<空中衝突>

ハドソン川上空の疑問

 ニューヨークのハドソン川上空で起こったヘリコプターと軽飛行機の空中衝突について、米国運輸安全委員会(NTSB)が事実関係だけの速報を公表した。概要は次のとおりである。

 

 事故が起こったのは2009年8月8日土曜日午前11時53分。ユーロコプターAS350BAヘリコプターとパイパーPA-32R-300軽飛行機の空中衝突。場所はニュージャージ州ホーボーケンに近いハドソン川上空である。

 ヘリコプターには事業用操縦士の資格をもったパイロット1人とイタリア人観光客5人が乗っていて全員死亡。パイパー機には自家用パイロットと同乗者2人が乗っていて、やはり全員が死亡した。

 天候は良好。有視界気象状態にあり、両機ともにフライトプランは申請していなかった。その必要がなかったためである。ヘリコプターの遊覧飛行は連邦航空規則(FAR)パート136コード14に従っておこなわれていた。また軽飛行機の方はFARパート91に従っていた。

 ヘリコプターはマンハッタンのハドソン川に面する西30丁目ヘリポートを11時52分に離陸した。レーダーに残された記録によると、高度1,100フィートまで上昇したヘリコプターは、川沿いに南下した。そしてホーボーケンのスティーブンス・ポイントで無線周波数123.05MHzにより位置通報をした。

 一方、パイパー機はマンハッタンの西北120km付近のティータボロ飛行場から11時49分に飛び立った。ティータボロ管制塔は、パイパー機に対し、南方空域にヘリコプターが飛んでいることを告げると共に、高度1,100フィート以下を維持するよう指示した。出発時のパイロットからの要求は高度3,500フィートで飛びたいというものだったが、有視界飛行は1,100フィート以下に限られ、それ以上は管制空域になるためである。。

 パイパー機がハドソン川に近づいたとき、レーダーの記録で見ると、前方に数機の航空機があり、その中に事故機のヘリコプターもまじっていた。そのときティータボロ管制塔にいた管制官2人のうち1人は地上管制にあたり、もう1人は電話に出ていて、パイパー機前方の航空機に注意するよう助言をすることはしなかった。

 このような空域の状況を見ていたニューアーク空港の管制官は、ティータボロの管制官を呼び出し、パイパー機のパイロットに衝突を避けるため針路変更の指示を出すよう助言している。ティータボロの管制官は直ちにパイパー機へ呼びかけたが、返事がなかった。その直後に衝突が起こったのである。

 実は、これより先、ティータボロの管制官は電話に出る前、パイパー機に、ハドソン川に近づいたらニューアーク管制塔と周波数127.85MHzでコンタクトするよう指示していた。しかし何故か同機のパイロットはそれをしなかった。


図中左上の灰色の線はパイパー機の飛行経路。赤線はその上の高度を示す。
(ニューヨーク・タイムズ、2009年8月9日付)

 繰り返しになるが、西30丁目ヘリポートを11時52分に離陸した遊覧ヘリコプターは、12分間の飛行予定であった。管制空域外を飛ぶので、管制塔とコンタクトする義務はなかった。しかしニューアーク管制塔は11時52分27秒、レーダーでヘリコプターの離陸したのを知る。このときヘリコプターは川の中ほどを西へ向かって高度400フィート付近を上昇中だった。

 そのまま川を横切るような格好で対岸近くまで飛び、それから機首を左へ振って川沿いに南下しはじめた。これはリバティ・ヘリコプター社がいつもやっている遊覧飛行の飛び方である。ヘリコプターは南下しながら高度を上げ、11時53分14秒、高度1,100フィートで飛行機にぶつかった。

 NTSBの発表はさらに、事故発生の後、ティータボロとニューアークの管制官のやりとり、軽飛行機への呼びかけなどが秒きざみで書いてあるが、ここでは省略する。

 また事故の翌日引き揚げられた両機の残骸は、ヘリコプターの主ローターとトランスミッションが分断し、飛行機からは主翼が分解していた。

 なおパイパー機のパイロットは60歳。自家用免許で、単発、双発、計器飛行の資格を持っていた。飛行経験は1,020時間。ヘリコプターのパイロットは32歳。事業用操縦士と計器飛行の資格を持ち、飛行経験は3,010時間であった。

 事故当時の天候は晴れ、風速1.5m、視程10マイル、気温24℃であった。


リバティ・ヘリコプター社の遊覧飛行中ハドソン川上空から撮った
西30丁目ヘリポート
長く突き出している桟橋は臨時の駐機スポット
(2001年3月23日筆者撮影)

 NTSBの発表はここまでだが、これを読んだ人は当然、ティータボロの管制官が電話に出ていたことを問題視するであろう。というのは、どうやら私的な電話だったらしい。航空交通の輻輳した空域へ飛行機を送り出していながら、その後は別のことにかまけていたのではないかという疑問である。ちなみにNTSBの調査によれば、事故発生前の8日間に、事故の地点から3マイル以内の空域を飛んだ航空機は1日平均225機であったという。

 しかしまた、この管制官はパイパー機のパイロットにニューアーク管制塔とコンタクトするよう指示していた。したがって、管制官の責務はそこで終わったのであって、次は管制官の指示に従わなかったパイロットに問題があるという見方も出ている。

 とはいえ、少しでも危険な兆候が感じられたならば、自分が担当であろうとなかろうと、責任や義務があろうとなかろうと、パイロットに助言するのも管制官の役目ではないのか。電話に出ていたために、その役目が果たせなかったのではないのかとも考えられる。

 しかしティータボロ管制塔のレーダーで、ハドソン川上空の航空機を明確に見るのはむずかしい。電話に出ていなくとも、危険を察知できたかどうかは分からないという意見もある。

 もうひとつの問題は、この事故発生のとき、管制塔の責任者がその場にいなかったことである。席を外して外へ出ていたのだ。

 こうした微妙な問題について、NTSBも連邦航空局(FAA)も公式見解は表明していない。けれども内部ではさまざまな検討がなされており、FAAでは管制官と責任者の処罰も考えているらしい。というのは「電話に出たり席を外したことが直接、事故の原因に結びつくとは限らない。けれども業務中のそうした行為を見過ごすわけにはゆかない」というのがFAA上層部の考え方である。

 これらの論議は事故からまだ10日も経っていないときのものである。したがって原因究明に結びつく材料はこれから出てくるのであろう。ただ一つだけ、ティータボロの管制官が本当にNTSBのいう通りの行動をしていたとすれば、ちょっと考えられないことではある。

 事故は航空に限らず、交通事故でも火災でも、通常であれば何でもないことが問題になり、余り知られたくないことが表出してしまう。二重の恐ろしさをもっているといえるかもしれない。

【関連頁】

 ハドソン川上空で空中衝突(2009.8.15)
 ワールドトレード・センターの生涯(2002.10.1)

(西川 渉、2009.8.20) 

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