<2001年9月11日>

そのとき何があったのか(3)

 

09:03以降
 先にも見たように、8時52分、2機のF-15がオーティス空軍基地からスクランブル発進をした。そのパイロットが後に語ったところでは、9時3分過ぎ、飛行中にマンハッタンから煙が立ち上るのを見た。このとき、NORADによれば、F-15は71マイル北にあったはずだが、パイロットは視程が非常に良かったという。

 2機のF-15はニューヨークへ向かうはずだった。しかし何故か、途中でロングアイランドの沖合150マイル付近で待機するよう指示された。「おそらくFAAの管制官も軍の指揮官も、われわれに何をして貰いたいのか分からなかったのだろう」

 2機のF-15は数分間の待機をしたのち、マンハッタン上空へ飛んで警戒飛行をするよう指示された。両機はその後4時間にわたって飛び続けた。ただし警戒飛行だけで、旅客機を撃墜してもよいという指示はなかった。たしかに民間機撃墜の命令を出せる権限は、大統領にしかない。しかるにブッシュはフロリダ州の小学校で教室の中にいて、外部とは遮断された状態だったから、F-15がUA175に追いついても何もできなかったにちがいない。

 F-15のパイロット2人は、2機目がWTCに突っ込んだとき、そのことを知らされて驚いた。「われわれはまだAA11を追っているとばかり思っていた」

 それにしても、迎撃機のパイロットが目標を知らなかったり、沖合遠くへ飛ぶように指示されたり、軍当局の混乱が見られる。

09:03〜09:06
 フロリダ州サラソタでは、ブッシュ大統領が事件の進行を知らぬまま、小学校の教室で子供たちと教科書を読んでいた。隣室ではシークレット・サービス、SWAT隊員、海兵隊、地元の保安官などがテレビで事件の成り行きを見ながら、誰もが早くここを出なければならないと感じていた。

 しかるにブッシュは、今度は2年生の教室に行き、カメラのフラッシュを浴びた。自分が学校教育に熱心であることを国民に訴えるためである。教室には16人の生徒がいたが、ほかに130人以上の記者団が詰めかけていた。ブッシュは子供たちに紹介されると、自らポーズをつくってカメラに収まった。

 撮影が終わると、先生は子供たちに教科書を読ませた。このときブッシュは頭の中で、WTCへ飛行機が飛びこんだ事故について何を言うべきか考えていた。彼はまだ、あれが事故だとばかり思っていたのだ。

09:03以降
 ホワイトハウスにいたチェイニー副大統領はテレビで、2機目の飛行機がWTCに突っ込むところを見て、初めてこれが事故ではないことに気がついた。AA11を乗っ取ったモハメッド・アタが、機内放送でハイジャックを宣言してから実に40分後のことである。

 そこへシークレット・サービスのスタッフがなだれこんできて、副大統領の腕をつかむと、かかえ上げるようにして地下へ連れて行った。同じ頃ライス補佐官も地下の同じ避難場所へ連れて行かれた。

09:03以降
 NORADも混乱の中にあった。中央本部には各地の下部機関から指示を求める問い合わせが殺到した。中にはアメリカが攻撃されているからには、全米の戦闘機を発進させるべきだという進言もあった。が、これはいつまで経っても実行されなかった。

 実際に飛んだ戦闘機は、ラングレー基地の3機、オーティス基地の2機、ワシントンに近いアンドリュース基地の何機か。そして10時16分にトレド基地の2機、10時44分シラキュース基地の機体が飛んだ。

 これらの事実から見て、軍の方はまだ9時過ぎの時点では、3機のハイジャックと2機のWTC突入は偶然一致しただけで、相互に関連するものとは考えていなかったフシがある。

09:03以降
 FAA本部からニューヨークの航空管制官に対し、高速で飛ぶジェット旅客機に注意するよう指示が出た。こちらの呼びかけに応じない機体、指示に従わない機体があれば直ちに報告するようにというのである。次いでワシントンの管制官にも同じ指示が出された。

09:04
 国家安全保障庁のミッチェル・ヘイドン陸軍中将は、この時点で初めてテロ攻撃を知った。この合衆国最高の安全保障システムのトップは、最先端の衛星モニターやきわめて高度のCOM-SIG-INTインターセプト装置から情報を得たわけではなく、CNNテレビを見ていた秘書官から告げられたのだった。

09:04〜09:08
 事件に関係のある地域で、管制官による飛行禁止の措置が始まった。まず、UA175がWTCに突入した1分後、ニューヨーク空港で離着陸禁止の措置が取られた。数分後にはボストンやニューアークの空港も閉鎖された。さらにワシントンからの離陸も禁止となる。9時8分にはニューヨークとボストンの空域が飛行禁止となった。

09:05
 ボストンの管制官からFAA本部へ、アタの放送では複数の飛行機をハイジャックしたらしいという通報があった。

09:06
 全米の管制塔にAA11が乗っ取られ、WTCに突っ込んだことが知らされた。

09:06
 ブッシュ大統領はまだ、ブッカー小学校2年生の教室にいた。そこへ首席補佐官のアンドリュー・カードが入ってきて大統領の耳もとで「2機目の飛行機がWTCに衝突しました。合衆国が攻撃されています」と、ささやくように告げた。しかし何故か、ブッシュは動こうとしなかった。同じ教室にいたABCの記者は、時計を見た。9時7分だったことを憶えている。

 さらに別の1人は、補佐官の言葉を聞いた瞬間、ブッシュの表情は酔っ払いのようにうつろになり、アメリカが攻撃されていると言われても、それ以上のことを問い返そうとしなかった。

 同時に教室の中も静まりかえって、30秒余りシーンとなった。ブッシュは、やおら教科書を取り上げ、「山羊の話」を読む子どもたちの声を、その後8〜10分間も聞き続けた。後になって「あれは自分のために一生懸命読んでくれている小さな子どもたちの気持ちを乱したくなかったから」という説明がなされた。

 子どもたちの朗読が終わると、ブッシュは「上手だ」と褒め言葉を発した。「まるで6年生みたいだね」というのがテロ攻撃を知ったあとの最初の言葉だった。

 教室の後ろの方で、フライシャー報道官が厚紙を高く持ち上げた。そこには太く大きな文字で「まだ何も言わないように」と書いてあった。

 サラソタ国際空港は、この小学校からわずか3マイル半のところにあった。逆に空港から近いことが、大統領の写真撮影に選ばれた理由でもある。それならば何故、シークレット・サービスは大統領を早く連れ出さなかったのか。

09:06〜09:10
 ボストン管制塔が上空にある全機に対し、コクピットの施錠を厳重にするよう指示した。そのうえでFAA本部に、この注意を全米に通達するよう進言したが、本部はそれを取り上げなかった。

09:08
 NORAD(北米航空防衛司令部)は2機目の旅客機がWTCに突っ込んだことを知った。担当指揮官は「FAAと話し合わなければならない。彼らの知っていることは全てこちらへ伝えて貰う必要がある。戦闘機をマンハッタン上空へ飛ばすのが最良の策だ。それにはFAAの協力が必要だ。まだ、われわれの知らぬことがあるに違いない」と、興奮してしゃべり散らした。

 そこへ9時9分頃、FAA本部から、11機の飛行機が管制塔との通信連絡ができなくなったり、所定の航空路から外れて飛んでいるという通報がきた。

 NORADは、バージニア州ラングレイ空軍基地のF-16飛行中隊に戦闘準備をするよう命令を出した。しかしスクランブルの命令が出たのは9時27分だったし、実際に離陸したのは9時30分だった。

09:08
 インディアナポリスの管制官は、アメリカン航空77便(AA77)の機影がレーダーから消えたために墜落したに違いないと推定、バージニア州ラングレー空軍基地の捜索救難航空隊に通報した。さらに9時9分、FAA本部にAA77が行方不明と報告した。

09:15
 アメリカン航空は米国内での定期便の出発を全て取りやめた。同様に5分後、ユナイテッド航空も社内に米国内での離陸中止を通達した。

09:16
 FAAはNORADに対し、ユナイテッド航空93便(UA93)がハイジャックされたもようと通報した。だが戦闘機のスクランブルはおこなわれなかった。

09:16
 ブッシュ大統領は、子どもたちに「上手な朗読を聞かせてくれて有難う」と言って教室を出た。教室の外では記者たちが口々に「ニューヨークでWTCに飛行機が突っ込んだのを知ってますか」と叫んでいた。ブッシュは「そのことは後で話そう」と答えた。

 それから校長室へゆき「テロ攻撃があったので、行かなければならない」と挨拶した。計画では9時20分に学校での行事が終わることになっていたので、予定より数分早かった。

09:16〜09:29
 大統領は、校長室の隣室で、補佐官たちとの打ち合せを始めた。このテロ事件に対して、どんなコメントを出すかという問題である。ブッシュは時折りテレビの画面を見ながら、電話でライス補佐官と話をしたのち、チェイニー副大統領にも相談した。それからニューヨーク州のジョージ・パタキ知事にも電話を入れた。

 このときブッシュはワシントンに戻ることを考えていた。

09:17
 FAAはニューヨーク地区の空港をすべて閉鎖した。

09:20
 FAAが関係機関との間で、進行中のハイジャックに関する電話会議を始めた。このときのNORADとの電話のやりとり。

FAA「軍ですか、こちらボストン管制本部です。たった今、AA11がまだ飛んでいるという報告を受けました。ワシントンへ向かっているようです」
NORAD「AA11がまだ飛んでるって?」
FAA「そうです」
NORAD「ワシントンへ向かって?」
FAA「そうです。タワーにぶつかったのは別の機体です。これが最新情報です」

 AA11が30分以上も前にWTCに突っ込んだことはいうまでもない。にもかかわらず9時23分、NORADはラングレー空軍基地の戦闘機にスクランブル発進の命令を出し、ワシントンへ飛んでAA11を撃墜するように指示した。

09:21
 ニューヨーク港湾局がマンハッタンに通じる橋とトンネルをすべて閉鎖した。

09:24
 FAAはNORADに、AA77がハイジャックされ、ワシントンに向かっているもようと通報した。この通報は同機との交信が途絶えてから34分後のことである。また、ニューヨークで2機の飛行機がWTCに突っ込んでからも、相当な時間が経っていた。しかもなお、「もよう」とか「らしい」とか、あいまいな推測語を使っていた。

 ペンタゴン(国防省)でも、AA77が自分のところへ突っ込んでくるとは気づいていなかった。ラムズフェルド国防長官ですら、14分後に旅客機が衝突するとは思ってもいなかった。

 議会の建物には多数の議員や職員がいたが、避難の指示が出たのは9時48分だった。ちなみに2機目がWTCへ突っ込んだ9時3分から間もなく避難したのはチェイニー副大統領、ライス補佐官その他ごくわずかな職員だけであった。

09:25
 AA77に乗っていた乗客のひとり、バーバラ・オルソンが夫の司法省高官、テオドール(テッド)・オルソンに機内から電話をしてきた。そのとき彼は司法省にいて、WTCに飛行機が突っ込んだときのテレビを見ていた。数日後に語ったところでは「妻の話では、乗客はキャビン後方に集められている。乗っ取り犯たちはナイフとボックス・カッターを持っている。機長が当機はハイジャックされたとアナウンスしたらしい」

 テッドの方からも、2機の飛行機がWTCにぶつかったと妻に告げた。バーバラの使ったのは携帯電話か座席についてる電話か、よく分からない。いずれにせよ、オルソン夫人からの2度の電話だけがAA77からの唯一の電話で、しかも「ボックス・カッター」という言葉が聞かれた唯一のものである。

 9時25分後、オルソンは司法省内のコントロール・センターに電話を入れて妻の話を伝えた。しかし、この通報が省内でどのように処理されたかは不明。

09:25
 UA93の機長がクリーブランド管制塔に「グッド・モーニング」と軽く挨拶しながら、連絡してきた。

09:26
 ジェーン・ガーベイFAA長官はホワイトハウスの承認を得て、全米の飛行禁止措置を指示した。これはライト兄弟が飛行機を発明して以来初めてのことである。

 指示の内容は、離陸を禁止するばかりでなく、飛行中の航空機もすべて、民間機であろうと軍用機であろうと警察機であろうと、速やかに着陸するようにというものだった。このときノーマン・ミネタ運輸長官も、ホワイトハウスに飛行禁止措置の承認を求めたという。

 この時間、米国上空を飛んでいた航空機は4,452機であった。そのうち約500機が20分以内に着陸した。のちに10時31分、ごく少数の軍用機が飛行再開を認められたが、どこの機体が何機認められたのか、FAAは明らかにしようとしない。実際に運輸省の指示に対して、軍用機がどのような反応をしたのかも不明である。

09:27以前
 UA93の機内で、少なくとも3人のハイジャック犯が赤いバンダナを頭に巻いて立ち上がった。うち2人はコクピットに侵入し、もう1人がマイクを取り、誰かが爆弾を仕掛けたので空港へ引き返すと放送した。

09:27
 ホワイトハウスの地下にいたチェイニー副大統領とライス補佐官は、秘書官を通じてワシントンから50マイル上空に飛行機がいて、こちらへ向かっていると告げられた。AA77である。

 その動きは管制塔のレーダーでとらえられていたが、トランスポンダーのスィッチは切られていた。しかし近づいてくるもようは、ホワイトハウスの地下に30マイル、10マイルと告げられ、最後にレーダー面から消えた。

 もっともワシントン・ダレス空港の管制官の中には、AA77の機影がレーダーに映ったのは12〜14マイルの地点で、その接近がチェイニー副大統領に伝えられたのはその後だったという者もある。

09:27
 NORADは、バージニア州ラングレー空軍基地に待機していた3機のF-16にスクランブル発進の命令を出した。ラングレーはワシントンから129マイルのところにある。しかし何故か、15マイルの近いところにあるアンドリュース空軍基地の戦闘機には発進命令が出なかった。無論ここでもスクランブル態勢はできていた。

09:27
 UA93の機内から、トム・バーネットが妻のディーナに電話をしてきた。「今UA93でニューアークからサンフランシスコへ飛んでいる。飛行機がハイジャックされた。奴らはナイフを持っている。機内には爆弾が仕掛けてある。FBIに伝えてくれ」

 ディーナは電話を聞きながらメモを取り、すぐに911番に緊急電話をした。

 やがてUA93の乗客から次々と電話がかけられ、全部で30通を超えた。

09:28
 クリーブランド管制官の後からの証言によると「UA93に何か問題が起こったことが分かったのは、オープン・マイクから聞こえてくる悲鳴と、取っ組み合いの音だった。次いで犯人たちがアラビア語で話し合う声が聞こえた」

 しかし、これは犯人の1人がコクピットに入ってから12分後のことである。FAAは直ちにNORADにハイジャックの発生を通報した。

09:28
 UA93の物音はオープン・マイクを通じて、まだ聞こえていた。誰かが「ここから出て行け」と叫んだ。さらに同じ言葉が繰り返され、意味不明の言葉が続いた。時折り英語も聞こえたが、その中には「爆弾があるぞ」が2回、「われわれの要求だ」「静かにしろ」が含まれる。

 最後に「出て行け」という言葉が2度繰り返され、うなり声、悲鳴、格闘音が聞こえて、静かになった。

09:29
 ブッシュ大統領はまだブッカー小学校にいて、生徒、先生、報道陣など約200人の前で短いスピーチをおこなった。「今日わが国に大きな悲劇が起こりました。2機の飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込んだのです。これは明らかに、テロリストによるわが国への攻撃です」

09:30
 ユナイテッド航空が飛行中の定期便に、全機着陸の指示を出した。5分後アメリカン航空も同じ指示を出した。FAAによる着陸指示は4分前に出ていたが、それがどの程度急を要するものか明確ではなかったのである。 

09:30
 ホワイトハウス、国防省、FAAとの間で電話会議がおこなわれた。しかし、トップクラスの高官たちが参加していながら、結論や決議らしいものは何も出なかった。彼らはただ、自分たちが何も知らないことを確認し合っただけだった。彼らの知っていたのはテレビが伝えることだけだったのである。

09:30
 ペルーで会議中だったコリン・パウエル国務長官のもとへ、2機目の飛行機がWTCに突っ込んだことが知らされた。長官は即座に「飛行機の準備をしてくれ。ワシントンへ戻る」と指示を出した。

09:30
 AA77がワシントンまで30マイルのところへ近づいたことをレーダーが感知し、航跡を追いはじめた。

09:30
 3機のF-16がAA77を追ってラングレー基地から発進した。F-16が時速600マイル余りで飛んでいれば、AA77よりも先にワシントンに到着できたはずである。しかし実際にそうはならなかったところを見ると、もっとゆっくり飛んでいたとしか考えられない。

09:30
 この時点の頃、ワシントン空港の管制官のところへシークレット・サービスから電話がかかり、不審な飛行機がワシントンへ接近中と伝えてきた。管制官がレーダースコープを確認すると、西5マイルの地点にAA77の機影が映っていた。驚いて管制塔の窓から外を見ると、飛行機が1機、右へ旋回し降下してゆくのが目撃された。機はすぐに空港に近い建物の向こう側に入って行った。

09:30以降
 AA77の機内でハイジャック犯が乗客に向かって放送した。「これからホワイトハウスに突っ込む。みんな死ぬことになるから、家族に電話するように」

 しかし乗客からの電話は、バーバラ・オルソンだけであった。それは先の電話から5分後、相手は再び司法省高官の夫テッドであった。内容は、テッドによると、機は離陸後まもなくハイジャックされ、しばらく旋回をつづけたのち、いずれかへ向かい始めた。テッドが方角を訊くと、しばらく話が途切れた。おそらく誰かに訊いていたのであろう。やがて「たぶん北東へ向かっているらしい」という答えが返ってきた。この電話では、犯人の国籍、人数その他の話はなかった。そして電話が切れた。

09:30
 UA93の方は、トランスポンダーの信号が消えて、レーダーにも映らなくなった。しかしユナイテッド航空の本社は、その後も航跡を追いつづけた。もはや高度は不明だったが、速度は600マイルから400マイルに下がった。レーダーによる追跡は、同機が最後に墜落する直前まで続いた。

09:31
 9時31分から数分後、UA93のハイジャック犯が、1人の女性に座席に坐るよう指示している声が聞こえた。その女性は恐らくスチュワーデスで、「お願い、お願い」と懇願していた。「どうかお願いです。私は死にたくない」

 それはファーストクラスのスチュワーデス、デビー・ウェルシュと思われる。おそらく犯人に抵抗して、ハイジャックの直後に刺されたのであろう。

09:32
 ニューヨーク証券取引所が閉鎖された。

09:32
 ダレス空港の管制官が高速度で東へ向かって飛んでいるレーダーの機影を発見した。彼は直ちにシークレット・サービスに通報した。これがペンタゴンに突っ込んだAA77である。

09:33〜09:38
 AA77は、レーダーのデータによれば、キャピトル・ベルトウェイを横切って、ペンタゴンへ向かった。しかし9時35分頃、ペンタゴンへ近づいたとき、時速400マイルで飛んでいた機は高度が7,000フィートくらいで、そのまま突っ込むには高すぎた。そこで、あたかも錐もみのような急旋回をしながら降下し、7,000フィートを2分半で消化した。

 この旋回降下中、機はホワイトハウスを中心とする飛行制限区域の南数マイルのところにいた。もう少しホワイトハウスに近づいていれば、屋上に据えてある地対空のスティンガー・ミサイルで撃墜されたかもしれない。ちなみにペンタゴンには、そのような火器は据え付けてない。

 「この飛行機はホワイトハウスを狙っているように見えた」という証言もある。

09:34
 ブッシュ大統領の車が、ブッカー小学校からサラソタ国際空港へ向かって出発した。このとき実は、ブッシュと大統領専用機エアフォース・ワンがテロリストの目標になっていたことが、後になって報じられた。シークレット・サービスはブッシュが小学校を出て間もなく、攻撃される恐れのあることを知った。

 空港へ走る車の中で、アンドリュー・カード首席補佐官は「ペンタゴンが攻撃されたことを知った。同時に、次の目標はエアフォース・ワンであることを知らされた」

 エアフォース・ワンが実際に狙われていたかどうかはともかく、そのような情報があったとすれば何故、同機は戦闘機の護衛もなしに飛び出したのだろうか。

09:34
 クリーブランド管制塔は、UA93の機内で、ハイジャック犯が乗客に向かって放送するのを聞いた。「レイディーズ・アンド・ジェントルメン、こちらは機長です。どうぞ座席にすわって動かないでください。われわれは爆弾を持っています」

 そのとき、クリーブランドの管制官は短い悲鳴が上がるのをはっきりと聞いた。それから「爆弾があるぞ」という犯人の声。そして空港へ戻るという下手な英語が聞こえてきた。

09:34
 UA93の乗客トム・バーネットから妻のディーナへ、2度目の電話がかかってきた。「奴らはコクピットにいる」と言う。それから隣の席の乗客が先ほどナイフで刺された。もう脈拍がなくなっているから、死んだらしいと言った。この犠牲者は後に、座席番号5Bのマーク・ローゼンバーグであることが判明した。

 妻は、2機の飛行機がWTCにぶつかったと告げた。トムは「何てことだ。自殺攻撃じゃないか」といった。電話はしばらく続いた。トムは飛行機が引き返していると語った。

 このときまでに、妻は最初の電話でFBIその他の緊急機関に連絡し、家にはすでに警官が来ていた。

09:35
 ニューヨークでは、ワールド・トレード・センターのタワー2のロビーが避難しようとする怪我人でごった返していた。

09:35
 UA93が突然、上昇した。

09:36
 UA93からフライトプランの変更通知がきた。目的地をワシントンへ変えるというもので、レーダーで見ると確かに180°の旋回をしていた。ワシントンには10時28分に到着するというのが新しいフライトプランの内容だった。

09:36
 アンドリュース空軍基地を飛び立ったC-130輸送機に対し、ワシントン・ナショナル空港の管制塔から、AA77を確認し、飛行経路を妨害するようにという指示が出された。このC-130は、そのときUA93から17マイルのところを飛んでいた。

 後にC-130の機長、スティーブ・オブライエン中佐は次のように語っている。「われわれはカリブ地域から運んできた物資を降ろし、9時半頃ミネソタへ向かって離陸した。管制塔から無線が入って、どこかに飛行機が見えないかと訊いてきた」

 機長の目には1機見えていた。最初は小さかったが、やがて風防一杯に見えるようになり、目の前で、おそらく1.5〜2マイル前方で右の方へ旋回して行った。

 それを管制塔に伝えると、今度はどこの飛行機かと訊いてきた。「私は驚いた。通常、管制塔というものは、どこにどんな飛行機が飛んでいるか分かっているはず。それが分からないというのだから」

 オブライエン機長は、機種はボーイング757か767。銀色の胴体から見ればアメリカン航空の機体だろうと答えた。すると、管制塔はそれを追いかけてくれというのだった。「私は20年以上も空を飛んできたが、管制塔からそんな指示を受けたのは初めてだった」

09:37
 レーダー・スクリーン上に光っていたAA77の輝点が消えた。最後に確認された位置はペンタゴンから6マイル、ホワイトハウスから4マイルの地点だった。

09:37
 UA93の乗客ジェレミー・グリックから妻のリズに電話がかかってきた。ハイジャックの犯人らは中東系で、イラン人のように見える。頭に赤いヘッドバンドを巻いている。自分はエコノミーキャビンの一番前の席に座っていたが、他の乗客と共に後方へ追いやられた。犯人たちは爆弾を持っていると言っている。

 同じような電話は、何人もの乗客がかけてきた。その電話を受けた家族たちは、それぞれ911番へ緊急電話をした。家族の方からは乗客たちへWTCの事件が伝えられた。

 グリックの電話は最後の最後まで切れなかった。

09:37
 国防省が電話会議を始めた。この会議は8時間にわたって続き、のちに大統領、副大統領、ラムズフェルド国防長官、その他の軍最高司令官たちが参加した。しかし肝心のFAAは、ハイジャックと直接対峙していながら、会議には参加していなかった。どうも軍とFAAとの関係はしっくり行っていないらしい。

09:38
 ラムズフェルド国防長官はペンタゴンの中にいて、コックス議員と話をしていた。長官は明らかに、AA77がこちらへ近づいていることを知らなかった。しかしテレビは見ていた。飛行機がWTCへ衝突した場面を見ながら、「攻撃はまだ終わっていない。次の攻撃があるだろう。こっちへ来るかもしれない」などと話していた。恐らくはその瞬間、ペンタゴンに飛行機が突っ込んだのである。

 9時38分であった。

つづく

【関連頁】
   そのとき何があったのか(2)2004.9.1) 
   そのとき何があったのか(1)2004.8.30) 

   アメリカの同時多発テロ

(西川 渉、2004.8.30) 

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