飛びやすい国・飛びにくい国

 数日前、丸伊満氏の著書『風を聴く』について書いた古い拙文を本頁に掲載したが、それを探しているとき次のような当時の文章を見つけた。やはりグライダーを取り上げたものだが、ここで言いたいことはグライダーに限らない。航空文化といったものがあるのかどうかは知らぬが、あるとすれば日本のそれは奇妙にねじ曲がっていて、これを書いてから5年以上たった今も変わっていないところが情けない。日本はどう考えても航空後進国である。 

 先日(1993年)、中国へグライダーを乗りに行った伊藤準氏(99年現在エアロビジョン株式会社代表)の土産話を聞いた。十数人のツアー・グループを組み、北京西方約三百キロの大同にある山西省航空運動協会の大同航空訓練基地というところで飛んだという。大陸だから上昇気流も強く豊富で、長距離、長時間の飛行もやりやすい。そのうえグライダーの使用料金は日本の三分の一くらいと安かった。いずれ日本人が増えるだろうとのことである。

 この基地は、もともとオリンピックをめざす航空運動選手の強化が目的だった。つまり中国は早くも、オリンピックの競技種目に航空または滑空競技が入ることを考えて準備していたのである。

 もっとも、ここで言いたいのはそんなことではなくて、外国人が中国で飛ぶのがそんなに簡単になったのかという驚きである。日本のライセンスを提示する必要もなく、訓練基地の総責任者が許可を出せばそれでいいらしい。単独飛行も可能で、外国人には飛びやすい国といえるかもしれない。

 ただし中国人にとっては飛びにくいらしく、趣味や楽しみで飛びたいと思っても、ほとんど不可能だそうである。だから、ここの強化合宿に入っているグライダーマンたちも特別に選ばれた選手ばかりで、12億を越える中国人の中でグライダー人口はおよそ100人、そのうち女性は3人しかいないとか。

 外国の飛行許可を取るのは非常にむずかしい。私自身も、かつて中国の許可を貰うのに何度も北京に足を運んだ覚えがある。むろん中国だけではなくて、世界中どこでもそうである。インドネシアや韓国やバングラデシュやフィリピンや台湾や米国など、許可を貰えたのはまだいい方で、タイやビルマや中東諸国ではついに認められなかった。もっとも、これはスカイスポーツやレジャー飛行ではない。事業のための飛行許可であって、その意味では難かしいのも当然であろう。

 しかしアマチュアならば、外国で飛ぶのもさほど難かしくないと説くのが米マグロウヒル社から出ている『自家用パイロットの国際飛行案内』(1991年刊)である。自家用パイロットが外国で飛ぶ場合の要領を解説した本で、自家用免許の基準はどこの国でも殆ど同じだから、ライセンスもそのまま認められることが多いし、臨時の書換えを必要とする場合も、そんなに手間はかからない。ただし計器飛行をしようとすれば、法規の試験を受けたり、簡単な実地試験も受けなければならない国が多い。

 わずかに異なるのは、その国特有の飛行規則があったり、夜間飛行の資格や制限がついたり、VFRの最低基準が異なったり、空域条件の差異があったりすることくらいで、それは現地で説明を受ければよい。

 飛行機種も殆ど変わらない。どこの国でも、自家用パイロットが飛ぶ機材といえば、セスナ、パイパー、ビーチといったようなものである。エンジンもライカミングやコンチネンタルだし、航法装置はVORやNDB。そして管制塔とのコンタクトは英語が原則である。また、たいていの国には飛行クラブや飛行学校があるから、そこへ行って、機材を借りるなり、同乗者を依頼すればよい。

 ところが、問題は日本である。容易なはずのアマチュア飛行の手続きに大変な努力と忍耐を必要とする国を、本書では飛行「困難」といい、日本をその中に入れているのである。

 ちなみに、外国人パイロットでも飛行が「容易」という国は法規上の制限事項が少なくて、飛行場や飛行クラブが至るところにあり、単独飛行もすぐに許可してくれるような国をいう。本書では欧米先進国のほとんどを、それに入れている。その中間は、法規上の手続きがやや面倒で、単独飛行の許可を取るのに時間がかかり、外国人が単独飛行をするための機材の賃借を制限しているけれども、同乗者がいれば容易に飛行できる国である。

 そのようなランクづけをした上で、本書は世界35か国について下表のような整理をして、各国ごとにきわめて具体的に、外国人パイロットが飛ぶための手続きや留意点などの要領を説明している。

外国人の自家用パイロットが飛びやすい国

地  域

容  易

まあまあ

困  難

備考(困難な国)

欧  州

10

――

北  米

――

中 南 米

旧蘭領キュラソー

ア ジ ア

日本、インド

アフリカ

ナイジェリア

合  計

17

14

――

 

  上の表で日本は最も困難な国に入っているわけだが、その説明を読むと、日本ではアマチュア・パイロットの飛行は容易である。ただし、それは日本人に限られていて「外国人の単独飛行は事実上不可能」ときめつける。

 日本の航空局は、外国人パイロットに対し、その人がもっているライセンスにもとづいて、日本のライセンスを発行する。ただし「書換えライセンスを入手するまでには2か月ほどかかる。……問題は日本の航空級無線免許をもっていなければ単独飛行ができないことで、無線免許を取るには試験を受けなければならないし、その試験は年2回しかおこなわれない……」

 この回数は最近増えたようだが、実は、しばらく前までの無線通信士の試験は日本語でしかおこなわれなかった。したがって無線資格を取るには日本語が理解できなくてはならず、外国人が受験するのは殆ど不可能だった。そのうえ皮肉なことに、仮りに日本語で試験を受けることができても、資格を取ったあとで実際にやることといえば英語でタワーとコンタクトすることなのである。

 さらに本書はいう。「日本の航空の歴史は第二次大戦時のすぐれた機材開発にも見られるように立派な実績をもっている。しかし自由度は少なく、法規上の規制は非常にきびしい。小型機による純粋なレジャー飛行も、昔から軽視されてきた」

「そんな中で、レクリエーション飛行は近年、人びとの関心をひくようになった。が、もうひとつの問題は、飛行に要する費用が天文学的に高いことで、そのために日本人は操縦資格を取るために外国へ出かけてゆく。往復の航空券、宿泊費、食費などの経費をかけても、まだ国外で練習する方が安いのである。そこで米国西海岸などでは、日本人のための日本人による操縦訓練学校が軒を連ねていて、いずれも人気が高い」と。

 このことは日本で飛びたいという外国人にも同じ問題をもたらす。すなわち法規がやかましいだけでなく、無闇に費用がかかる。さらに言葉の問題もある。外国人から見た日本は、あらゆる意味で飛びにくい国なのである。 

  本書によれば、外国に行って飛んでみると、その国の風物や景観ばかりでなく、文化がよく分かるそうである。それがまたアマチュア・パイロットの楽しみにもなっているわけだが、そうだとすれば日本の航空文化は、少なくとも本書では良い評価が与えられていない。文化だから善し悪しには関係ないといわれるかもしれないが、同じ航空の世界に住んでいて、日本は飛びにくい国といわれるのは、最も根元的な部分が問題にされているわけである。

 この本は単なる実用案内書ではあるけれども、期せずして比較文化論にもなっているところが面白い。

(西川渉、『日本航空新聞』93年10月23日付掲載)

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