踊る阿呆に見る阿呆
  

 

 NHKが夏の間、毎週月曜日の夜7時半から教育テレビで放送したインターネットの手ほどきは、まさに盆踊りの季節にふさわしい「踊る阿呆に見る阿呆」といった番組であった。

 番組の進行役は、何だか野ざらしみたいな女性で、話の途中で「斉藤、斉藤」と言うから、私は最初、友達の名前を呼んでいるのかと思った。ところがウェブ・サイトなどという、あのサイト(site)のことを言っているのである。どういうことかというと、まず声を出して「斉藤さん」を呼んでもらいたい。そうしておいて、次にサイトウの最後のウの字を呑み込んで、もう一度同じように発声して貰うと、この人の言い方になる。これを「棒読み」というのかどうかは知らぬが、単語の棒読みにほかならない。

 同じように「目盛、目盛」という。何のことかと思ったらメモりー(memory)の話をしているのであった。なるほど意味の上では一脈相通ずるような気もしないではない。あるいは家庭の主婦が、自分の亭主を「夫」というけれども、それと同じイントネーションで「ネット」というのが、この独身女性――かどうかは知らぬが――の言い方なのである。「チャット」も同じだし、茶臼岳と同じ抑揚で「マウス」というから、どうしても「魔臼」に聞こえてしまう。

 そして「ユーザー」「サーバー」「アドレス」「ジェーペグ(JPEG)」「リンク」など、カタカナ語はことごとくアクセントのない棒音を発するから実に耳障りである。そのため「テキスト」は「敵スト」――つまり敵軍がストライキをしているのか思ったりする。

 

 奇妙な言葉づかいは、こうした単語にとどまらない。「何々なんだよ」「そうなんだよね」という言い方が無闇に多い。たとえば「こうすればホームページにのせることができるんだよ」「うん、そうなんだよね」「指のマークに変わるんだよね」「うん、基本さえ分かれば案外簡単なんだよね」といい、「うん」がまた矢鱈に多い。

 日常の友だちどうしの会話体をわざと持ち込んで、親しみやすさを表そうとしているのだろうが、見るほうとしては何だか馬鹿にされているような気がしてくる。結局、見る方が馬鹿ならばやる方も馬鹿で、10回だったか12回だったか、毎週欠かさず見たけれども、インターネットの何たるかという内容は何にも残らず、ただもう奇天烈なしゃべくりだけが耳の底に残るという結果に終わってしまった。

 

 おまけにホームページの作り方を説明するときに、文字を大きくしたり強調したりする方法として「見出し1.H1」を利用するように教えていたのは間違いであろう。このことは、かねて古瀬幸広氏が『インターネット活用法』という本で憤慨している問題と同じで、私も本頁で取り上げたように同感である。

 つまり「大見出しは<H1>〜</H1>で囲む」というHTMLのタグ・ルールに違反して、大見出しでもないものに同じ処理をすれば、インターネットというデータベース網が検索をしてもゴミばかり集まって滅茶苦茶になってしまう。NHKの指導の内容はそうした混乱を助長しかねないのである。

 そのうえNHKは商品の名前は放送しないという不便な建前からか、画面に出てくるホームページ作成のソフトに何を使っているのか分からなかった。どんなソフトでもあんなにすらすら操作できるとは限らないし、今のところはまだソフトによって千差万別のはず。そのあたりの基本条件が明確でないために、おそらく後で初心者が同じようなことをやろうとしても、偶然に同じソフトを使った場合は別として、それ以外の人は大変な苦労を強いられたのではないだろうか。

 

 おそらくNHKの担当者としては、コンピューターとかインターネットというのは難しいもの、理解しがたいものという前提に立って、それを馬鹿な大衆に親しみやすく教えてやろうと考えたのであろう。そのために演ずる方までが馬鹿になってしまい、結局は馬鹿な番組が出来上がったという次第である。

 大衆というものはNHKが考えるほど馬鹿ではないし、インターネットだって仕掛けさえうまくできていればそんなに難しいものではない。コンピューターやインターネットが難しそうに見えるのは、機械やソフトが不完全だからである。つまり自分の未熟さには気づかずに、利用者が無知だと思っているのがコンピューターであり、それを取り巻く自称専門家たちなのだ。

 NHKも、次は真正面からインターネットに取り組み、正統な日本語で分かりやすく解説する番組をつくって貰いたい。

 (西川渉、97.9.12)

 

(目次へ戻る)