HEMS出動基準と

MD902の導入

――『トラウマケア』を読む(4)――


(本の表紙)

 

 

 前回はロンドンにおける救急ヘリコプター出動のもようを現地に見た。今月はその続きとして、ヘリコプターはどのような基準にもとづいて出動するのか。本書『トラウマケア』の中から、ロンドンHEMSの出動基準に関する部分を読んでゆきたい。

 

 

事故原因が判断基準

 ロンドン・アンビュランス・サービス(LAS)にかかってくる緊急電話999は、1日1,500件前後になる。東京23区内の119番もほぼ同じくらいであろう。そのうちロンドンでは0.2%、500件に1回くらいの割合でヘリコプターが出動する。すなわち1日3回程度で、私がロイヤル・ロンドン・ホスピタルを訪れた日も到着直前に1回、目の前で2回の飛行がおこなわれた。したがって1年間では1,000回程度の出動になる。

 とすれば、多数の「緊急コールの中からわずか0.2%の事態を選び出すようなヘリコプターの出動基準をつくるのは容易ではない」。そのため当初は出動基準があいまいで、無駄に終わった空振りも4割を超えるほどであった。が、経験を積むにつれて的確な判断が可能になり、近年は空振りが20%前後に落着いている。世界的な平均も同じような比率で、決してロンドンだけが高いわけではない。

 こうして実例と実績を重ねた結果、今のロンドンHEMSの出動基準が出来上がった。長年にわたる検討と改定がつづき、正式に導入されたのは1996年6月である。

 この基準の基本的考え方は医学的な診断による判定ではなく、誰が見ても分かるようになっている。というのも、出動基準はヘリコプターに指令を出す専門家が使うばかりでなく、素人を含む多くの関係者――たとえば緊急コールをしてくる一般の人を初め、それを受ける受信担当者、特別事故デスク(SID)のパラメディック、あるいは地上の救急隊員、警察官、そしてロイヤル・ロンドン・ホスピタルの医療チームなどが判断の根拠とするからである。

 したがって基準の内容は単純明快でなければならない。具体的には下表左欄のように、緊急事態の原因がすなわち判断の基準になっている。つまり、緊急事態におちいった原因は何か。たとえば2階から落ちた場合は、落ちた結果が何ともないようであっても、ヘリコプターが飛び出す。

 あるいは車から放り出されたような場合も、大けがをしたようには見えなくとも、ヘリコプターは躊躇なく飛ぶ。飛んだ結果は無駄になることもあろう。けれども、それは問題にしない。初めから2割程度の無駄は計算ずみなのである。

 

 

ロンドンHEMSの出動基準

原因または現象による基準

詳細を聴取すべき基準

・列車に轢かれた
・2階よりも高いところから転落
・交通事故で車の外へ放り出された
・銃撃による負傷(空気銃を除く)
・刺し傷(首から鼠径部まで)
・首吊り
・溺水
・四肢の切断(手首またはくるぶしより上)

・道路交通事故
・火傷/熱傷(熱湯や化学薬品によるもの)
・感電・産業事故
・火災/煙の吸引
・狭いところに閉じこめられた場合
・攻撃による意識不明

 

・緊急サービス機関(消防、警察、救急)からの要請――無条件で出動

 

緊急機関からの要請には即時対応

 もうひとつの基準は、LASの特別事故デスク(SID)が詳しい内容を聞いて判断するような場合で、上表右欄がそれである。たとえば一と口に交通事故と言っても大小さまざまだから、けが人がたくさん出ているか、意識をなくした人がいるかといったことを聞いて出動することになる。

 そして、第3の基準は、現場に駆けつけた救急隊員や警察官から要請がきた場合で、これは否応なく直ちに出動する。実際の現場を目撃した緊急機関こそは最も的確な判断ができるという考え方である。

 このようにして「設定された基準は今後、実際にヘリコプターを出動させ、治療上の医学的結果を見ながら、早急な治療が不要といった事例が出てくれば、その詳細を検討して改定してゆく予定である。さらに、それだけでは不十分で、ヘリコプターの救助を受けた患者の全員について、予後の経過や結果をデータベースとして蓄積し、分析する必要がある」

 つまり救急出動基準の効果を高めるには、いったん設定された基準をそのままいつまでも守りつづけるのではなく、毎日の実績にもとづき、さまざまな協力を得ながら、いっそうの効果を上げるために、常に改定をつづけてゆく必要があるということである。

「したがって上の基準はLASにおける将来の的確な救急対応を実現するためのはじまりに過ぎない。けれども、この基準が救急隊員の出動に関して、いくらかでも役に立ち、患者の救命に寄与できることを期待する」としている。

 なおLASに所属する救急隊には救急オートバイ隊、救急車要員、HEMS、救急医などが含まれる。

 

 

MDエクスプローラーを導入

 ところで前回書き忘れたことがひとつ。本誌の出るころにはロイヤル・ロンドン・ホスピタル(RLH)の使用機材がMDエクスプローラーに替わっているだろうということである。これまで使ってきたSA365ドーファンは1988年以前に飛びはじめ、救急機としては毎年およそ450時間ずつ飛んできた。したがって飛行時間は5,000時間程度かと思われるが、1回平均8分以下の飛行を繰り返しているため、発着回数は大変なものになる。そろそろ取り替える時期だというので、去る7月にこの病院を再訪したときは、英国内で新しいMD機の救急装備の工事がはじまったところだった。

 
(改修中のHEMS機。赤い塗装は終わっているが、
なぜかヴァージンのロゴマークが隠してある)
――撮影:庄島広孝氏/朝日航洋――

 

  MDエクスプローラーは、ドーファンにくらべて一と回り小さく、コストも安い。キャビン内部もやや狭くなるけれども、せますぎるわけではなく、現場近くのせまい場所でも発着が容易になる。それに尾部ローターがないので危険を招くおそれがなく、騒音も小さい。また片発停止時の飛行性能にもすぐれ、それだけ安全性が高くなる。こうしたMDノーター機の特徴がロンドンHEMSの選定理由である。

 ただし、機種が決まっても、RLHのヘリコプターはヴァージン・グループの寄贈を受けることになっているので、ブランソン会長の承諾がなければならない。3年前に刊行された本書『トラウマケア』の一節にも、次はぜひMDエクスプローラーを導入したいと書いてある。ということは、ロンドンHEMSの3年来の希望がようやく叶えられたということかもしれない。

 新しい救急機は、これから上述の出動基準に従ってロンドン市内を縦横に飛び回り、多数の人命を救うであろう。

(『ヘリコプタージャパン』2000年11月号掲載)

 

 10月末、ロンドンHEMSがいよいよMDエクスプローラーを受領し、運航を開始したというニュースが伝えられた。ロイヤル・ロンドン・ホスピタルの屋上ヘリポートに着陸した写真を見ると、真っ赤な胴体に白く “Virgine” の文字が描かれている。医療装備を含む機体価格420万ポンドは、ブランソン会長が出したもの。これまで使っていたAS365Nは国外に売却されたらしい。

(西川渉、2000.11.17)

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