひとつ反応時間が速いか遅いかは、ウェブサイトを保存し、提供しているサーバーの能力にも関連する。容量が小さくて、性能の悪いサーバーにサイトを置くと、それだけで反応時間が遅くなり、利用者の信頼を失う。結果としてサイトの側はビジネス・チャンスをも失くしてしまう。
ホームページを開設するときは、機能的なサーバーを使う必要がある。
インターネット広告の効果は、毎年減りつづけている。最近の利用者は、明らかに広告であるというような部分は見なくなった。
第1にバナー広告は、誰も目を留めない。バナー広告はサイトの中の位置や形状が決まっていて、そんなところへは誰も目を向けないのだ。
第2に広告といえば必ずチカチカ光ったり、やたら動き回ったり、文字が流れたり、消えたり、現れたりするけれども、そういうものも利用者には敬遠されるだけである。
したがって、これからのインターネット広告は、広告らしくないものがよい。
『航空の現代』もニールセン先生の教えに従って、できるだけ写真や図版を少なくし、単純素朴な画面で飾りをつけず、あとは読みやすく、面白い内容で勝負することを心がけている。上のミステーク10項目に照らして、合格か不合格か、あとは読者の皆さんの判定にまちたい。
もう一度、ニールセン氏によるホームページの禁忌事項を表示すると次の通りとなる。
1 「戻る」機能の攪乱 2 新しいウィンドウを開く 3 非標準的GUIの使用 4 作者経歴の欠如 5 旧来の文書の蓄積がない 6 新URLへの移動 7 内容を反映しない見出し 8 最新のインターネット用語にとびつく 9 容量の小さいサーバー 10 みえみえの宣伝広告 |
(西川渉、99.9.5)
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