バラマキ予算と弱腰外交

――オスプレイ事故(3)――

 

 オスプレイの事故原因はまだはっきりしない。けれども『アビエーション・ウィーク』誌(4月24日号)は、海兵隊の中間報告として、次のように報じている。 

 プロペラは回っていた。ドライブシャフトは作動しており、もとのままの完全な状態だった。エンジンも回っていてアイドル以上の回転数だった。ナセルは完全なヘリコプター・モードになっていた。

 これは事故機の残骸に関する初期調査の結果である。また事故機の墜落地点と僚機の接地した場所は、当初300mほど離れていたと報じられたが、車輪の跡などを調べてみると、60m前後の間隔だった。

 2機の接地点を問題にするのは、後続機が先行機の後流に巻きこまれた可能性を示唆するものかもしれない。しかし同じ60mの間隔でも、両機の位置関係はどうなっていたのか――前後に並んでいたのか、左右に並んでいたのか。それに、時間間隔はどうだったのか。この記事だけでは、そのあたりがはっきりせず、したがって原因についても何ともいえない。

 いずれにせよ海兵隊としては、機材上、設計上の問題は余り感じていないらしく、早くも飛行再開の手順を考えている。同じ『アビエーション・ウィーク』によれば、今後の飛行再開は、次のような3段階の手続きを経ておこなわれるという。まずテスト・パイロットによる飛行によって安全を確認し、次いで部隊パイロットが同乗者をのせずに飛行する。そして第3段階で同乗者をのせて飛ぶが、その最初の飛行には米海兵隊のジェームズ・ジョーンズ長官やマッコークル司令が同乗するというのである。

 最高責任者が乗るのは、ティルトローターの安全性を強調するためであろう。

 

 そのジェームス・ジョーンズ長官は、4月11付の『ニューヨーク・タイムズ』紙が「誰も欲しない航空機」という論説に対して、4月18日付けの同紙投書欄に次のような反論を書いていた。 

 オスプレイはこの国にとって「マスト・ハブ」の飛行機です。コストと運用の効果に関する分析と研究の結果、同機は21世紀に米国が遭遇するかもしれない危機に対応できるものであることが示されました。

 V−22は長年にわたって何千時間もの厳格な試験を経てきました。ティルトローターはまさにヘリコプターに代わるべき航空機であります。ヘリコプターは20世紀なかばの技術によって開発され、現用ヘリコプターの多くも30年前に製造されたものです。

 V−22のコスト問題が喧伝されていますが、わが国が軍事的な脅威にさらされた場合、コストは最重要事項ではありません。

 アメリカの兵士たちは、わが国が生産し得る機材の中で、最も安全で最も有能で最も進んだ手段を使う権利があると思います。

  『ニューヨーク・タイムズ』は本頁でも2回にわたって紹介してきたように、V−22オスプレイに反対し、生産中止を主張しているが、当事者の反論もきちんと掲載するのである。

 その2日後、4月20日付けの『ニューヨーク・タイムズ』投書欄に、元外交官からの次のような当初が掲載された。 

 私は、元外交官として、オスプレイの値段に仰天した。1999年度、アジア太平洋地域における米国の外交予算は3,600万ドルであった。オスプレイの1機8,300万ドルの半分にも満たないのである。そんなわずかな費用で、外交官たちは米国の政治的、経済的な威信を高め、よりよく理解して貰うための活動を展開しているのだ。

 対象国は17か国。その中には日本、韓国、中国といった重要な国々が含まれる。つまり、外交予算をもっと増やすならば、軍事予算はそんなに多くは要らないのである。

 昔から「バターか大砲か」というように、外交に金をかければ、国家間の争いも話し合いで解決できるから、兵器に金をかける必要はなくなるという理屈はその通りである。

 この意見はまさしく日本が実践しているところで、防衛予算を低く抑えこむ一方、ODAなどの海外援助に無闇に金を注ぎこんでいることはご承知の通り。国連への支払いも加盟国の1〜2位を争うほどで、しかも米国とちがって滞納もせず、真面目に払っているから実質は世界第1位である。

 湾岸戦争のときも莫大な金を出して、人や物を出さず、兵員も戦闘機も何にも派遣しなかったから世界中に馬鹿にされた。この投書をした外交官は、そういう日本のことを知ってのことだろうか。あるいは知っているからこそ、日本に学べとばかりに投書したのかもしれない。

 しかし、米国民の大多数は賛成しないであろう。

 

 『ニューヨーク・タイムス』はオスプレイに対する非難の矛先をゆるめようとしない。4月15日には、海兵隊のオスプレイ訓練が違法だったのではないかという記事をのせている。

 というのは、マラナ・ノースウェスト・リージョナル空港のような民間飛行場で夜間飛行をするときは、先ず照明施設を使わなければならないというのがFAAの規則である。もしも特殊な利用のために照明を消したままで発着するときは、規則適用外の許可を得なければならない。

 そこでオスプレイが訓練のためとはいえ、飛行場の明かりを消したまま飛んでいたのは、それが事故の原因だったかどうかは別として、正規の手続きを取っていたのかどうかが問題になる。それに対して海兵隊はFAAの許可を得ていたという。「海兵隊はナイト・ビジョン・ゴーグル(NVG)による飛行をFAAから許可されていた。だから照明を消して飛んでいたのだ」と。

 事故当時、この付近には4機のティルトローターが飛んでいた。うち2機はマラナ飛行場の上を飛び、ほかの2機はやや離れたところを飛行中であった。そして飛行場の上にいた2機がヘリコプター・モードで降下をはじめたとき、1機が高度60mから地面に突っ込んで大破したのである。このとき機体の照明は消してあり、パイロット2人はNVGをつけていた。

 ユマの海兵隊基地は、この訓練のためにFAAを通じて、フェニックスおよびツーソン周辺の航空関係機関やパイロットに対し、海兵隊が大規模な航空訓練をおこなうという通知を出していた。これは3月25日付の通知で、その中には航空機の照明を消してNVGを使うことも記載されていたという。

 一方、FAAは海兵隊から、そうした訓練の許可は求められていなかったという。訓練の内容に関する通知なども、海兵隊から受けていないと語っている。軍用機の事故をめぐって、軍当局と民間機関の間で奇妙な争いがはじまったのである。

 

 ところで、同じ4月15日付けの『ヘラルド・トリビューン』紙は「航空機かポークか?」と題して、オスプレイの政治的側面を衝いている。 

 湾岸戦争から10年、米国の軍隊は戦闘によって100人近い兵員の命を失ったが、実は1,000人以上の兵員を事故によって失くしている。先週末のV−22オスプレイの事故も19人の生命を奪ったが、これは軍用機事故の典型であった。このヘリコプターと飛行機の合いの子は余りに新しすぎて、信頼性に欠けるところがあったのではないか。

 軍事的な兵器の調達は超政治的である。それ故この種の事故が疑惑を呼び起こすのは必然である。大規模な兵器開発に見られるように、オスプレイ計画もまた議会のロビー活動によって支えられ、結果的に製造契約は全米40州にまたがることになった。

 1990年代初め、国防省は繰り返し、この計画を切ろうとしたが、議会はがんとして譲らなかった。しかし、こうして事故が起こってみると、オスプレイは軍事的な冷静な分析の結果ではなくて、各地に恩恵をばらまいた「ポーク・バレル」政治の結果ではなかったのかという疑問が出てくる。

 3軍が計画している調達機数にも疑問がある。たしかにオスプレイは、海兵隊がいうように、ヘリコプターでは足が届かないような遠い敵地へ着陸して、特殊任務に当たったり、味方の捕虜を救出する。あるいは戦場から一般市民を救い出すというけれども、そういう任務を遂行するのに、海兵隊がいうような機数が要るのだろうか。このような任務ならば10機以下の機数で遂行できるのではないのか。

 予算に限りがあるところからすれば、今の調達計画は余りに多すぎる。仮りにオスプレイが安全な航空機であるとしても、旧くなったヘリコプターの代わりに使うのは高価に過ぎるのではないか。

 この記事に出てくる「ポーク・バレル」とは、奴隷制の時代に農園主が塩漬けの豚肉(ポーク)を木製の樽(バレル)からつかみ出して奴隷たちに配っていた。同じように新しい法律の制定に当たって、多くの議員たちに何らかの権益を与えるような条件を含ませておいて賛同を得るといった政治手法をいう。これによって議員たちは、自分の選挙区へベーコンを持ち帰って住民たちに配り、次の選挙にそなえて票数を確保するのである。日本の「バラマキ政治」に当たるかもしれない。

 ここで三度び繰り返すけれども、私は米国民の税金がどのような使われ方をするか、関知するところではない。ただし景気浮揚策に名を借りた、日本のバラマキ予算は賛成できない。それに弱腰外交のゆえに高額の貢ぎ物予算を組まなければならないのも情けない限りである。

(西川渉、2000.5.3) 

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