政府刊行物は電子出版へ

――『本とコンピューター』第2号を読んで――

 

 魅力ある誌名をもった季刊誌『本とコンピューター』第2号(1997年秋号)は電子図書館と電子出版に多くの頁をさいている。私も、かねてから関心を寄せてきたテーマで、興味深く読んだ。

 そもそも本頁の開設も一種の電子出版を考えたものだった。新聞や雑誌に断片的に書いてきた自分の著作をまとめて読んでもらうための、これは最も手軽で最も安価な方法である。本当の電子出版とはいえぬかもしれぬが、私のような素人でもそれに近いことができるのはインターネットのおかげというほかはない。

 さらに普通の本でも、絶版になったものは、電子本としてインターネット上で公開しようという呼びかけが、この『本とコンピューター』誌上でなされている。それを読んで、私も早速、昨年初めに出したヘリコプター防災と救急に関する本を丸ごとインターネット上で公開したいと考えた。拙著『なぜヘリコプターを使わないのか――危機管理の核心』である。そこで出版社に相談したところ、まだ早すぎるといって断られた。残念ではあるが、いずれはそうしたいと思っている。

 しかし私的な民間出版物はともかくとして、政府刊行物くらいは是非ともインターネット上で公開してもらいたい。たとえば経済白書、運輸白書、建設白書、防災白書、消防白書、警察白書などの白書類である。最近の白書は「白書」といいながら、本来の意味に反して表紙も中身も競い合うかのように色刷りになって、値段も高くなった。中には「厚生白書」のように、大蔵省印刷局ではなくて、外部の出版社から厚化粧で出ているものもある。いずれにしてもカラフルで値段の高いのが共通の特徴である。

 白書の出版によって、誰がどのように稼いだり、儲けたりしているのか知らぬが、本来税金で養われている官僚諸君が書いたはずで、著作や出版が本業ではあるまい。副業として刊行するのは構わぬが、インターネットのような手段ができたからには、先ずそこで無料で公開することを本来のあり方とすべきではないのか。

 同じように『官報』もインターネットで配布するのがいい。そうすれば高い費用をかけて印刷したり配達したりする必要がなくなるし、なによりも情報の伝達が速くなる。もっとも、そうすることによって失職したり既得権を失う人があるかもしれぬ。そういう団体(または企業)や個人は、上記の白書や次の報告書類と合わせて電子出版業務に転換すればよい。むしろその方が、よほど仕事量も多くなるであろう。

 霞ヶ関の省庁には、合わせて100を越える委員会や審議会があるそうだが、それら日本のトップ・クラスの頭脳集団がさまざまな課題について検討した結果が、立派な報告書にまとめられる。そうした成果を、われわれ部外者はほとんど目にすることができない。しかし、せっかくのものを一握りの官僚諸君が隠し持っているのは審議委員の先生方にも申しわけなかろう。

 先生方のご苦労に報いるためにも、わずかなお車代だけではなくて、頭脳と汗の結晶を全国民の前に公開すべきことは「情報公開」などという流行語を使わなくても当然のことである。これを紙の本にするとしても印刷費や造本代がかかるだけで、さほど沢山は売れないであろう。そのような場合、インターネット上の電子出版は最良の公開手段となり得る。

 法規類の電子出版も、実行してもらいたい。現在は『六法全書』や何々関連法規集などの本が多数出版されている。たしかに専門家のためには紙の本が不可欠で、私だって航空法やその関連法規集は常に参照する。つまり紙の出版は不要であるとか、なくせというのではない。

 そうではなくて、専門分野の法規類を手もとに置いておく一方で、ときには専門外の法規も必要になる。そんなとき、普段はほとんど見ないようなものを全て購入するのは大変だし、書棚にも余裕がない。

 おまけに電子出版であれば、文字の検索も容易にできる。めざす問題がどこに規定されているのか、一発でたどり着くことができよう。しかも電子本ならば、一つの法律だけではなくて、いくつもの法律や施行規則をキーワード一つで横断的に検索することができる。関連するいくつもの法規を一挙に拾い出すことができるのである。

 さらに法律の補足として出ている通達類がある。実は、この通達こそわが国行政機能の根幹をなすもので、官僚にとっては法律以上の大きな権限を生み出すものである。にもかかわらず、これは国会の審議を経ることなく、官僚の恣意によってつくられ、しかも国民の日常行動を縛るものとなっている。したがって、その実態をインターネットによって白日の下にさらすことは法律の電子化よりも重要かもしれない。

 

 国会の議事録もインターネット上で公開すべきではないだろうか。本会議はもとより各種の委員会での議員の発言が、多数の速記者によって記録され、立派な印刷物になっているのを見ることがある。ああいうものもインターネット上で手軽にアクセスできるようにしておけば、たとえば昨日の議会で公的資金の支出について、どんなやりとりがあったのか、誰がどんな発言をしたのか、有権者は簡単に知ることができる。

 また検索手段を使えば、ある特定議員の発言を今国会の会期中を通じて追っかけてゆくこともできる。次の選挙で投票すべきかどうかの判断材料にもなるであろう。 

 以上のような電子出版は大蔵省印刷局でも総理府広報室でも、簡単に実行できるはずである。議員諸公も選挙運動にインターネットを使っていいかどうかなどという幼稚な疑問をもつ暇があったら、是非こういうことを考えていただきたい。

 蛇足ながら、インターネットを選挙運動に使うのは当然のことである。時代遅れの法律があって、そにためにできないというのであれば、その法律を直ちに改正すべきであろう。また、それが議員諸公の手に余るのであれば早速「公職選挙法」をインターネット上で流し、問題の条項を指し示しておいて改正案を公募してはどうだろうか。

 なお、議員諸公の手に余るといったのは、先の総選挙でインターネットを使っていいかどうか、わざわざ法務省かどこかへ問い合わせた愚かな政党があったからである。答えは駄目といわれたらしいが、訊く方も訊く方なら答える方も答える方で、議員と官僚のどちらも時代錯誤であることは間違いない。

 以上、『本とコンピューター』第2号に触発されて、前からぼんやりと考えていたことがここに形をなしてまとまった。

(西川渉、97.12.12)

 

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