<ヴァンダービルト大学>

都会の真ん中で計器進入

 今年3月初め、米テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学のヘリコプター救急のもようを見学する機会を得た。

 ナッシュビルといえばカントリーミュージックの町だが、最近は健康産業の集積地として変身しつつある。その知的中心となっているのがヴァンダービルト大学で、病院経営、外来手術センター、医院開業などの分野が注目されているらしい。

 大学はナッシュビル市内中心部にあって、病院屋上2ヵ所にヘリポートを持つ。ひとつは本館屋上、もうひとつは小児病棟の屋上で、同時に3機が停留できる。ただし最初に訪ねたのは、そこから70キロほど離れたゲイトウェイ医療センターであった。というのは、ヴァンダービルト大学はヘリポートをもち、ヘリコプター5機をチャーターして「ライフフライト」と呼ぶ救急システムを運営しているが、ヘリコプターの拠点は大学ではなく、周辺100キロほどの範囲にある病院や飛行場など合わせて4ヵ所だからである。5機で4ヵ所に待機するので、1機は予備ということになる。

 それらの拠点に、ヘリコプターはフライトナース2人と共に24時間待機をしていて、救急患者が発生すると現場に飛ぶ。そこで初期治療をほどこしたのち、主としてヴァンダービルト大学へ搬送してくる。つまり本拠地の大学病院には受け入れヘリポートだけを設け、四方に衛星のようにヘリコプターを配置して患者さんを集めるという独自の体制である。いわば「サテライト・システム」だが、日本式にいえば鵜匠と鵜のような関係で、救急飛行の「鵜飼い方式」とでもいえようか。


衛星拠点の一つ、ゲイトウェイ医療センターの駐車場
道路のすぐそばで待機する「ライフ・フライト」機

 ゲイトウェイ病院では道路わきの駐車場の一角に待機していたヘリコプターの横で、フライトナースやパイロットの話を聞いた。「ライフフライト」は1984年、非営利事業として始まった。以来3万人近い患者を救護したという。ヘリコプターの運航費は医療保険でまかなわれるが、必ずしも完全に回収できるわけではない。不足分は病院経営によって補填される。病院から見れば、ヘリコプターの収支だけで採算を考えているわけではないのだろう。

 午後からはナッシュビルに戻って大学病院の屋上ヘリポートを見せて貰った。折から本館屋上に1機、その向こうの小児病棟屋上にも1機のヘリコプターが着いていた。いずれも患者を運んできたところらしく、しばらく見ていると小児病棟にいた機体も本館屋上へ飛んでくるなど、見学には最適のタイミングとなった。機種はいずれもEC145である。

 そこにいたパイロットや運航管理者の話では、これらのライフフライト機は4ヵ所から年間3,000回以上出動する。そのほとんどがここへ患者を搬送してくるので、屋上への着陸は1日10回前後という。

 着陸は昼夜を問わず、霧がかかったときもGPSを使って、謂わゆる「ポイント・イン・スペース」方式で計器進入を行なう。高層ビルの建ち並ぶ都会の真ん中で計器進入ができるのかというこちらの質問に「安全性については何の心配もない」という当然の答えがパイロットから返ってきた。計器進入の割合は、夏はほとんどないが、気象条件の悪くなる冬は2割程度だそうである。

 勿論この22年間、事故は一度も起こしたことがない。今年中には夜間の救急現場で着陸場所を探すための暗視ゴーグル(NVG)も使うよう準備中とのことだった。


本館屋上から見た小児病棟屋上のヘリコプター

 ところで、テネシー州全体のヘリコプター救急体制はどうなっているのだろうか。ADAMSデータベースによると、拠点数は21ヵ所。予備機を含めて24機の救急専用ヘリコプターが存在する。州の面積は11万平方キロ弱で、日本はその3.5倍に当たる。したがって日本ならば拠点数73ヵ所に相当する。

 またヘリコプターの拠点から実飛行10分以内、すなわち発症から15分程度でヘリコプターの救護を受けられる地域に住む人口は、州全体の約76%である。全米の平均は71%だから、テネシーの方がやや高い。

 ちなみに日本は、ドクターヘリの救護範囲に住む人が全国民の約33%で、3分の1に過ぎない。それだけ日本の救命率がアメリカやテネシーに比べて低いのではないかと危惧される。

 ヘリコプターの過疎は医療過疎につながり、医療過疎はヘリコプターによって解消される。アメリカ大陸の中央部にあって、広大な農場が果てしなく広がるカントリー地域で、ヘリコプターは医療過疎解消のために、活発な活動を展開しているのであった。


テネシー州のヘリコプター救急拠点図
中央赤丸はナッシュビルのヴァンダービルト大学病院。
その四方4ヵ所の赤い四角がヴァンダービルト衛星拠点。
本拠地にはヘリコプターを置かず、周囲の衛星拠点から搬送してくる。

【謝辞】ヴァンダービルト大学の訪問は、日本の五甲商事(株)を通じて米エアメソッド社のご紹介により実現しました。ここに御礼申し上げます。

(西川 渉、『日本航空新聞』2006年6月1日付け掲載)


ヴァンダービルト大学病院の本館屋上には2機が着陸できる

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