ヘリコプター救急の効用

――『トラウマケア』を読む(7)――


(本の表紙)

 

 

理論的説明は困難

 平成13年度の政府予算案に、ドクターヘリコプターの本格的実施予算として6機分が計上された。うち2機分は昨年来の試行的事業の継続、残り4機分は下半期からの実施を想定したものという。こうした国の予算に加えて、実際にドクターヘリコプターを導入する地方自治体が金額を上乗せし、合わせて年間およそ1.7億円が1機分の予算ということになるらしい。

 この金額が充分か不充分かは別として、ヘリコプター救急の場合は常に費用負担が問題になる。救急車だって平成11年には全国で7,373台が走っていた。その費用負担は決して安くないはずだが、その是非が問題になったという話は余り聞いたことがない。

 誰も意識しないのは、何かあったときに救急車が来るのは当然のこと、自然に存在する空気のようなものと思われているのかもしれない。しかし、救急車の導入がはじまった当初は議論があったにちがいない。今でも救急車は急速に増えていて、全国7,373台のうち2,122台は高規格車だが、平成4年にはこれが55台しかなかった。それが3年ほどで10倍を超え、今では40倍に増えたのである。

 これだけの救急車があれば必要条件は満たされたといえるかもしれない。しかし充分条件は満足していない、というのが救急医療に関する専門家の見方である。だからといって今後、高規格車ばかり増やしても、増加の割に合うような効果は得られない。車の数が増えれば、飽和状態に近づくにつれて1台あたりの効用は逓減してゆくからである。

 そこで、もう一段の飛躍を求めるとすればヘリコプターの導入ということになる。欧米諸国では早くからこのことに気がついて、ヘリコプター救急の体制をととのえてきた。しかし、仮に地上手段で必要条件を満たし、航空手段で充分条件を満たすとしても、果たして航空手段にそれだけの効用があるのかと問われたときに、それを理論的に説明するのは必ずしも簡単ではない。まして国民的な理解を得るのはなかなかに困難なのである。

経済的な三つの課題

 このあたりの問題について、日本のある救急専門医は次のような話をしてくれた。ヘリコプターの効果について、経済的には以下のとおり3点の見方があるというのである。

 ひとつは、ヘリコプターの利用が直接医療費の削減につながるかどうかということで、初期治療を早くおこなうことによって病状が軽くてすむならば医薬品にかかる費用も減るし、入院期間も短縮される。その結果、直感的にはおそらくヘリコプター1機で年間5,000万円くらいの医療費が節約されるのではないだろうか。

 第2に社会保険に関しても、2〜3億円の貢献をすることができよう。ドイツのヘリコプター救急のきっかけも保険金の支払いを減らすことであった。しかし今のところ、わずか1〜2年の実績では、これらの数字を実証するだけのデータがない。

 したがって第3の課題だが、ヘリコプター救急について国民の広範な理解が得られるところまでゆくことができない。とりわけ国の予算では、医療費は単なる消費とみなされ、生産性は認められていない。たとえば橋の建設は交通の利便性を高めて地域経済を活性化するとみなされる。しかし医療費は、老人介護のように消費ばかりで生産性があるとは認められないのである。そのため国や自治体の予算も、結局はいわゆる公共投資に行くばかりで、ヘリコプター救急には回ってこない。

 むろん医療関係者からすれば、医療は病院の経営やそこで働く医師、看護婦などの労働、さらには医薬品や医療器具などの需要を生み出すもので、一種の産業になっていると思うが、予算上の考え方はそのように取られない。この基本的な見方を改めてゆく必要があるし、上の第1と第2の数字的なデータもこれから時間をかけて固めてゆかねばならない、と。

 

ロンドンHEMSの収支計算

 本書『トラウマケア』(1997年刊)でも、編著者のリチャード・アーラム博士は「ヘリコプター救急の必要性もしくは効果について、英国政府は今なお疑問をもっているようだが、そのせいで英国はヨーロッパの中ではヘリコプター救急システムの導入が最も遅れた国になった」としながら、では如何にして経済性を実証するかを書いている。

 それによるとロンドンHEMSの年間予算は約100万ポンドである。これによって、ヘリコプターは年間1,000回の出動をする。したがって患者1人あたりの費用は1,000ポンドということになる。

 一方、ヘリコプター搬送によって入院した患者の医療費は平均して総額およそ10,000ポンドである。したがってヘリコプターの経費は医療費の1割程度ということになる。わずか1割の上乗せで、重篤患者の生命が救われ、予後が改善され、社会復帰をする人が増えるとすれば、これは安いものではないかというのである。

 もうひとつ別の見方もある。ヘリコプターがなければ死亡したかもしれない人が命を救われた例は、ロンドンHEMSの場合、毎月平均すくなくとも1人はいると考えられる。そこで人の命の値段だが、たとえば英国「運輸省は突然死の社会的コストについて、道路交通事故は75万ポンド、鉄道事故の場合は200万ポンド以上と設定している。安全対策がこれ以下の費用ですむならば実施に踏み切るというわけである」

 ほかにも遺族の悲しみをどのように算定すればいいかといった問題があるが、ロイヤル・ロンドン・ホスピタルでは「こうしたさまざまな数字を勘案し、外部の専門家とも相談して、人の命の最小値を50万ポンドと設定した。したがって1か月に1人の生命を救うとすれば、年間600万ポンドの出費を抑えたことになる。加えて関係者の幸福と満足を提供している」

「もともとHEMSは、金儲けや費用節約のために設立されたものではない。主たる目的は、費用の如何にかかわらず、ロンドン地域で発生する事故に対して最良の救急手段を提供することである。にもかかわらず、仮にもHEMSの収支を計算しなければならないとすれば、ヘリコプターのコストが年間100万ポンドであるのに対し、収入は救われた人命だけで600万ポンドということになろう。差し引き大きな利益といわなけばならない」

 

金額だけでは測れない

 これで結論が出たようなものだが、本書はさらに後遺症のコストなども考えながら、ヘリコプター救急の費用効果について分析をしている。その結論は「治療と看護の目的は、最良の処置をほどこして死亡者を減らし、後遺症を減らすことにほかならない。しかし死亡および後遺症のコスト計算はむずかしく、不正確にならざるを得ない。したがって救急治療の結果を金額で論議する場合は、幅をもたせて考える必要がある。同時に、ヘリコプター救急から得られる便益は経済分析だけでは不充分であり、金額だけで測ることのできないものがある」として、12項目の効用を上げている。その要点は下表の通りである。

 救急医療は人の生死に直接かかわる事態が多い。したがって経済や金銭だけで論じることはできない。それは『トラウマケア』の言う通りだが、最近読んだ本の中には人命至上主義だけで世の中は動かないと書いている経済学者がいた。

 なんだか恐ろしい話で、そのような経済至上主義がなかなか引き戻せないところに今の日本のヘリコプター救急の哀れな現状があるのかもしれない。ドクターヘリの新年度予算が、いささかでもわれわれの人間らしさを取り戻すきっかけになってほしいものである。

 

ヘリコプター救急の測りがたい効用

1 人命救助――1か月1人、年間12人で600万ポンドの節約

2 後遺症の減少――植物状態になる人は予期以上に少く、頭部損傷の完全治癒が増加する

3 救急隊員やパラメディックの訓練になり、練度が向上する

4 救急司令本部では迅速な状況判断が可能になり、有効な対応が可能になる

5 警察および消防との連携が強化される

6 救急体制が見直され、出動回数が増え、救急治療の水準が向上する

7 救急医の養成訓練が充実強化される

8 救急看護士の水準が向上する

9 結果的に、ヘリコプターを使わない地上の救急体制も向上する

10 看護婦、医師、パラメディック、救急隊員の勉強意欲が増大する

11 大学付属病院における研究が増加する

12 ヘリコプターによる高度救急システムの確立は後生の前例となり、関心を高め、好結果をもたらす。

(西川渉、『ヘリコプタージャパン』2001年3月号掲載)

 

[注]本文は2001年2月初めに書いたものだが、4月からドクターヘリコプターの試行的事業が本格的事業に移行した際、試行的事業にたずさわってきた川崎医科大学と東海大学のうち、後者は神奈川県の予算不足の理由をもって本格的事業に移行することができず、1年半の実験運航だけで残念ながら中断した。神奈川県民からは多数の継続希望の声があったが、人の生命よりも金銭の方が重視される結果となった。

 

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