そば屋のそばに着陸すると

 先頃、ヘリコプターでそば屋のそばに降りた人が、航空法違反で逮捕されたというニュースが報じられた。各紙が大きく取り上げ、朝日新聞の場合も大変な悪事を働いたような大見出しがおどっていた。しかも警察としては長期間の内偵を重ねて、苦労の末に犯人をつかまえたというような書きっぷりである。よほど危険なことか、目に余ることでもあったのならともかく、新聞には何も書いてなかった。

 とすれば、ここで法律違反を奨励するわけではないが、何故そんなことが全国紙の大きな記事になるのか分からない。新聞社も沢山のヘリコプターを使っている。取材の対象によっては、どこかに降りることもあろう。その場合、航空法の手続きが間に合わずに、口をぬぐって知らぬ顔をするとは思えぬが、事後処理ですますことはないのだろうか。

 そうでないとすれば、ヘリコプターは何のためにあるのか。何のために使うのか。ヘリコプターの本領は、新聞社の場合、迅速かつ便利に事件の現場へ飛べることにある。余りに便利すぎたり、新聞社どうしの取材競争が激しすぎるせいか、同じ取材飛行でも、やや行儀の悪いのが新聞社の機体である。その証拠に、ときどき空中衝突を起こして、お互いにもっと行儀良く飛ぼうという申し合わせの端緒になったのも新聞社のヘリコプターであった。

 余談ながら、新聞社の機体は多少の法規違反があっても運輸省の咎めは少ないという話を聞いたことがある。だから事件現場でも我が物顔の飛び方をするのである、と。それに対してテレビ局の取材機はたいていヘリコプター会社のチャーター機である。したがってテレビ・カメラマンの「あそこへ降りてくれ」とか「もっと低く」といった要求に応えていると、あとで運輸省の罰則を食らうのはテレビ局ではなくてヘリコプター会社であり、パイロットである。だからテレビの方は法律に触れるような飛行はしない。

 もっとも最近は申し合わせもあって、新聞社のヘリコプターもだいぶ行儀が良くなったらしい。それにしても、そんな自分のことは棚に上げて、他人のちょっとした違反を大罪を犯したかのような記事にするのはどうも理解しがたい。

 おそらくは自社の航空部の実態を知らず、ヘリコプターの存在意義を考えたことのない無知な記者の書いたものであろう。

 実は、ヘリコプターを自在に操って、昼食でも食べに行こうという使い方は、ヘリコプターの特性を生かした理想なのである。ヘリコプターは自在に空を飛べると同時に、ちょっとした空地があればどこにでも降りることができる。だからといって法律違反や他人迷惑や危険や事故があっては困るのだが、そういう便利な飛び方がもっとどんどんできるようにならなくてはならない。

 私もヘリコプターで昼食に行ったことがあって、あれは生涯最高の贅沢な昼食だったと、20年後の今でも思っている。むろん法律違反をしたわけではない。

 いま自分の車で郊外のファミリーレストランなどへ行って昼食を食べてくるくらいは、誰もがやっていることで決して贅沢とはいえないが、しばらく前まではとても考えられないことだった。ヘリコプターも、いずれはマイカーなみに使われなければならないのである。その芽をつぶすのが、あの新聞記事であった。

 ところで、そば屋のそばに着陸するとなぜ逮捕されるのか。航空法第79条(離着陸の場所)に違反したからである。そこには「航空機は、陸上にあっては飛行場以外の場所において……離陸し、または着陸してはならない」と定めてある。つまり、そば屋のそばは飛行場ではないから、この規定に違反したのである。

 ただし、同じ条項の後半に「運輸大臣の許可を受けた場合は、この限りでない」という但し書きがついている。そば屋のそばでも、あらかじめ運輸大臣の許可を取っておけばよかったのだ。

 しかし許可を取るには手間ひまのかかる複雑な手続きが必要である。ヘリコプター会社も、こうした手続きのための専門要員を何人か置いているほどで、私も新入社員の時代はその1人だった。ヘリコプター会社としては、田んぼの薬剤散布をするにも山の中の資材輸送をするにも、現場に着陸できなければ仕事にならないから、飛行場外の離着陸許可を取るために往時の新入社員は必死だった。

 にもかかわらず、すべて許可が貰えるとは限らず、会社からは許可が出るまでは戻ってくるなといわれて、航空局の廊下を当てもなくさまよい歩いた覚えがある。自家用機の場合はそんな専門要員もいないだろうから、飛行場外の着陸許可を取るのは大変であろう。面倒くさがる人が多いに違いない。

 だからといって法規上の手続きをしなくていいことにはならぬといわれるかもしれぬが、実はこのような法律条項をもっている国は、世界中を見わたしてほとんど存在しないのである。言い換えれば大抵の国は、欧米の先進国を含めてほとんどの国が、航空機はどこに降りてもいいし、いちいち大臣にまでお伺いを立てる必要はないのである。

 自動車は道路以外の場所を走ってはいけないという法律があるだろうか。空き地を横切ったからといって、他人に迷惑をかけなければ、逮捕されるようなことはないだろう。

 航空機についても、同じような考え方をしている国が多い。ただし旅客輸送とか操縦訓練とか、何か特別のことをするときは届け出や許可を取らなければならない。つまり原則は自由で、例外的に規制をかけているのである。それに対し、日本の場合は原則禁止、例外的に許可を出すという定めになっている。まさに中央集権的官僚統制を象徴する典型といってよいであろう。

 悪法も法なりというかもしれぬが、その一方で、法律づくりは罪づくりという言葉もある。規制はできるだけ少なくして、なるべく罪人を出さないようにしなければならない。などというと、日本は法治国家だといわれるかもしれない。

 けれども、ここで法治国というのは意味が全く逆である。法治国とは国民の側が政府や官憲を規制する思想なのである。警察が恣意で国民を逮捕したり、税務署が勝手に税率を上げることのないよう、文字通り法をもって治めることであって、法的な根拠のない権力を振り回してはならないということなのだ。その意味で、法律に定めのない行政指導や通達行政がまかり通っている日本は、まさに無法国家であり、とうてい法治国家とは言えないのである。

 法律は国民の代表がつくるものである。したがって国民を縛るためのものではない。国民がわがままな王様を縛るためというのが「法治国家」の起源なのだ。

 新聞記者諸君ももう少し勉強して、そば屋のそばに降りて逮捕されたなどという野暮な駄洒落を書くだけでなく、世界的に例の少ない場外着陸の規制が如何にあるべきか、そういう問題をこそ取り上げて貰いたいものである。

(小言航兵衛、98.3.18)

 

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