原子時代から原始時代へ

――東海村事故を考える――

 

 東海村のいわゆる「臨界事故」の発生はロンドンで聞いた。9月30日夜、ロイヤル・ロンドン・ホスピタルの救急外科医リチャード・アーラム博士と食事をしてホテルへ送って貰う途中、車のラジオがニュースを伝えていた。早口の英語で何を言っているのか聞き取れなかったが、ドクターが「日本で何か事故が起こったらしい」とつぶやいた。

 私は大して気に留めず、ホテルに戻るとすぐ寝てしまった。ところが翌日、イギリスのテレビや新聞は朝からトップニュースで騒いでいる。その経過については、ここに書くまでもない。けれどもテレビには学者や評論家が登場して「何という愚かな日本であるか」といわんばかりの論調を展開していた。たしかに核燃料を作るのにバケツで混ぜていたというのだから、何を言われても仕方がない。今や日本は原子時代から原始時代に戻ったのである。

 それで思い出したのは、1986年に当時のソ連でチェルノブイリ原発の事故が起こったときのこと。事故から1か月ほどのちイタリアのヘリコプター・メーカー、アグスタ社を訪ねたことがある。そのときミラノのホテルで、生野菜は放射能の恐れがあるのでサラダは出しませんという張り紙が食堂に出ていた。チェルノブイリからミラノまで相当な距離があるはずだが、成程そんなに大きな影響があるものかと驚いた。

 東海村でも30万人の住民が屋内に足留めとなり、ものものしい防毒マスクや防護服を着た警官が道路の警戒にあたっているらしい。その光景がイギリスのテレビ画面にも映し出された。ここまでの事故を起こしたのでは、もはやチェルノブイリを嗤うわけにはいくまい。

 チェルノブイリの原発事故では多数の大型ヘリコプターが動員され、放射性物質の飛散を防ぐために、現場上空から低空で大量の砂や粘液剤を散布した。その効果がどれほどだったかはともかく、散布飛行をしたパイロットの多くがあとで死亡したという。これも東海村の作業員同様、放射能や臨界連鎖反応に対する無知のなせる結果である。

 いつぞや、3年ほど前であったか、防衛学者との間でその話が出たとき、日本はそんな莫迦なことはしない。自衛隊は原発事故はおろか、核戦争にそなえて放射能対策をした航空機やヘリコプターを保有しているといわれた。その程度の対策は当然のことだという口調であったが、もしもそうならば今回の東海村の事故でも出動させたらよかったのではないか。

 現に負傷者の搬送や首相の現地視察にヘリコプターが使われたようだが、それらの機材には放射能対策がしてあったのだろうか。先の防衛学者に具体的にどんな装備がしてあるのかを訊いたら、機密事項だから答えられないといわれた。うまく逃げられたけれども、そもそもそんな防護策をほどこしたヘリコプターが日本にあるのだろうか。私とのやりとりで言葉の行きがかり上、つい言ってしまったものの、本当は存在しないのではないか。私は怪しいと思っている。

 日本に戻ってきて不思議だったのは、新聞もテレビも平気で「ジェー・シー・オー」という言葉を連発していることである。JOCなら日本オリンピック委員会の略だと聞いたことがあるが、JCOとは初耳で、何のことか分からない。わずか10日余りの旅行で私は浦島太郎になったような気持ちになり、事故当日からの古新聞をひっくり返したけれど、ついに今日までJCOという会社のフルネームを見つけることができなかった。

 ひとつだけ「旧日本核燃料コンバージョン」という文字があったが、あとは民間ウラン燃料加工会社というばかり。おそらくは会社名に核燃料とかウラン燃料という言葉を使うと警戒されるので、他人には分からぬような名前に変えたのであろう。このあたりを探求するのがジャーナリズムの役目ではないのか。

 しかも、その頭にいちいち「民間」という言葉をつけて報道するから、政府とは何の関係もないことを強調する結果になっている。そのことを踏まえたうえで、科学技術庁の幹部が「JCOのやり方に腹を立てている」と他人事のようなことをテレビでしゃべっていた。しかし腹を立てているのは、科学技術庁に対する国民の方であろう。

 といっても、官僚が考えるような監督や管理を強化せよと言うのではない。そんなことをしても事故はなくならない。そうではなくて、教育や訓練を丁寧かつ着実におこなうべきだと言いたい。

 悪いのは現場の作業員ではない。その人びとに危険な作業をさせながら、無知のままに放置しておいたことである。科学技術庁も無知だったというのなら何をかいわんや。そうでなければ、幹部は世界中に日本の恥をさらした責任を取って、腹を立てるのではなく、腹を切るべきであろう。

(小言航兵衛、99.10.9)

(都立戸山高校同窓会誌『城北会誌』99年12月号に転載)

 

「小言篇」目次へ (表紙へ戻る)