変貌するリージョナル航空

                           

一斉にジェット機種の開発へ

 リージョナル・ジェットの世界が騒然たる様相を呈してきた。主要な航空機メーカーがいっせいに新しいジェット機種の開発に乗り出してきたのである。

 その先鞭をつけたボンバーディア社がCRJ-200(50席)の開発に着手してからちょうど10年、就航数は300機に近くなった。加えて間もなくCRJ-700(70席)が飛びはじめ、CRJ-X(90席)の開発もはじまろうとしている。

 これを追うブラジル・エムブラエル社もERJ-145(50席)が順調に伸びており、胴体を短縮したERJ-135も試験飛行を終了、この夏から就航の予定。そして大型ERJ-170(70席)とERJ-190(90席)の開発も具体化しようとしている。

 やや遅れて同じ道を走ってきたのはフェアチャイルド・ドルニエ社。旧来のターボプロップ機、ドルニエ328をジェット化した328JET(32〜34席)の就航も近い。それを一と回り大きくした428JET(42〜44席)は開発着手に向けて販売努力が続き、一方で全く新しい728JET(70席)の開発がはじまった。いずれは928JET(90席)や528JET(50席)へ発展する予定。

 こうした状況を見て、かねてRJ85(85席)などの4発リージョナル機をつくってきた英アヴロ社も、最新の技術を採り入れた発達型RJXの開発計画を打ち出した。

 また仏ATR社も70席クラスの開発構想を暖めており、ついには会社が解散したはずのフォッカー70も復活がうわされている。そしてボーイング社は旧マクダネル・ダグラスDC-95を改称したボーイング717の小型化を検討中という。かくてリージョナル・ジェット市場には、今や世界のメーカー7社が入り乱れて競争する事態となってきたのである。

 それに対するエアライン側の動きも激しい。多数の会社が次々とリージョナル・ジェットを発注し、現用ターボプロップ機に代えてジェット化へ向かいはじめた。やがて欧米のターボプロップ機による地域航空路線は、大半がジェット化され、ターボプロップ機が少なくなってゆくに違いない。

 こうした動きは、メーカーとエアラインの双方を含めて、表1に示す通りである。

ドルニエは5機種を開発

 そんなめまぐるしい状況を如何に整理すればいいか考えているところへ、先日フェアチャイルド・ドルニエ社のヘルガ・ドリーセンさんの訪問を受けた。アジア地域販売担当部長のドイツ人女性で、付添いはニチメン株式会社の木原秀武航空機部長である。

 ドルニエ社も1996年、米フェアチャイルド社の傘下に入るや、ターボプロップ機の328を基本としながら、一挙にリージョナル・ジェットへ向かいはじめた。ドリーセン女史によると、現在ドルニエ社が最も力を入れているのは昨年5月に発表した728JET。去る2月の段階で予備設計を完成させ、間もなく本格的な開発に着手するという。この予備設計には、発注意向を表明しているルフトハンザ・シティラインやスイスのクロスエア、ドイツのユーロウィングなどの意見が採り入れられている。

 また最近、主翼と尾翼の開発にはスペインのCASA社がリスク負担で参加することになった。胴体はドルニエみずから担当するが、70人という比較的少人数の乗客だから、緊急脱出の必要が生じた場合も前後の通常ドアだけで間に合う。したがって非常口の必要がなく、機内の座席は前後に自在に動かすことができる。

 つまり座席配置はエコノミークラスだけならば左右5席、前後14列の70席だが、前方2〜5列を左右4席のビジネスクラス席に変更することができる。その場合、座席の位置を非常口に合わせる必要がないから、前後のピッチ間隔など自由に動かすことができるというのである。ほかにキャビンの前方と後方にトイレとギャレーがつく。

 エンジンは、GE CF34-8D3(離陸推力5,670kg)2基を主翼下面に取りつける。飛行性能は高度11,200mをマッハ0.81で飛び、航続距離は3,250kmに及ぶ。ただし地域航空路線では、そんなに長い区間は少ないから、たとえば東京〜名古屋間370kmならば40分足らず、東京〜広島間750kmならば1時間5分、東京〜鹿児島間1,100kmならば1時間半で飛行する。

 そして東京から那覇まで1,600kmを2時間10分で飛び、燃料補給なしで戻ってくることができる。いずれの場合も乗客は70人、貨物ならば7トン余りの搭載が可能。また標準大気状態での滑走路長は離陸時1,524m、着陸時1,372mである。

 今後の開発日程は2001年3月に原型1号機が初飛行、同年中に全部で4機が飛び、2002年3月に型式証明を取得、5月に就航する計画になっている。

 続いて1年ほどの間隔を置いて90人乗り928JETの開発を進め、2003年には就航の運びとなる。50人乗り528JETはその後の開発になるもようで、エアライン各社の要望にしたがって、これまでの728JETの次は528JETという順序を変え、大型機の方を先行することになった。(表4参照

 なお、かねて開発中の328JETは今年7月から就航する。また一と回り大きい428JETは、まだ注文がないようだがと尋ねると、ドリーセンさんは米国内のコミューター航空会社から注文を受けたと聞いている。ただし注文主の名前は公表されていない。パリ航空ショーまでには全てが明らかになるでしょうと語った。

 

5,000機の新市場が誕生

 ところで、リージョナル・ジェットと呼ばれる小型ジェット旅客機について、何故いま突然火がついたように激しい開発競争がはじまったのか。

 一つは航空界の世界的な規制緩和から20年、ようやくのことで地域航空という新しい事業分野が確立し、安定的に発展できることが明確になってきたからであろう。しかも、その推進力は、これまで30〜50人乗りのターボプロップ機が中心だったが、旅客はどうしてもジェットの方を好む。特に幹線航空を大型ジェットで飛んできた人が、ハブ空港でフィーダー便に乗り換えると、ターボプロップ機では急に待遇が悪くなったような印象を受ける。それにプロペラ機は何となく不安な感じもする。

 しかしコミューター路線に初めからジェットが飛ばなかったのは、小型機にジェット・エンジンを使うと燃料消費ばかり大きく、近距離路線では本来の能力も発揮できないので、不経済で採算に合わないとされてきたからである。確かにジェット・エンジンが適合するのは大型・長距離機であろう。ところが近年エンジン技術の進歩によって、効率の高い小型ジェットが実現し、経済的な機材が可能になったのである。

 そのことを実証したのはボンバーディアCRJであった。チャレンジャー・ビジネスジェットを基本として50人乗りとしたものだが、これを採用したアメリカのコミューター航空会社、コムエアが4〜5年にして事業規模を拡大し、売上げを伸ばし、利益を上げてきたのである。

 そうなると、ほかのコミューター航空も後を追うようになり、米国の主要なコミューター航空会社がいっせいに大量発注に踏み切った。50人乗りのCRJ-200とERJ-145を合わせて、ここ2〜3年のうちに500機を超える注文を獲得したのである。

 それに胴体を短縮した30席クラス、あるいは胴体を延ばした70席クラスを加えると、リージョナル・ジェットの受注数は1,000機を超える。そのもようは表2に示す通りだが、今後の需要予測はさらに大きい。各メーカーとも向こう20年間の需要は30〜50席クラスが約2,500機、70〜90席クラスで同じく2,500機、合わせて5,000機になるという。

 新しく開発した航空機が1機種で500機も売れたら一応の成功といっていい。とすれば、5,000機なら10機種分の市場があるわけで、これならばどのメーカーも身を乗り出すのは当然であろう。

 かくて今、新しい市場を発見した世界の航空界は、なだれをうってリージョナル・ジェットの分野に乱入し始めたのである。

 

ジェット市場を独り占め

 それでは、もう一度、各メーカーの動きを見てゆくことにしよう。先ずリージョナル・ジェットに先鞭をつけたボンバーディア社の動きである。

 CRJの開発がはじまったのは10年前。当時は小型ジェット旅客機が経済的に成り立つなどと考える人はほとんどいなかった。それだけにボンバーディアの先見の明は讃えられるべきだろうし、また、しばらくの間は競争相手のいない市場を独り占めにすることもできた。

 むろん初めから全てがうまく行ったわけではない。初めのうちはなかなか注文が取れず、メーカーとしても薄氷を踏む思いで計画を進めていった。そんな中で原型1号機がロールアウトしたのは1991年。初飛行は同年5月10日であった。量産1号機が最初の顧客ルフトハンザ・シティラインに引渡されたのは1992年秋のことである。

 そして翌1993年6月、米コムエアがCRJを導入するや、リージョナル・ジェットの真価が明確になった。当初は業務提携をしていたデルタ航空の、旅客が少なくて利益の上がらない路線に肩代わりのかたちで就航し、それまで737やDC-9が飛んでいた赤字路線から利益を引き出すようになった。距離が遠くても、旅客が少なくても、CRJは立派に採算を取ることができたのである。

 この肩代わり運航に続いて、次はコムエア自ら独自の路線を開き、デルタのハブ空港に遠くから乗客を運んでくるようになった。これも大きな成果を上げ、デルタとコムエアが接続するシンシナティ空港は乗降客が倍増し、施設が拡大して、米国有数のハブ空港に成長した。

 最近はターボプロップ機に代わって近距離路線にも飛ぶようになり、将来は全便ジェット化という基本方針が打ち出されるに至った。こうしたジェット化の結果は表3に見る通りで、CRJ導入前の1993年度に対する98年度の業績は、5年間で営業収入が2.6倍、乗客数が2.3倍に拡大した。使用機材は従来のターボプロップ機が半減し、ジェット機が大きく増加した。そのため従業員も2,000人未満が3,500人に増えるという成長ぶりで、これだけ人件費を増やしながら利益は5倍以上となったのである。

 今後は1999年秋までにCRJを80機に増やし、ターボプロップ機を20機以下に減らす計画である。そして2000年には全機ジェット化する予定だが、これを実現するために、コムエアのCRJ発注数は、CRJ-700を含めて確定130機、仮115機に及ぶ。そのうえ30席クラスのジェット旅客機についても発注を検討中と伝えられる。

 かくて50人乗りのCRJ-200は1992年秋の就航から6年余り、最近までに500機を超える注文を獲得した。1998年度は99年1月末までの1年間に72機を生産したが顧客の要請に追いつかず、来年の生産数は最大90機までもってゆくという計画も検討されている。

 またストレッチ型CRJ-700はいま最終的な組立て段階にある。間もなくロールアウトし、この5月に初飛行が予定されている。引渡しは2000年末からはじまる予定。最近までの受注数は96機である。 

BRJ-Xも具体化

 好調の波に乗るボンバーディア社は最近さらに大きなBRJ-Xの開発計画を打ち出した。今年中に開発着手できるよう準備中だが、そのため購入見込みのあるコミューター・エアライン14社を招いて顧問委員会をつくり、設計仕様や市場動向について意見を聞きながら設計を進めている。

 その結果、胴体断面は伝統的な円形断面ではなく、DC-9同様の二重円になった。これで階下の貨物室が広くなり、客席の頭上空間にも余裕ができた。キャビン内部の最大幅は3.25mで、左右5座席。天井の高さは2.09m。おそらく今年6月のパリ航空ショーでは、90席配置のキャビン・モックアップが展示されるであろう。

 主翼はボーイング767のそれに似て、スパン30m、後退角27度で、エルロン、スポイラ、および片側2組のフラップがつき、きわめて常識的な形状と構造をもつ。当初はグローバルエクスプレスに似て後退角が深く、スラットのない設計だったが、それではエンジンの取りつけ位置が問題になり、後部キャビンへのアクセスもむずかしくなる。またグローバルエクスプレスの主翼は12,000kmの長距離飛行をするために複雑にできている。そんな複雑なものは3,300kmを飛ぶBRJ-Xには不要だし、費用増加の原因にもなる。

 エンジンは1基あたりの推力が9トン程度で、PW6000、BMWロールスロイスBR715、CFM56-9などが候補にあがっている。今年秋までに最終選定を終わる予定。

 操縦系統はフライバイワイヤにするかどうか検討されたが、結論は今年秋に出る。採否の基準は機体の耐用年数を通じて費用効果が上がるかどうかということである。

 飛行性能は高度11,270mを最大マッハ0.82で飛び、航続距離は3,300km。離陸滑走路は1,585m、着陸は1,430mである。 

 今後の開発日程は、今年秋までに正式に開発着手を決め、3年以内に型式証明を取る予定。また将来は最小80席、最大110席までの派生型を考えるという。エアラインの要望は小型化よりも大型化の方に大きい。したがって90席の標準型の次は、110席型のBRJ-X-110に向かうもよう。

 

エムブラエル社も大型機へ

 ブラジルのエムブラエル社も負けてはいない。1996年秋のファーンボロ航空ショーで大量の注文を取って軌道に乗ったERJ-145は、2年間で100機を引渡した。量産100号機を受領したのはコンチネンタル・エクスプレスで、同社の39機目に当たる。コンチネンタルはERJ-145を確定75機、仮125機発注しているほか、短縮型のERJ-135についても確定25機、仮50機を発注し、合計なんと275機になる。

 ERJ-145の胴体を短縮したERJ-135は1997年9月に開発がはじまった。-145との間には90%の共通性があるという。エンジンもアリソンAE3007A3で、基本的には-145のAE3007A/A1と同じもの。(表6参照

 原型1号機は1998年7月4日に初飛行、1年後の今年7月には早くも就航の予定である。最近までの受注数は、両機合わせて400機に近い。

 その余勢をかって、エムブラエル社は2月11日、ワシントンで、全く新しい70席と90席のリージョナル・ジェットを開発すると発表した。ボンバーディア社やドルニエ社と同じ市場をねらうもので、ERJ-170とERJ-190と名づけられ、価格は2,100万ドルと2,400万ドルになるもよう。

 胴体はドルニエ728JETやBRJ-Xが左右5席の幅であるのに対し、エムブラエル機は左右4列。細長くて狭苦しい感じがしないかという危惧に対して、メーカー側は、この方が顧客が立ったり坐ったりするのに都合が良く、左右を人にはさまれる窮屈な座席もない。頭上の手荷物入れにも余裕ができる。地上作業員にとっては、胴体が長いのでサービス・トラックをつけやすく、ギャレーやラバトリーのサービス作業が容易になると説明している。

 また胴体の断面は「ダブル・バブル」で純円ではない。これはBRJ-Xと同様で、ヘッドルームの空間が広くなり、床下貨物室も大きくなる。天井の高さは丁度2m。床下貨物室は高さ0.9mである。

 最大離陸重量は34,000kg。CRJ-700の32,880kgや728JETの31,750kgよりもやや重い。最大巡航速度はマッハ0.8。最大運用高度は12,500mで、競争相手より1,200m以上高い。航続距離は2,700km。

 エンジンは未定だが、GE、プラット・アンド・ホイットニー、BMW/ロールスロイス、SNECMAなどが候補に挙がっている。

 開発は、おそらく今年夏までに正式決定になるもよう。作業はまずERJ-170からはじまり、2002年5月の引渡し開始が目標。開発費用はおよそ6億ドルで、エムブラエル社みずからの資金は3分の1。残りはリスク負担のパートナーや金融機関に依頼することにしている。

 ERJ-190の開発はその後におこなわれ、1億5,000万ドルの費用が追加になる。型式証明と引渡し開始は2004年なかばの予定。最大離陸重量は42,180kgで928JETを4,500kgほど上回る。けれどもBRJ-X-90よりも3,170kgほど少ない。航続距離は2,960kmだが、増加タンクをつければ3,600kmまで伸ばせる。

アヴロやボーイングも参入

 以上のような3社の動きに対抗して、欧州では英BAeの子会社、アヴロが動き始めた。最近BARA(British Aerospace Regional Aircraft)と呼ぶようになった同社は去る2月16日、旧来のRJシリーズを基本とする改良型RJXの開発構想を明らかにした。RJX-70(70席)、RJX-85(85席)、RJX-100(100席)という3種類の派生型が計画されている。

 エンジンはアライドシグナルAS977-1Aターボファンが4基。現用RJシリーズのLF507エンジンよりも静かで、燃費が15%少ないうえに、推力は5%大きく、航続距離が17%伸びて経済性が高くなるという。今年秋には正式に開発着手し、2001年5月の就航をめざしている。

 なおアヴロRJシリーズは、かつてのBAe146を発展させたもので、ロンドン・シティ空港のような短い滑走路でも発着可能といった、すぐれたSTOL能力を持っている。ただしエンジンが4発であるために、経済性が重要な問題となる地域航空会社にとっては、必ずしも使いやすい機材ではなかった。

 アヴロに続いて、いったんは計画断念となったAI(R)70が復活するかもしれないという動きも見られる。1996年頃に計画された70席クラスの双発ジェットで、あのまま続けていれば今頃は大いに活気づいたであろうと思われるが、今や3社のうち英ジェットストリーム社が脱けたので、計画を進めるとすれば仏アエロスパシアル社と伊アエリタリア社の合弁、ATR社が担当する。

 胴体は現用ATR72のそれを使うようだから、これもターボプロップのジェット化といえるかもしれない。機内は左右5席で、総数70〜75席。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー/SNECMA SPW14ターボファン2基が胴体後部につくもよう。開発が決まれば2003年初めに引渡しを開始。その2年後には55〜60席の短縮型、最終的には85〜90席のストレッチ型にも発展させるという構想である。

 もうひとつフォッカー70がよみがえるという話もあるが、どうだろうか。それよりも、もっと具体的なのはボーイング717である。717-200(106席)は昨年9 月2日に初飛行し、今年9月の引渡し開始をめざして試験飛行が進んでいる。ボーイング社はこれを基本として、地域航空向けに胴体を短縮する717-100Xの開発を検討中。機内は85席になる予定である。

 

大躍進がはじまった

 アメリカでは1998年末現在、地域航空界におけるジェット機の座席提供数は全体の22%に達した。このジェット比は2003年までには半分以上の55%になると見られる。老朽化するターボプロップに代わって、代替機として登場してくるのはターボジェットというわけである。といって将来、ターボプロップが完全になくなるわけではないし、またターボジェットはターボプロップの代わりになるだけではない。むしろターボプロップとは異なった新しい路線を拡大し、新しい寄港地を増やしてゆくことになろう。

 特に将来、地域航空といっても30〜50人乗りの小型機ばかりで需要に応じていこうとすれば、機数と便数ばかりが増え、せまい空域に沢山のリージョナル機がひしめき合って飛ぶことになる。無論それに応じるだけの空域はないし、空港の受入れ能力にも限界がある。それのうえ混雑や遅れが生じるばかりでなく、経済的な効率が下がり、ついには安全が損なわれる。そこで高速のジェットが必要になり、しかも50席ばかりでなく、70席、90席クラスの大型機も必要になってくるのである。

 アメリカでは、かつて地域航空がパパママ・エアラインと呼ばれていた。当時は15人乗りか、せいぜい19人乗りの飛行機を使って、パパが操縦し、ママが切符を切るといった小さな家内事業に過ぎなかった。それが規制緩和の波に乗って20年間の成長を続け、機材はジェットを使い、毎日何百便、何千便も飛ばすような規模になったのである。

 10年前に考えられていた地域航空と今の地域航空とは全く異なる。10年後の地域航空も、ジェットによる量的な拡大と質的な変化が相まって、さらに大きな変貌を遂げるであろう。

 いま、地域航空の大躍進がはじまったのである。

(西川渉、『航空情報』99年6月号掲載)

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