<2001年9月11日>

そのとき何があったのか

 

 3年前の9月11日夜10時前、テレビの報道番組を見ていた家人が「ニューヨークで飛行機がぶつかったらしいわよ」と大声を上げた。わが家では長年、飛行機やヘリコプターの事故があると知らせてくれる習慣になっている。私は書斎にいて、テレビは見ていなかったが、あわてて跳んでゆくと、ワールド・トレード・センターから黒い煙が立ち昇っていた。

 放送局でも、何のことかほとんど分からぬまま、あれこれと憶測をしゃべっている。しばらく見ていると2機目がぶつかった。テレビ画面の右手から入ってきた機体が、ツインタワーの向こう側を大きく回って、いきなり左側からタワーに飛び込む。この場面が繰り返し放送される。何度も見ていると、機体が軽飛行機やビジネスジェットの類ではないことに気がついた。

 初めのうちは、小型機が編隊飛行でもしていたのかと思っていた。長機がどこかへ突っ込むと、後につづく僚機も同じように突っ込むという壮烈な美談である。しかし旅客機が編隊で飛ぶはずはないし、編隊にしては時間があきすぎている。

 そのうちにワシントンでも、国防省の駐車場で爆発が起こったという話題が持ち出された。ニューヨークの事件と関係があるのかないのか。何ごとかと思っているうちに突如、煙を噴き上げていたワールド・トレード・センターが土煙を上げて崩れ落ちてしまった。テレビの前で思わず坐り直したものである。(加筆、2004.9.11)

 これらの出来事は無論ご存知の通りだが、あれから3年、改めて詳細を時間を追って見てゆくことにしよう。 2001年9月11日アメリカ北東部で何が起こったのか。いくつかの文献を総合すると、以下のようになる。

 なお、ここに頻出するいくつかの略号を、あらかじめ整理しておく。

WTC

ワールド・トレード・センター(北棟と南棟のツインタワーから成る)

AA11

ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便(ボーイング767)。WTC北棟へ突入。

UA175

ボストン発ロサンゼルス行きのユナイテッド航空175便(ボーイング767)。WTC南棟へ突入。

AA77

ダレス空港発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便。(ボーイング757)。ペンタゴンへ突っ込む。

UA93

ニューアーク発サンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便。(ボーイング757)。ペンシルバニアへ墜落。攻撃目標はホワイトハウスか議事堂か国務省か、今も不明。

NORAD

北米航空防衛司令部(North American Aerospace Defense Command)

05:33 
 テロリストのモハマッド・アタと仲間の一人がメイン州ポートランド空港に入り、保安検査を受けた。両名とも何事もなく検査を通過したのは5時44分。このときの様子は後にモニターカメラに残っているのが発見されたが、犯人らのこの日の足取りが記録されたのは、この写真だけであった。

05:53
 上記2名がポートランド空港でボストン行きのコルガンエア便に搭乗。

06:00
 コルガンエアがポートランド空港を離陸。両名は離ればなれの席にすわり、互いに素知らぬ顔で話をすることもなく、他の乗客の注意も引かなかった。

 

06:00
 ブッシュ大統領は前の晩から、フロリダ州ロングボートのコロニービーチ・ホテルに宿泊していた。ホテルの屋上には地対空ミサイルを据え付けて警戒。大統領は午前6時頃起き出し、朝のジョギングの準備を始めた。

 その頃ホテルの前に1台のバンが現れ、大統領にインタビューを申し入れてきたが、あらかじめアポイントがなかったため断られた。これが本物のメディアだったか、暗殺者だったかは不明。

06:30
 NORAD(北米航空防衛司令部)の仕事が始まった。この日は偶然にも年に1度の特別訓練の日だったため、全米の要員全てが出勤して配置についていた。あとで事件が起こるわけだが、その結果はNORADの反応が決して良くないということではなかったが、もし訓練中でなければどうだったろうか。

06:30
 ボストン・ローガン空港の駐車場で、1人の人物と5人の中東人との間で口論が起こった。テロ事件のあと、この人物が当局に口論のあったことを届けたため、駐車場を調べるとモハメッド・アタの借りたレンタカーが残っていた。その中に空港内の制限区域に入るランプパスが置き去りにされているのが見つかったが、理由は不明。

06:31
 ブッシュ大統領、コロニービーチ・ホテル周囲のゴルフコースで4マイルのジョギングに出発。

06:45
 事件の約2時間前、オーディゴ社の2人の社員がワールド・トレード・センター(WTC)への攻撃通報を受け取った。同社はイスラエル人の所有するメッセージ会社で、WTCから2ブロックしか離れていなかった。

06:50
 アタと仲間の乗った飛行便がローガン空港に時間通り到着。

07:18
 この日の同時多発テロに加わる複数のテロリストがワシントン・ダレス空港で保安検査を通過。

07:45
 アタと仲間がアメリカン航空11便(AA11)に乗り込む。アタの手荷物にはエアラインの制服が入っていたが、そのまま預けられた。しかし何故か、AA11には積みこまれず、後に空港に残っていたのを捜査員が発見した。テロの仲間は、少なくとも2名が、盗んだ制服やバッジを持って機内に入った。

07:59以前
 事件に係わったテロリストのうち、空港にやってきたのはおそらく19人だったと見られる。そのうち9人が保安検査にひっかかった。ただし名前は全員不明。9人のうち6人は精密検査にひっかかり、火器や爆発物を所持してないかどうか、厳重な検査を受けた。2人は身分証明書が偽造であった。最後の1人は偽造証明書を持っていた人物の連れであった。

 旅客機に乗りこんだ犯人のうち、AA11のアタとユナイテッド航空175便(UA175)のマルワン・アルシェヒは、双方の機が誘導路と滑走路にいる間、携帯電話で話をした。電話の内容は不明だが、計画の進行状態を確認し合ったものと見られる。

07:59
 AA11、定刻14分の遅れでボストン・ローガン空港を離陸。

08:00
 ブッシュ大統領が毎朝定例のブリーフィング席についた。この中にテロ攻撃の危険性が高まっているという情報もあったが、具体的なものではなく、行動を起こすには至らなかった。ブリーフィングは約20分で終了。

08:01
 ニューアーク空港から飛ぶユナイテッド航空93便の出発時刻。ところが41分遅れて8時42分に離陸することになった。そのため、この1機だけが目標攻撃に失敗した。

08:13
 AA11のパイロットと管制官との間で最後の正常な交信。このときの指示にしたがって、機は右旋回をしたが、その後の上昇指示は無視される結果となった。というのも、機内では丁度アタと仲間の合わせて5名がプラスティック・ナイフとカッターナイフを持ってファーストクラスのスチュワーデス2人を刺しながら、コクピットへ殺到したためである。

 これでAA11はハイジャックされた。位置はボストンの西50マイル以内だが、緊急コール・ボタンが押されなかったところをみると、犯人たちは全く突然にコクピットに跳びこんできたと見られる。

08:14
 管制官がAA11に対し、高度35,000フィートまで上昇するよう指示を出した。しかし応答がなく、その直後にトランスポンダーが切られた。これで飛行機の正確な位置や高度が不明になり、4桁の緊急ハイジャック・コードも送信できなくなった。その瞬間、管制官はハイジャック発生を察知した。

 もっとも、NORADが公式にハイジャックの知らせを受けたのは8時40分で、26分後のことであった。

08:14以後
 ハイジャック発生とほぼ同時に、AA11の機長は「トークバック・ボタン」を押した。これでボストンの管制官はコクピットの中の話し声を聞けるようになった。事実、ニューヨークまでの飛行中、コクピットの話はほとんど地上で聞くことができた。聞こえなくなったのは8時38分頃である。

08:14
 UA175がボストン・ローガン空港を離陸。定刻の16分遅れであった。

08:15
 ボストン管制官がAA11と交信しようとしたが、失敗。

08:16
アメリカン航空77便(AA77)がワシントン・ダレス国際空港で滑走路に入った。

08:20
 AA11がIFF(Identify Friend or Foe:敵味方識別信号)の発信を停止。同時に急激に方向転換した。これによりボストン管制塔はAA11がハイジャックされたと確信したが、そのことを管制本部に通報したのは5分後であった。またNORADへの通報はさらに20分後である。

08:20
 AA77、ダレス空港を離陸。定刻10分遅れであった。

08:20
 AA11の機内後方で、スチュワーデスのベティー・オングが座席の背もたれについている電話エアフォンを使って、ノースカロライナのアメリカン航空予約センターに通報。ベティーの電話は飛行機がワールド・トレード・センター(WTC)に突っ込むまで続いた。しかし、電話の録音は最初の4分間だけで、FBIは公開を拒んでいる。

 別のスチュワーデスからも地上に電話があった。内容は、ファーストクラスの前の方で犯人たちが何かのスプレーを振りまき、乗客を後方へ追い払った。このスプレーで、彼女は目が痛くなり、息が苦しくなったというもの。また小さい声で、乗客の1人が死亡し、乗員の1人も死んだと通報してきた。この電話も、飛行機が突っ込むまで25分ほど続いた。

 さらに別のスチュワーデス、エイミー・スウィーニーはアメリカン航空の地上マネジャー、ミッチェル・ウッドワードに電話をしてきた。電話は25分ほど続いた。これも録音されてないが、ウッドワードはメモを取った。最初の声は「聞いて。注意して聞いて下さい。私はAA11に乗っています。ハイジャックされました」というものだった。

 それから4人の犯人の名前と座席番号を告げた。これにより地上では同機が突っ込むまでの間に、犯人5人のうち4人の名前、電話番号、住所、クレディットカード番号をつかんでいた。無論モハメッド・アタが乗っていることも知っていた。

 彼女からは、さらに客室乗務員の1人が刺され、乗客の1人が喉をかき切られたという通報があった。そして犯人たちは中東系の人間という通報もあった。

08:21以降
 エイミー・スウィーニーからの電話連絡は、さらに続いた。犯人たちがコクピットに入った、コクピット近くにいたファーストクラスのスチュワーデス2人が刺された、犯人たちは爆弾を黄色いワイヤで体に縛り付けているといった内容である。この時点で操縦桿はアタが握ったと見られる。

08:23
 突如、AA11の飛行経路が変った。

08:24
 AA11の機長、ジョン・オゴノスキーが咄嗟に押した「トークバック・ボタン」によって、ボストン管制塔ではコクピットの声が聞こえるようになった。犯人の機内放送の声が聞こえる。「われわれは計画があります。静かにしていれば大丈夫です。この飛行機は空港へ戻ります」「何もかもOKです。騒いだり動いたりすると危険です。静かに坐っていて下さい」

08:25
 ボストン管制塔は管制センターにAA11がハイジャックされたことを通報した。しかしNORADへの通報は、それから6〜15分後であった。通報が遅れた理由ははっきりしない。

08:28
 ボストン管制塔のレーダーには、AA11が所定の飛行経路を外れ、100°旋回をして南へ向かう様子が映し出された。このとき、すでにトランスポンダーのスィッチが切られていたので、飛行高度ははっきりしないが、航跡ははっきり見えていた。

 アメリカン航空の運航本部でも、多数の社員が11便の曲がりくねった航跡を見ていた。そしてアルバニー付近で旋回すると、あとは真っ直ぐ南へ向かった。

08:30頃
 まだ事件の起こる前だが、ホワイトハウスにはチェイニー副大統領とコンドリーザ・ライス国家安全保障問題補佐官がいるだけだった。ラムズフェルド国防長官はペンタゴンの自室にいて、議会の代表と話をしていた。パウエル国務長官はペルーのリマに出張中。CIA(中央情報局)のテネット長官はホワイトハウスから3ブロック先のホテルで、元上院議員と朝食を摂っていた。

 ノーマン・ミネタ運輸長官は運輸省の自室にいた。そして現大統領の父親、ジョージ・ブッシュ元大統領はワシントンからミネソタ州セントポールへ飛行中だった。しかし事件の発生によって飛行禁止令が出たため、行く先をミルウォーキーに変更して臨時着陸した。

08:33
 AA11の声がボストン管制塔に聞こえてきた。「誰も動かないでください。当機は空港へ戻ります。不審な動きをしないように願います」

08:35
 大統領の車列がエンマ小学校を離れた。

08:36
 AA11のスチュワーデス、ベティ・オングからの連絡。機体が大きく一方へ傾き、再び水平に戻った。次いでエイミー・スウィーニーからの連絡。機が急速に降下しはじめた。

08:37
 管制官が、UA175に、南方10マイル付近にいるはずのAA11が見えないかどうか訊いた。見えるという返事がきたので、余り接近しないよう注意が発せられた。

08:40
 ボストン管制塔からNORAD傘下の北東司令部(NEADS)へハイジャックの通報がなされた。このときNORADでは全米で訓練がおこなわれていたため、FAAとの間に次のようなやりとりが交わされた。

 FAA「こちらボストン管制センター、問題が起こりました。旅客機がハイジャックされ、ニューヨークへ向かっています。F-16か何かスクランブルをかけて貰えませんか」
 NORAD「本当ですか。訓練じゃないんですか」
 FAA「違います。訓練じゃありません。テストでもありません」

 このようにボストン管制センターからNORADへハイジャックの通報がなされたのは、管制塔がトランスポンダーと無線機のスィッチが切られたことを知ってから約20分後である。これほどの通報遅延は違法といわざるを得ない。ただし、もっと早く8時31分頃通報されたという意見もある。

 この通報を受けたNORAD内部では、順を追って上に伝えられた。そして途中でFAAからの再確認を取りながら、戦闘機のスクランブルが必要ということになり、フロリダ州ティンドール空軍基地にあるNORAD司令本部のラリー・アーノルド少将の許可が求められた。少将は直ちにスクランブル発信を認めると同時に、さらに上の機関に事後承認を求めた。

 このとき電話を受けたときも、アーノルド司令官は「これは訓練ではないか。あるいは何かの間違いから混乱が起こったにちがいない」と思った。

08:40
 マサチュセッツ州オーティス空軍基地から2機のF-15が発進した。2機は先ずAA11を追い、のちにUA175を追うことになる。

 発進命令が出る前、基地では「発進準備」の命令が出された。ボストン発の旅客機がハイジャックされたという通報がFAAからあったという知らせがパイロットの耳に入り、彼らはすぐに機体へ走った。そしてF-15のところへ到着する前に、基地内に「緊急発進」の命令が響きわたった。4〜5分後、彼らは命令を受け取って、轟音と共に離陸した。

 それにしても、FAAの通報から発進命令が出るまでに何故6分もかかったのか。そのうえパイロットたちが離陸するまで、さらに6分もかかったのは何故か。もし、こうした時間がかからなければ、スクランブル機はUA175よりも早くニューヨークへ到達していただろう。

08:41
 UA175の機長がAA11について管制塔へ報告してきた。「奇妙なことに、AA11の機内で誰かが席についてくださいと放送しているのが聞こえる」

08:42
 ニューヨーク近郊のニューアーク国際空港からユナイテッド航空93便(UA93)がサンフランシスコへ向かって離陸。滑走路が混んでいて、定刻より41分遅れだった。

 この時まで、UA175は正常な飛行を続けていた。ところが急に飛行方向が南へ変わった。あたかもAA11の後を追うように見える。それに気づいた地上の管制官が無線で呼びかけたが、何の返事もなく、トランスポンダーのスィッチも切られた。

08:43以前
 
時刻ははっきりしないが、UA175の乗客の1人が父親に電話をしてきた。「オー、なんということだ。スチュワーデスが刺された。ハイジャックだ」

 この乗客の通話は、途中で2回切れて、なかなかつながり憎かったが、合わせて3回父親にかかってきた。その内容は、犯人たちがどのようにしてスチュワーデスを刺したかということ。また彼らを脅して無理にコクピットのドアを開けさせたことなどであった。最後の電話は旅客機がWTCへ突っ込む直前の「さよなら」である。

 UA175から電話をしてきたのは2人だけであった。高度が高すぎてかかりにくかったと見られる。

08:43
 NORADに、FAAからUA175もハイジャックされた知らせが入った。だが、それ以前、NORADはAA11のことがあってボストン管制塔の通話を傍受していたため、UA175のハイジャックについてもFAAと同時に察知していた。

08:44
 USエアライン583便のパイロットから管制塔へ、UA175に関する連絡が入った。121.5ヘルツのELT(緊急位置発信)の信号をとらえたが、すぐに切れたという内容だった。管制官の返事は「オーケイ、こちらでも確認した。しかし確実な内容は不明」

 同じ時刻、ペンタゴンではラムズフェルド国防長官が「これは1機や2機ではない。同じようなハイジャックが続いて起こるだろう」と語っていた。

08:45
 AA11がWTCに突っ込む直前、機内にいたスチュワーデスのエイミー・スウィーニーは電話で、今どこを飛んでいるのか訊かれた。彼女の答えは「水が見えます。ビルが見えます。ビルが見えます」それから、ちょっと言葉が途切れたと思うと、「オー・マイ・ゴッド」という小さな声があって、電話が切れた。

 もう一人のスチュワーデス、ベティ・オングの電話は「私たちのために祈って、祈って、祈って……」と言いながら切れた。その声の背後には明らかに、悲鳴ではなくて、静寂があった。(つづく

(西川 渉、2004.8.30) 

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