上高森遺跡とピルトダウン人

 

 

 

 

 日本列島に人類が住んでいた痕跡は、いくらさかのぼっても、せいぜい1万年か2万年前と思われていた。そこへ、一挙に何十万年も前、北京原人よりも古い地層から続々と立派な石器が出てきたというのだから、これは驚かぬ方が不思議である。日本人の古代文化への夢はたちまちにしてふくれ上がり、教科書まで書き変えてしまった。

 ところが、その夢はまさにうたかただったらしい。あっという間に破れてしまって、あの古代発見の物語はねつ造だったと聞かされ、寝呆けまなこをこするほかはなくなったのである。日本の考古学が世界に恥をさらしたばかりでなく、韓国からは例によって、いわれのない非難が飛び出してきた。曰く、歴史を平気で書き換える日本人の悪い癖――すなわち、古代遺跡のねつ造は国民性だというのである。

 日本の学者や政治家は、それに対してどのような反論をしたのであろうか。ひとり「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝教授の言葉だけは聞いたが、同教授の言うように、誰もそんなことは考えていない。『国民の歴史』(西尾幹二著、産経新聞社)も「あまりにもかけ離れた数字は、人間の歴史の意識というものとつながらない。“原人”の足跡が日本列島に刻まれていてもいなくても、正直、私の人生観にはほとんど関係がはない」として、ねつ造による「発見」を初めから取り上げてはいなかったのだ。

 むしろ「つくる会」は、もともと関係がないはずで、問題はもっと大きく、しかも違うところにあるのではないか。答えるべきは日本考古学会などであろうに、いったい何をしているのか。

 

 ねつ造のニュースを聞いたとき、私はすぐにピルトダウン人と松本清張の小説を思い出した。

 ピルトダウン人というのは、英国のアマチュア考古学者チャールズ・ドウソンが1908年、サセックス州ピルトダウンの石切場で見つけたヒトの頭骨の破片である。やや古い骨で、彼はそれに通称「ピルトダウン人」、学名「エオアントロプス・ドウソニ」(曙人)という名前をつけた。

 やがて、きわめて原始的な形態をした下顎骨も見つかり、これこそはサルからヒトへの失われた鎖の環(ミッシング・リンク)であるとして注目され、ドウソンも大いに名声を博した。

 しかし、その後、世界各地で原人の骨が発見され、人類進化の系統樹が形づくられてゆくにつれて、ピルトダウン人が系統樹の中のどこにも当てはまらないという疑問が生じた。そして、ついにこれはヒトの頭骨とオランウータンの下顎骨とを組み合わせ、化学薬品で染色して古く見せかけたにせ物であることが判明する。

 余談ながら、近ごろ航空界の問題のひとつは、メーカーの正規部品でない偽造部品が安く出回っていることである。悪くすると飛行の安全にも影響する。史上最大の影響はアメリカの運輸長官とFAAの長官の首を吹き飛ばしたヴァリュージェットの事故(1996年、109人死亡)である。同航空が多用していたような偽造部品をアメリカ人は「ボーガス・パーツ」(インチキ部品)と呼ぶが、ピルトダウン人も「ボーガス・ボーン」というらしい。

 もっとも、そう呼ばれるようになったのは「発見」から40年後のことで、にせ物であるという確証は長い間つかめなかった。ところが1954年、大英博物館のオークリーがフッ素定量法で化石の年代測定の結果、ピルトダウン人の骨はほとんど現代に近いことが分かったのである。私はまだ学生の頃、この話を科学雑誌『自然』(中央公論社刊)に出ていた寺田和夫先生の文章で読んだ記憶がある。

 もうひとつ余談をつけ加えると、ドウソンという名前に漢字をあてると、藤村に近くなるところが不思議である。いうまでもなく、この人は今回のねつ造事件を起こした東北旧石器文化研究所の副理事長である。

 ピルトダウン人や上高森遺跡のようなことが何故起こるのか。その背景と思われる事情を描いたのが松本清張の『断碑』(『別冊文芸春秋』、昭和29年12月号)であった。アマチュア考古学者、木村卓治を主人公とする小説だから、これをもって何かの論拠にするつもりはないが、長い文章のところどころに次のような断片を読むことができる。

 

 当然のことながら、当時の考古学者は誰も木村卓治の言うことなど相手にする者はなかった。考古学が遺物の背後の社会生活とか、階級制度の存在とかいうことにまでおよぶのは論外だった。黙殺と冷嘲とが学会の返事であった。

 杉山(助教授)の所に見せにいく遺物も、……夜中の人目のない時に、懐中電灯をたよりにひそかに古墳の横穴を発掘して獲たものもあった。盗掘といわれても仕方のない行為であった。

 それは中学校だけの学歴の彼の一種の劣等意識からくる反発でもある。自分より高い教育をうけた同年輩や下のものに、彼は生涯、冷たい眼を向けとおしであった。

 (卓治は)熊田教授に、いきなり学問の上の質問をした。それだけでなく考古学について自分の考えを遠慮なく陳べた。杉山の(身をかがめておそれつつしむような)鞠躬如とした態度を見ると、むらむらとそんな気が起った。それは若い彼の一種の自己顕示であった。教授は微笑して聞いていた。

 大部分の在野の学者が官学に白い眼を向けて嫉妬する。

 卓治は彼らの悪態をついてまわった。客気に駆られた彼の論文が出るようになった。

 「土器における可搬性と定着性の問題を進めるように。それは一方は文化における放浪性と定着性の問題にもなろう」と言ったのが、聞きとれる最後の言葉となった。

 木村卓治は満身創痍で死んだ。

 今から半世紀近く前のフィクションだから、当時のモデルはあったようだが、現状は異なるであろう。しかし「可搬性と定着性の問題」などは、東北の遺跡で見つかった石器の断面と北関東の遺跡から出た石器の断面がぴったり一致したなどという奇跡が、もしねつ造でなかったならば、見事な証明になったかもしれない。

 もとより私自身、今の考古学界がどういうところか知る由もない。第一、小説の主人公は何かをねつ造したわけでもないから、今回の事件に当てはまるとも言えない。けれども研究所の副理事長が人の見ていない隙をねらって、わざわざ古代の地中深く石器を埋めに行くという「神の手」ならぬ奥の手を使わざるを得なかった背景には功名心いっぱいのアマチュアと、門外漢を寄せつけようとしない学者連中との間に、清張のいうような葛藤がなかったとは言い切れないのではなかろうか。

 ねつ造は無論ほめられたことではないが、何とかして権威者の鼻をあかし、世間をあっと言わせたい気持ちになったのも分かるような気がする。しかし、結果としてはむなしく、どこかもの悲しい事件であった。

(小言航兵衛、2000.11.19)

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