<2001年9月11日>

そのとき何があったのか(2)

 

WTC

ワールド・トレード・センター(北棟と南棟のツインタワーから成る)

AA11

ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便(ボーイング767)。0846時、WTC北タワーへ突っこむ。

UA175

ボストン発ロサンゼルス行きのユナイテッド航空175便(ボーイング767)。0903時、WTC南タワーへ突っこむ。

AA77

ダレス空港発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便(ボーイング757)。ペンタゴンへ突っ込む。

UA93

ニューアーク発サンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便(ボーイング757)。ペンシルバニアへ墜落。攻撃目標はホワイトハウスか議事堂か国務省か、今も不明。

NORAD

北米航空防衛司令部(North American Aerospace Defense Command)

08:46
 マサチュセッツ州オーティス空軍基地で、2機のF-15戦闘機にスクランブル発進が命ぜられた。アメリカン航空11便(AA11)を追うためで、ハイジャックされた位置から約190マイル、ニューヨークから188マイルの付近にいるものと推定された。

 もっと近いところにも空軍基地はあったが、それらの発進は考えなかったらしい。また、この時刻はNORAD(北米航空防衛司令部)がAA11のハイジャックを知ってから6〜15分後、AA11との交信が途絶えてから29分後である。

 おそらく、スクランブルの決断はハイジャックの通報と同時になされたのであろう。けれども何故か命令が出るまでに6〜8分を要した。

 2機のパイロットたちは機体のところへ走って行く間に、スクランブルのブザーがけたたましく鳴るのを聴いた。直ちに飛行機に乗りこみ、いつでも飛び立てる態勢をととのえたが、実際の発進はそれからさらに6分後であった。

08:46
 AA11がワールド・トレード・センター(WTC)の北タワーに激突した。機内には、このときまだ1万ガロンほどの燃料が残っていたと見られる。

 それを追うようにして、ユナイテッド航空175便(UA175)が北50マイルのところをニューヨークへ向かっていた。同機のトランスポンダーは奇妙なことに、8時42分頃スィッチが切られたが、30秒後にはどの機体にも割り当てられていなかった別の信号を出しはじめた。管制塔ではそのため、この飛行機の様子を知ることが可能となった。

08:46
 AA11がWTCに突っ込んだのと同じ時刻、ワシントンから10マイル離れたアンドリュース空軍基地では、3機のF-16が訓練飛行をしていた。飛んでいたのは207マイル離れたノースカロライナ上空だったが、基地へ戻るよう指示され、アメリカン航空77便(AA77)が直ぐそばのペンタゴンに突っ込んだあとアンドリュースに着陸した。

 これがまた不可解なことで、F-16は最大時速1,500マイル、巡航1,100マイルである。したがって10分くらいでワシントンへ戻り、午前9時頃には周辺空域の警戒に当たることができたはず。しかるに何故、帰投命令の発出が遅かったのか。しかもいったん着陸して、それから改めて離陸したようだが、何故まっすぐワシントン上空へ行かなかったのか。

 一方、ワシントンを飛び立ったAA77は同じ頃、飛行経路を大きく変更した。しばらく北へ飛んだと思ったら、次に南へ向かい、それからワシントンへ戻りはじめた。この異常な飛行に対し、F-16は直ちにスクランブルをかけるべきだった。

 ブッシュ大統領は、この日の夕方、「最初の攻撃があった後、私は直ちに政府の緊急対処計画を発動した」と語ったが、そうした規則に照らしてもF-16の行動は解せない。

 FAAはWTCが攻撃された直後から電話回線をシークレット・サービスへつなぎっぱなしにして、あらゆる出来事を逐一伝え続けた。

08:46以降
 ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ペンタゴンの高官、FAA長官、NORAD、ホワイトハウス、エアフォース・ワン(大統領専用機)の間に一時的ではあったが、電話回線が開かれた。これで全ての情報が瞬時に伝わるようになり、政府機関の主要幹部たちの電話会議も可能となった。

08:46〜09:03
 飛行機がWTCに突っ込んだという情報を聞いて、ボストンの管制官たちは即座に、それがAA11であると思った。というのは、彼らは同機が不規則な動きを始めてからずっと航跡を追いつづけてきたからである。だが、それがAA11であることをNORADに伝えたのは数分後であった。

 そのうえニューヨークの管制官は、ユナイテッド航空175便(UA175)が9時3分にWTCの南タワーにぶつかってくる直前まで、北タワーへ突っこんだのがAA11であることを知らされていなかった。したがって「われわれにとって、WTCへの第1撃から第2撃までの時間は18分ではなく、90〜120秒しかなかった」というのがニューヨーク管制官の不満である。

 別の管制官は「ハイジャック機がわれわれの空域に飛びこんできたのを知ったときは、後の祭りだった」と語っている。

08:46〜08:55
 AA11がWTCに突っ込んだ午前8時46分、ブッシュ大統領はフロリダ州サラソタにいて、コロニービーチ・ホテルからブッカー小学校へ向かう途中だった。それから暫く走って小学校へ到着する前のハイウェイ上で、1機の飛行機がニューヨーク市内へ突っ込んできたことを聞いた。

 その後方を走る別の車に乗っていたフライシャー報道官は携帯電話に向かって「何たることか、信じられない、飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込んだ」と叫んでいた。行く先で待っていた議会の議員や記者団も、次々とこのニュースを聞いた。

08:47
 ニューヨーク警察は最高レベルから2番目の緊急事態を宣言した。

08:48
 テレビとラジオで事件の第1報が流された。CNNが「未確認情報ですが、先ほど飛行機がワールド・トレード・センターのタワーのひとつにぶつかりました」と放送した。

 しかし第2報は数分後であった。ABCテレビが通常番組の合間に第2報を伝えたのは8時52分である。

08:48
 ニューヨークの航空管制官はまだ、AA11がWTCに突っ込んだことに気づいていなかった。

08:48
 ホワイトハウスのフライシャー報道官は電話で、飛行機がWTCに突っ込んだことを知らされた。

08:48以降
 空軍のリチャード・マイヤーズ総司令官は統合参謀本部の副議長を兼ねるが、飛行機がWTCに突っ込むのをテレビで見た。周囲にいた人びとは、それが小型機だと思った。このテレビを見たのはマックス・クレンド上院議員のオフィスだったが、その後、議員と話をしている間も、オフィスには何の情報も伝えられず、9時38分ペンタゴンに飛行機が飛び込んだとき初めて大事が起こっているのを知った。

 ただしマイヤーズは、2日後の9月13日の証言で、自分はWTCへの第2の攻撃の後、NORADのエバハート司令官と話をして、戦闘機のスクランブル発進を決めたと語っている。一方、NORADはWTCへの第1撃の前にスクランブルを決めたと主張している。これらの矛盾は、誰かが虚偽の発言をしているか、思い違いをしているからであろう。

08:50
 ニューヨーク市内の緊急電話「911」がいっせいに鳴り始めた。回線は一杯になった。

08:50
 AA77との最後の交信。機長から高度を上げたいという要求がきたもので、これに対して管制塔から指示を出したところ、機は従おうとしなかった。

 ただし機が所定の航空路を外れて異常な飛行をし始めてからも4分間にわたって通常の無線交信がおこなわれた。したがってAA77が乗っ取られたのちも、しばらくはアメリカン航空のパイロットが操縦していたものと思われる。

08:50以降
 その後、AA77がペンタゴン西側に突っ込む9時38分頃まで、機はハイジャック犯の支配下にあった。しかしNORADが正式にこのことを知らされたのは9時24分である。

08:52
 オーティス空軍基地から2機のF-15が発進した。AA11との交信が途絶えて38分後、同機がWTCに突っ込んでから6分後だったが、スクランブル命令の内容はAA11を追えというものだった。

 F-15は全速でニューヨーク方面へ向かった。パイロットの1人は「上昇して水平飛行に移ると、通常はあり得ないことだが、超音速で飛んだ」と語っている。めざすはケネディ国際空港の上空で、速度はマッハ1.2だった。これならば10〜12分でニューヨーク上空に達し、UA175に追いついたはずである。しかし追いつけなかった事実からすれば、F-15はゆっくり飛んでいたことになる。

08:52
 ニューヨーク消防局の消防隊4隊がWTCに到着した。

08:52
 ニューヨーク管制塔はUA175に向かって呼びかけ続けた。しかし返事はなかった。

08:53
 管制塔から周囲の飛行機に対し、UA175がハイジャックされたことが無線で知らされた。「ハイジャック機が飛んでいる。注意されたい」という通報である。


2機のF-15がスクランブル発進

08:55以前
 ホワイトハウスのシチュエーション・ルーム(緊急司令室)のディレクター、デボラ・ローウァー大尉(女性)はサラソタの小学校へ向かうブッシュ大統領の後方を別の車で走っていた。その車の中で、WTCに飛行機がぶつかったという1報を受け取った。

08:55
 ブッシュ大統領の車列が学校に到着。ローウァー大尉は直ちに大統領の車に駆け寄り、WTCの一件を報告した。

 このとき大統領顧問のカール・ローブが報告したという証言もある。ローブはブッシュを廊下の隅に連れてゆき、原因ははっきりしないと告げた。それに対してブッシュは「恐ろしい事故だ。パイロットの心臓マヒじゃないか」と答えた。

 またホワイトハウスの通信責任者、ダン・バートレットによると、ブッシュにはパイロットの経験もあるせいか、報告を受けたとき「気象条件がよくなかったんじゃないか」と言った。

 いずれにせよ、このときブッシュの受けた印象は小型双発機の事故ということだった。しかし、旅客機であることを知っていて、知らないふりをしたのだという見方もある。

08:55
 WTCの南タワーで館内放送がおこなわれた。建物は安全だから、外へ避難する必要はないという内容だった。放送はUA175が激突するまで、数分間にわたって繰り返された。のちに、この「建物は安全です」という放送が犠牲者の数を増やす結果になったのではないかというので問題になる。いったい誰がこのような放送を考えたのか。誰が放送の指示を出したのか。

08:55〜09:00
 ブッカー小学校に入ったブッシュ大統領は、ホワイトハウスに残っていた国家安全保障担当のコンドリーザ・ライス補佐官を電話で呼び出し、現状の説明を受けた。ライスは「WTCに突っ込んだのは双発のジェット旅客機」と告げた。後にライスの語ったところでは、大統領は「恐ろしい事故だ。連絡を絶やさないように」と答えた。

 次いでブッシュは校長のグエン・リゲルと話をした。彼女によれば、大統領は「これからどうなるか、よく見きわめる必要がある」と語ったという。

08:56
 AA77のトランスポンダーが切れた。この直前、同機はケンタッキー州北東部の上空で機首をめぐらし、ワシントンへ戻り始めた。しかしインディアナポリスの管制官は、いま飛行機のハイジャック事件が多発していることを知らなかった。AA77が正常に西へ向かっているものと思っていたため、レーダー面で数分間にわたって機影を見失い、一時はAA77が空中爆発をしたのではないかという見方も生じた。

 こうした異常事態にもかかわらず、NORADに通報が行ったのは、さらに28分後の9時24分だった。したがってスクランブルもおこなわれなかった。

08:58
 UA175の乗客、ブライアン・スウィーニーは、機上から妻に電話をした。しかし不在のために留守電を残しただけであった。「飛行機がハイジャックされた。事態は余り良くない」

 この留守電ののち、彼は母親に電話をして機内の様子を告げた。

08:58
 ニューヨーク警察は緊急警戒レベルを最高レベルに上げ、数百人の警察官を現場に送りこんだ。

08:59
 ニューヨーク消防本部が、WTC北タワーから人びとを避難させることを決定。

09:00
 WTCの持ち主、ニューヨーク港湾局警察もWTCの全館に避難命令を出した。

09:00
 ペンタゴンは警戒レベルを1段階上げて「アルファ」にした。これを2段階引き上げて「チャーリー」としたのはAA77がぶつかってきた後である。

09:00
 ワシントンでは、CIAのテネット長官が元上院議員とホテルで朝食を楽しんでいた。

 統合参謀本部議長のリチャード・マイヤーズ空軍大将は上院議員と会談中だった。そのため45分間のあいだ、アメリカ東部のあちこちでテロ攻撃が始まっているのに気づかなかった。

09:00
 このとき、アメリカ本土の空域には4,200機以上の航空機が飛んでいた。

09:00以後
 ユナイテッド航空は全機に対し、ハイジャック犯がコクピットへ侵入してくるおそれがあるので、ドアが開かないようにバリケードをするよう指示を出した。しかし、パイロットたちの多くは、何が起こっているのか、指示の理由は何かといったことを知らなかった。

09:01
 ディック・チェイニー副大統領は秘書官からテレビをつけるように告げられた。

09:01
 ブッシュ大統領は後に、「自分は教室の外で飛行機がタワーに突っ込むのを見た。テレビがついていたから」と語った。しかしブッシュがテレビを見たのは15分後のはずである。しかも1機目のAA11がWTCに突っ込む様子がテレビに映しだされたのは翌日になってからである。

 では、ブッシュが見た映像は2機目の激突だったのか。そんなはずはない。教室の中にいたブッシュは秘書官から「2機目がぶつかった」と耳元でささやかれて初めてそれを知ったのだ。

09:01〜09:03
 UA175はニューヨーク管制塔のレーダー面に輝点を残しながら、誰も気づかぬうちに近づいてきた。管制官の1人が驚いて叫んだ。「ノー、こいつは着陸せずに、飛び続けてるぞ」「町の中へ入って行く」

 別の管制官も大声を上げた。「何てことだ、マンハッタンへ向かったぞ」

09:02
 AA77の乗客、バーバラ・オルセンは法務省高官の夫、テオドール・オルセンに電話をして飛行機がハイジャックされたことを伝えた。

09:03
 UA175がWTCの南タワーに突っ込んだ。その模様を何百万の人がテレビの生中継で見ていた。このときオーティス空軍基地を発進したF-15はまだ72マイル先にいた。時間にして8分間の遠方である。同機が基地を飛び立ったのは11分前の8時52分であった。

つづく

【関連頁】
 アメリカの同時多発テロ

(西川 渉、2004.8.30) 

(表紙へ戻る)