ティルトローター・ミーティングの感想

 

 

 昨27日夕刻アメリカから帰宅しました。ニューヨークを出るときは雪が降っていたのに、13時間後、東京に着いたら桜が咲いていました。やっぱり日本はいいです。

 今回の旅はダラスとニューヨークへ1週間余り出かけたもので、先月下旬ロサンゼルスのヘリエキスポから戻って一と月もたたないうちに、もう一度出かけるなどということは、むかし勤務先で海外事業を担当していたときは別として、ここ10年来なかったことでした。

 今回の主目的はダラス近郊のテキサス大学アーリントン校(UTA)で3月20〜22日の3日間にわたりAHSインターナショナル(国際ヘリコプター学会)のサウスウェスト・チャプター(米国南西支部)が主催した“Tiltrotor/Runway Independent Aircraft Technology and Applications”というミーティングに出席することでした。

 つまりティルトローターが会合の主題で、言い換えると滑走路から独立した航空機、すなわち滑走路不要の航空機の技術と活用に関する問題です。最後の3日目はベル・ヘリコプター社の飛行試験センター「プラント・シックス」(第6工場)で、XV-15の飛行ぶりや今年末の初飛行をめざして組立て中のBA609原型機の見学会となりました。

 出席者は約80人。学者、研究者、技術者が中心ですが、ベル社のそばですから、当然、同社の設計技術部門の人も多く、その筆頭は技術担当副社長のトロイ・ギャフィー氏でした。ほかに日本からは三菱重工の佐藤晃氏。またフランスやオーストラリアの技術者も来ていました。

 私自身は「日本におけるティルトローター輸送への期待」という表題で15分ほど話をする時間を貰ったのですが、そのことはさておき、この3日間の感想3点をここにメモしておきたいと思います。

 感想の第1は、みんなティルトローターという研究対象が面白くてしようがないらしいということです。学者、研究者が自分にとって興味のあるテーマを選ぶのは当然ですから、ここに集まった人びとがティルトローターを面白がるのは当然ですが、私のような門外漢が見ていても、いろんな角度からティルトローターをとらえ、計算し、実験し、設計するのは未知の部分が多いだけに誰にとっても興味津々たるものがあるのだろうと思います。

 総数20人くらいの人が代わるがわる登壇し、ティルトローターの空力、性能、振動、騒音、設計、コストなどについて発表し、論議をしてゆくわけで、それでもなかなか確答が得られない。未知の世界はやり甲斐もあるというものでしょう。

 なにしろ航空界にとっては半世紀前の超音速飛行以来、久しぶりに心躍るような新しいテーマが出現したという人もいるくらいで、これが面白くないはずがありません。そのことを改めて感じました。

 2番目は、同じティルトローターでもさらに一歩を進めて、4つのティルトローターを持つ「クオッド・ティルトローター」(QTR)を取り上げる人が多かったことです。これは、ただのティルトローターではもの足らなくなったか、すでにかなりの研究が進んだせいでしょうか。

 それも一般的な架空のものではなくて、ベル社が構想中のQTRを対象として分析結果を発表する。別にベル社から頼まれたわけでもないのに、同じ設計仕様をどこからか持ってきて、あるいはベル社から貰って、独自の分析をしてみせるといった具合です。

 悪く言えば人のふんどしで相撲を取るようなところもありますが、そういうことが自由闊達におこなわれている。ベルの方も自分の計画について他人があれこれ検討し分析してくれる。それを聞いて感心したかどうかは知りませんが、黙って聞いているといった具合です。

 日本でもそういうことはあるのでしょうか。たとえばA社の計画にB社の技術者やよその研究者が手を着けて議論する。そんなことは、ちょっと考えられません。むろん競争相手の製品がどういうものか、密かに調査分析をするかもしれませんが、それを人前で堂々と発表するところが面白いと思いました。

 第3に感じたのは、ティルトローターを離れて、研究発表の手段としてパソコンでつくったプレゼンテーション画面が、どれもきれいで凝っていることです。

 これはきっと、つくるだけでも面白くなるに違いありません。そうなるとだんだん深みに入ってゆく。制作の時間もかかるが、画面のレイアウトや色使いに凝って、途中にムービーを入れるのは勿論、コンピューター計算でつくったダウンウォッシュの複雑な流れを可視化する。わずか10秒くらいの動きを見せるのに、何日も何時間もかけてコンピューターを動かし、計算させる。その結果をきれいな色で見せるわけです。

 学会での研究発表は、これまでOHPやスライド写真が中心でした。しかし今やパソコンと投影機を駆使して、そこに動きを入れるようになったわけです。

 いずれにせよ、一定の枠組みの中に、複雑な研究結果を盛り込まねばならない。だからといって、こまかい文字を沢山並べると、見ている人はなかなか読めないし、読む気もしなくなる。箇条書きでも能がない。そのうえ時間が限られているから、パッと見るだけで分かりやすく、しかも印象に残るようなものでなければならない。つまり文章を削りに削って、適切な表現にしなければならない。その作業の中で研究の結果もまた、うまく整理されてゆくといった効用も考えられます。

 さらに画面にはティルトローターやヘリコプターの絵や写真を入れたくなる。しかし美麗かつ適切な絵や写真がないから、あれこれ工夫しなければならない。まことに千差万別で、研究内容と同時に、発表の仕方も一種のパワーポイント・コンクールになっているような気がしました。

 実は、私の今回の発表は、そんなコンクールとは無関係に、数頁の論文というよりは感想文のような作文を山野さんに英訳していただき、それを全員に配って読み上げたという最も古典的な方法でした。無論そのなかには図表類も入れてありますが、古くさいといわれればその通りです。けれどもスクリーンに映すだけと違って、こちらの言いたいことが出席者の手もとに残ることは確かです。

 とはいえ、私もこの次は何か同じような機会があれば、パソコン発表をやってみようかと思いました。

(西川渉、2001.3.28)

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