<イタリア紀行>

オリンピック開会式

 イタリアでトリノ・オリンピックの開会式を見た。アグスタウェストランド社のヘリコプター救急会議の後のアトラクションとして招かれたもので、現地時間の2月10日午後8時からおこなわれた。

 アグスタ社のあるミラノからバスで約2時間。トリノ市内に入ると、道路には五輪マークや、"Passion Lives Here" と書いた赤い旗のぼりが並ぶ。日本の新聞は、この合い言葉を「情熱のスパーク」と書いていたが、どうも上手な訳とは思えない。英語を訳すのに異なるカタカナ英語を持ってくるのはヘンではないか。「情熱の躍動」とか「燃え上がる情熱」とか、日本語だけにする方がいいように思う。

 会場周辺の上空高いところをヘリコプターが飛んでいた。ベル412級の大型機で、テロの警戒のためか、それともテレビ取材のためであろうか。

  開会式の会場はコムナーレ競技場。そのゲートを照らす13夜の月。ここで厳重な保安検査を受ける。鞄を持っている人は中味を改められ、空港と同じ金属探知器のゲートをくぐる。この検査のために時間がかかり、混雑するのである。

 開会式の入場券。スタジアムには北10番の入り口から入って区画245の12列6番の座席指定である。入場料は、私が払ったわけではないが、250ユーロ(約35,000円)と書いてある。

 会場に入ると、中央に青白く浮かび上がる円形の舞台。今日はここが開会式の舞台だが、明日からは競技がおこなわれるのだろう。白く光っているので氷が張ってあるようにも見えるが、実際はそうではないらしい。観客がどんどん席を埋めてゆく。

 それぞれの座席にはプログラムと一緒に座布団、懐中電灯、カウベル(牧牛の喉につける鈴)、それに白い上っぱりが置いてあって、観客は頭から上っぱりをかぶり、懐中電灯を振り、ベルを鳴らす。式の始まる前に、みんな号令に従って、その練習をさせられる。上っぱりはフードつきで防寒にもなるし、家に持って帰れば合羽の代わりにもなろう。トリノ・オリンピックのロゴも入っているので、記念品にしてもよい。

 何かが始まった。赤、黄、青の電光がめまぐるしく変化する中で、大勢の小人たち(のように見える)が、ローラースケートを履いて走り回る。

 スタンドの高い位置から見ている上に、イタリア語の説明だから、演技の意味がさっぱり分からない。日本で、テレビで見ている方がよほど理解できたに違いない。

 舞台は電光ばかりでなくて、あちこちで火炎が上がる。小人たちはだんだん増えて、耳をつんざくような音楽、というか音響と共に真っ赤な炎の中を走り回る。年寄りにはちょっとついていけないような感じもある。

 マスゲームはわれわれの席の近くに移動し、大きな円形の枠につかまって空中高くせり上がったと思ったら、そこで逆立ちや宙吊りなどの体操がはじまった。ここから落下したら大変だと思うと、サーカスの軽業を見ているような気分でもある。

 前の写真に見える空中の3つの円と床面に置いてある2つの円が、やがて垂直に重なり合って5色の五輪マークに変った。われわれの席は残念ながら、このマークを後ろから見るような位置であったが、正面から見ればよほど美しかろうと思う。

 選手団の入場行進がはじまった。五輪マークの下をくぐって、いま会場に入って行くのはカナダの選手団である。

 日本の入場行進。入ってきたときは思わず「がんばれー」と叫んだものだが、今日まで最初の1週間の成績は余り良くない。しかし、外国で見る日の丸は、改めて感慨を催す。イタリア語で、日本は「GIAPPONE」(ジァポネ)というらしい。頭文字がGだから、いつものJから繰り上がって、入ってくる順番も早くなる。

 カナダや日本は、アメリカ、イタリア、ロシア、スウェーデンなどと並んで大勢の選手が参加している。だが参加80ヵ国の中には、選手1人だけという国が19ヵ国もある。たしかに赤道に近い国々は余りスキーやスケートはしないであろう。選手が1人だけで入ってくると会場の歓声はひときわ大きくなる。

 五輪旗の入場。旗を持つのは左側先頭のソフィアローレンなど、何人かのアカデミー女優やかつての女子選手たちらしい。ただし、そんなことを知ったのは翌日のテレビを見て分かったので、このときは何が何だか分からなかった。

 余談ながら、トリノ・オリンピックの主題は、帰国後の新聞で見ると「情熱」と「平和」と「スポーツにおける女性進出」だそうである。上の写真に見るような光景も女性進出を促すものかもしれない。確かにヨーロッパは、その必要があろう。けれども日本は、山内一豊の妻の頃から女が強かった。現に、今回の選手団も80ヵ国の平均は女子が3分の1だが、日本だけは男女半々の人数である。

 宙づりになった白衣の人びとが正面の垂直の壁を上下しているうちに、一ヵ所にかたまり、ワシかタカの模様を描き出した。この紋様はイタリアかトリノ市のものかもしれぬが、よく分からない。

 聖火の点火。実は、聖火ランナーが入ってきた瞬間にカメラの電池が切れて、それを入れ替える間に聖火リレーがどんどん進み、あわててシャッターを押したために手ぶれを起こし、こんな写真しか撮れなかった。

 帰国後の新聞には「史上最多タイの10個のメダルを獲得したステファーニア・ベルモンドさんがアーチ型の点火台にトーチをかざすと、炎が舞台や会場を回って聖火台に灯がともり、開会式の幕が閉じた」と書いてあった。

 高い塔の上で燃える聖火。開会式の終了後、スタジアムの外に出て暗い道を歩きながら撮ったもので、これも手ぶれである。なにしろ大勢の見上げるような人間ばかりが周りを歩いていて、油断すると暗がりの中で迷子になるおそれがある。落ち着いて写真を撮る暇もない。

 案の定、われわれ20人ほどのグループの中からたちまち3人が行方不明となり、その捜索に1時間ほど費やした。なにしろ10か国から集まった一団だから、みんな町や通りの名前も分からず、言葉もあんまり通じないから道を聞くのも大変だ。もっとも、私を除く全員が携帯電話を持っていて、声の連絡はできているらしく、迷子が見つかった後の話を聞いていると、広い通りに出て、イタリアAGIP石油のガソリン・スタンドの看板が見えるかなどと目印の交換をしていたらしい。迷子の方は「エッソ石油しか見えなかった」などと言って大笑いになったが。

 それからバスでトリノを出発、ミラノまで2時間ほど走って、ホテルに戻ったのは午前3時前。翌朝テレビのチャンネルを回していると、偶然「ヨーロッパ・スポーツ」なる英語チャンネルにぶつかり、開会式のもようを映し出していた。そこで初めてヨーコ小野だのパバロッティだのソフィアローレンが出演していたのを知ったのである。

謝  辞

 元来が不精で、いつぞや高松の動物園で見たナマケモノの生き方を理想としているほどだから、大人になって半世紀、ゴルフも何も運動などはしたことがない。そんな人間にオリンピックを見せてやろうというアグスタの考えも少し的外れだったかもしれぬが、寒さに凍え、眠さをこらえながらの見物もそれなりに面白く、貴重な体験でした。

 そのうえアグスタ社のスタッフの皆さんには、深夜遅くまで親身のお世話をいただきました。有難うございました。

(西川 渉、2006.2.17)

 

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