フランスの独立救急機関SAMU

――「トラウマケア」を読む(9)―― 

 

 
(本書の表紙)

 

2種類のヘリコプター救急体制

 救急ヘリコプターは世界中でおそらく1,000機近く飛んでいると見られる。その半数以上がアメリカにあり、約4割が欧州圏内、残り1割程度がその他の国である。

 日本は今のところ、その他1割の中に入るか入らぬほどの後進的な状態で、ようやく今年度からドクターヘリ1機が動き出したばかり。10月からは6機になり、向こう5年ほどの間には30機程度の配備をしたいという非公式の目標があるようだが、果たしてどうなるか。神奈川県のように、誰もが決まったと思っていたドクターヘリが急に中止という事例もあるから楽観はできない。

 その一方で総務省消防庁も今の防災ヘリコプターに加えて、救急専用ヘリコプターを配備したいという考えがあるように見受けられる。そうなるとドクターヘリとの関係をどう調整してゆくか。お互いに重複するような無駄は避けるべきで、日本全域が過不足なく平等にヘリコプター救急の恩恵にあずかるにはどうすればいいだろうか。

 ドクターヘリは病院に待機していて、救急要請が出れば直ちに医師と看護婦が乗って出動する。この方式はドイツに似たところがあるが、ドイツの場合は看護婦ではなくて救急救命士が同乗する。

 一方、消防庁の考える救急専用ヘリコプターは医師が乗るのかどうかはっきりしない。どちらかといえば、救急救命士だけで飛ぶようだが、それならばアメリカのパラメディックのように現場治療の能力を高め、権限を広げる必要がある。死ぬか生きるかの患者さんを前にして、そこにいない医師の指示を受けなければ大した処置もできないのでは、緊急事態への対応とはいえないだろう。

 このような拮抗する問題と矛盾に悩んだせいか、思い切って全てを一つにまとめたのがフランスの救急システムである。日本もその真似をせよというのではないが、何かの参考になるかもしれない。本書『トラウマケア』にも、英国から見た参考事例のひとつとして、先月ご紹介したドイツと共にフランスの救急システムが取り上げられている。

 

 

「救急法」の制定を提案

 フランスの救急サービスが本格化したのは1986年であった。決して早いとはいえないが、それだけに徹底した体制が組まれた。というのは、それまでの警察、消防と並んで、新しく三つ目の緊急対応機関を設置することになったからである。これにより一般市民が何らかの緊急事態におちいったとき、火事ならば17番、泥棒ならば16番、急病や怪我の場合は15番へ電話をするようになった。

 多くの国は日本を含めて、警察と消防が別個に存在し、緊急電話番号も異なる。しかしフランスのように3種類の機関が別々という国は余り聞いたことがない。ちなみに「英国では、これら3種類の緊急電話番号がすべて999の一つしかない。そのため電話を受けた交換手が問題点を判定し、振り分けなければならない」と本書は嘆いている。ただし緊急機関は分割した方がいいのか、余り分けずに相互協力がしやすいようにしておいた方がいいのか、意見の分かれるところであろう。

 余談ながら、日本の救急体制が法律によって定められたのは1963年である。消防法の一部が改正されて「第7章の2救急業務」が編入された。しかし、この章立てでは前の「第7章火災の調査」の付け足しみたいに見える。細部の条項も前章からつづく「第35条の5」から「第35条の9」までとなっている。このことに疑問をはさむと、実質的な内容が定めてあれば形式は問題ではないというお役所らしからぬ答えが返ってくるが、法律改正から今日まで40年近く、未だに救急業務が軽視されているように思えてならない。

 この際は、面倒がらずに第8章という独立した章立てにするか、思い切ってフランスのように別の法律、たとえば「救急法」といったものを制定してはどうか。この場を借りて提案しておきたい。

 ともあれフランスは独自の救急体制をつくるために、今から15年前に新しい法律を制定し、下表のような基本原則を定め、具体的な活動機関として全国100余か所にSAMU(Services de l'Aide Medicale Urgente)を置き、さらに約300か所にSMUR(Services Medical D'Urgence et de Reanimation)を置いた。念のために、これはヘリコプターだけの救急システムではない。国の救急体制全般の話である。

 そこで救急要請をしようとする市民は最寄りのSAMUに電話をする。これに対応する「SAMUの職員は無線電話係、コントロール・ルーム担当医、医療補助者、および事務管理者から成る。……無線電話係は電話を受け、一定の書式に内容を記入し、現場の住所、緊急事態の状況、問題の重大さなどを確認し、あとでコールバックするための電話番号を聞く。同時に担当医師に電話を回したり、利用可能な病院を探したり、出動した医療チームとの間で無線連絡をしたりする」

「医師は一般に病院勤務医で、麻酔と集中治療の訓練を受けている。電話受付係から回ってきた電話に対して直接受け答えをし、医学的な助言を与え、重要な問題があればそれに適した病院を紹介する」

 

別表 SAMUの基本原則

1 国民は全て、病気になったり緊急事態におちいったときは、等しく救助を求めることができる。

2 緊急医療サービスはSAMUと呼ぶ特別機関に集中する体制を取るものとする。

3 SAMUは症状の判定にもとづき、重症のときは救急専門の医療スタッフを高速移動手段によって、医療器具や医薬品と共に現場へ派遣する。

4 SAMUは緊急事態の大小にかかわらず、如何なる場合にも対応する。

5 SAMUによる緊急医療は無償である。治療に要した費用は国が補填する。

 

SAMUとSMUR

 しかし、さらに重大な緊急事態が起こったときはSMURが行動を起こす。SMURは救急の実働部隊で「病院を拠点として医師が指揮を執り、病院のマネジャーが管理をする組織である。緊急対応の活動区域は平均10分くらいの距離である。このとき地上車両だけで対応できないときは、ヘリコプターを使用する」

 実際はSAMUがSMURも兼ねているらしい。実は私自身、パリから汽車で1時間ほどのアミアンという町にあるSAMU80を訪ね、医師の話を聞いたことがある。けれども双方片言の英語で複雑な救急体制について論じ合おうとするものだからなかなか話が通じず、余りよく理解できなかった。おまけに本書も、彼らにとって自明のことはいちいち説明が書いてないから確認できない。

 ともかくSAMU80の場合は、自分が兼ねるSMURを含めて、傘下に5か所のSMURがあり、担当地区を分担している。SAMUが受けた救急要請は傘下のSMURに伝達され、そこから医師が出動する。出動手段はドクターカーや救急車、オートバイなど、そのときの状況に最も適したものを選ぶ。そして事態がもっと大きくてSMURだけでは対応できない場合、専門医が必要な場合、道路の渋滞や積雪などで車が走れない場合、患者を遠くの専門病院に搬送しなければならない場合、そんなときはSAMUから医師の乗ったヘリコプターが飛ぶ。

 以上のようなSAMUおよびSMURの任務について、本書は次のように要約している。

「SAMUが緊急電話を受ける。電話を受けた担当者は、患者の容態、現場の位置、その他の状況を聞いて記録し、これを医師に伝える。医師は救急内容を判断して、必要があればSMURに指示を出し、高速車、救急車、ヘリコプターなどで現場へ向かわせる。

 たとえば心臓疾患の場合、現場に到着した医師、看護婦、および救急救命士は協力して蘇生治療をおこなう。路上や建設現場では警察官が協力する。患者は現場で治療を受け、それから病院へ搬送される。患者に同行する救急医は無線機でコントロール・ドクターと連絡を取る。コントロール・ドクターは搬送先の病院を手配し、ヘリコプターや救急車の受入を依頼する。

 現場へ出動したドクターは書記治療を終えた患者を病院へ搬送する。そして病院側のドクターへ引渡したとき、SMURの任務が終了する。出動した各人は拠点基地に戻ったならば、次の任務に出る前に、報告書の書式に所定の事項を記入する」

 

 

SAMUの課題と日本

 このようにしておこなわれるフランスの救急医療システムはきわめて先端的といってよい。その基本目標は「現場で迅速な診断と手当に着手し、そのときから最終的な治癒まで連続して治療をおこなうこと」である。しかし、基本目標は明確だが、「その達成のためには多数の関係機関および関係者との調整を経なければならない」

 もう一つの問題は「全国300か所のSMURを埋めるのに適した若い医師が足りない。やむを得ず、一部は陸軍の医師が応援しているが、それでも不足している。経費が高いのも問題で、国および民間の健康保険や社会補償によってまかなわれているが、必ずしも充分ではない」

「フランス政府と政治家たちは、こうした救急システムに対して予算の支出を認めている。しかし、このシステムがそれ以上の機能を発揮し、社会的に貢献していることを認めようとしない。まだまだ認識が足りないのである。しかし幸いなことに、SAMUに対する国民の支持と期待は大きい。これが最も重要なことである」

 人命救助の重要性と必要性は誰も否定できない。けれども、それを日常的な救急体制として実行に移すのは決してたやすいことではない。どこの国でも問題が多く、関係者は苦闘を強いられるのである。

 しかし、だからといって放置しておいてよいというわけではない。先月号の繰り返しになるが、日本も体制の整備を急がなくてはならない。

(西川渉、『ヘリコプタージャパン』2001年6月号掲載) 

(表紙が変わった最近の『トラウマケア』)

 

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