<ヘリコプター救急>

カナダ死亡事故(2)


オンタリオ州北部の地図。ジェームズ湾に面する
海岸沿いにムースニーとアタワピスカトの文字が見える

 カナダのヘリコプター救急は高い安全性を維持し、発足以来35年、死亡事故は一度もなかった。その素晴らしい成果について、HEM-Netでは今年3月『カナダのヘリコプター救急と安全の構図』と題する報告書を作成した。ところが、これができ上がってまもなく、死亡事故発生のニュースが伝えられた。

 本頁でも6月8日「カナダでも死亡事故」でそのことを書いたが、なにしろ5月31日の事故から1週間ほどしか経っていなかったので、よく分からないことが多かった。

 今1ヵ月近く経って、正確な状況が分かってきたので、ここに記録しておきたい。

 事故の発生は5月31日深夜0時13分頃だった。場所はオンタリオ州ムースニー飛行場周辺の雑木林の中で、飛行場からの距離は1.8キロ。

 ヘリコプターはNPO法人オレンジ(ORNGE)のシコルスキーS-76A。製造後33年という古い機体で、それが木立の中で大破していた。その残骸にまじって搭乗者4人の遺体も見つかった。パイロット2人と医療スタッフ2人である。

 このときの出動任務は、拠点としていたムースニー飛行場から200キロ余り北のアタワピスカトへ患者を迎えにゆくことであった。そのため4人が乗って離陸したが、1分も経つかたたないうちに連絡が途絶えた。事故当時の天候は高曇りの小雨で、うすい靄(もや)がかかっていた。けれども、飛行には何の支障もない気象条件だった。

 空港周辺は雑木林の湿地帯で、夜間の捜索が難しく、機体の残骸と4人の遺体が見つかったのは、およそ6時間後の明け方であった。

 この事故に関連して、カナダではいくつかの批判や疑問が報道されている。

 批判の中で最も手きびしいのは、運航者のオレンジ法人はヘリコプター救急事業から撤退すべきだという主張である。というのも、製造後33年も経過した古い機体を使うなど、保有機の用法について無神経かつ無能力ではないかというのだ。

 その背景にあるのは、経営陣がヘリコプター事業そのものに経験がなく、不慣れで、よく分かっていないという見方。したがってヘリコプター事業と救急事業について熟知する企業に事業を譲渡すべきだというのだ。「ヘリコプター救急は、知識と経験のある企業と人材がおこなうべき仕事だ」という論評も出てきた。

 オレンジ法人が実質的に、オンタリオ州のヘリコプター救急事業を始めたのは2012年であった。このときから実は、オレンジがヘリコプター救急のような複雑な事業には不適格だという批判もあった。というのは、それまでオレンジはカナディアン・ヘリコプター社と契約し、機材もパイロットも整備も委託していたからである。つまり名前だけの事業者だった。

 オンタリオ州のヘリコプター救急は、カナダでは最も早く始まった。先のHEM-Net報告書に書いたとおり、1977年に州政府が主体となり、カナディアン・ヘリコプター社と契約して、ベル212やシコルスキーS-76をチャーターした。ここまでは今の日本のドクターヘリと似たような契約体制といってよいであろう。

 ところが、2005年になって非営利法人オレンジが設立され、州政府の関連法人として、ヘリコプター会社の真似事をするようになった。機材もカナディアン・ヘリコプター社から中古のS-76を11機購入した。こうして非営利という名目の下にヘリコプター救急事業が始まり、2009年からAW139中型機を大量に導入することになった。

 そんなとき、2010年になって法人トップの金銭的な不祥事が発覚する。そのため2012年12月に全経営陣がしりぞき、新たな陣容で再発足した。その半年後に事故が起こったのである。

 航空界では経営陣や社長が替わると事故が起こりやすいといわれる。社内の空気が変わり、社員めいめいの気持が揺れて落着きがなくなるからかもしれない。いずれにせよ、こうしたテイタラク(為体)の経営陣では、これからも何が起こるか分からないというのが批判者たちの見方である。

 事故後のオレンジはS-76の飛行を一時停止したり、遠隔地への夜間飛行を取りやめたり、悪天候時の運航を自粛するなど、事業を縮小している。

 しかしオレンジに課せられた責務は、オンタリオ州内の住民に迅速かつ安全な救命救急手段を提供することにある。その責務が今や満足に果たせなくなった。オレンジの経営のあり方が問われることになったとして、次のような意見が見られる。

「ヘリコプターは、きわめて先端的な技術をもった航空機である。しかるに何の経験もない法人組織が、そういうものを使って連日連夜、休みなく仕事をするのは、やはり問題が多い。仕事自体も複雑かつ困難、そして危険なものである。素人が手を染めるのはやめるべきだ」

「実務は、従来通り、カナディアン・ヘリコプター社に委託すべきであった。同社はヘリコプター事業にも救急事業にも経験と知識を持っている」

 こうした意見に対し、オンタリオ州の厚生省長官は「オレンジは航空事業を続ける能力をもつと確信している」と語った。「オレンジは事故のあと、ヘリコプター救急事業の継続、発展、経営判断などについて完全に理解するに至った。今後は立派に仕事をしてゆくだろう」

 オレンジの事業縮小は、全体の事業の中ではごく一部に過ぎない。1月に社長兼CEOとなったアンドリュー・マカラム医師は効率的な事業運営をめざしている。「これが救命効果を上げ、安全性を高めてゆく」と語っている。そして就任以来これまで5ヵ月間、さまざまな決断を下しつつ、経営の建て直しをはかってきた。

 したがって今すぐ事業をやめる必要はないというのが、オレンジに対する州政府の見方だが、果たしてどちらが正しいのだろうか。

(西川 渉、2013.6.28)

【関連頁】

   カナダでも死亡事故(2013.6.8)

 

 

 


オレンジのAW139中型ヘリコプター。救急と救助に使っている。

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