累卵のホワイトハウス 

 歳を取ってくるとだんだんもの忘れがひどくなる。昼食をたべたかどうか忘れたなどということはまだないが、何を食べたかなどは夕方になると思い出せない。隣の部屋に何かを取りに行って、さて何しにきたのか分からなくなることはいつものことである。

 あるいは手に持ったものを取り落とすことも多い。駅の切符売り場の前で小銭を落とし、遠くへ転がってゆくといったことも、最近はよく経験するようになった。

 してみると、パイロットが何かの指示を受けていながらうっかり忘れたり、複雑な機械を操ってときどき間違うなどは当然のことかもしれない。無数のスィッチとハンドルと計器とデジタル表示に満ちあふれたコクピットの中で、むろん外界にも目を配る必要があるし、咄嗟の判断と操作が求められるとすれば、過ちの起こらぬ方が不思議なくらいである。ただ、それが大惨事につながるかどうかは別で、ほとんどのミスは何事もなく修正されるのだろうが、ときには大きな事故になる。

 先にも本頁で取り上げた『機長の真実』を読んで、人間が人間である限りは必ずエラーをするものであり、航空事故はいつでも起こり得る。むしろ現状の事故率は奇跡に近いかもしれないと思えてきた。

 この本によれば、航空事故の7割は「パイロット・エラー」という原因で片づけられている。しかし、このパイロットという言葉を人間に置き換え、「ヒューマン・エラー」と表現すれば、人間がミスを犯しやすいことからしても、たぶん正しいのではないだろうか。逆に人間がミスをしても事故にはつながらないような方策が見つかれば、事故の7割はなくすことができるかもしれない。

 人間最古のヒューマン・エラーは「エデンの園でアダムがリンゴを食べたこと」だそうである。この本の原著の題名「裸のパイロット」(The Naked Pilot)もそのことを言っているらしく、イチジクの葉1枚の人間は何にもできないのである。

 とすれば、イカロスの神話こそは航空における最初のエラーであろう。そもそも空を飛ぼうなどと人間本来の能力からかけ離れた欲求を持ったことが間違いのもとであり、太陽に近づきすぎたこと、翼を貼り合わせていた蝋が熔けてきたのに気づかなかったことなどのエラーを重ねて墜落したのであった。

 空中に上がった人間は、なぜ間違いを犯しやすくなるのか。ヒトの脳が複雑になった余り、反応速度がトリよりも遅いからと本書はいう。にもかかわらずトリの真似をしようというのだ。エラーや事故が起こるのは当然であろう。言い換えれば、われわれが地上にいる限り、少しばかりもの忘れをしても、切符を買おうとして小銭をばらまいても、大した事故にはならない。

 ところが、トリのような遺伝的特性がないにもかかわらず、空中に上がる。そのことで危険性が増し、しかも緊急事態が生じたときに問題が起こる。著者は「緊迫した操作において、緊張と混乱が増したときに、パイロット間に大きな力量差が現れる」と書いている。

 もともと緊急事態にうまく対応できない人はパイロットの資質がない。したがって、そういう人がプロのパイロットになる例は原則としてあり得ない。けれども、皆無とはいえない。そのために事故が起こる。それがパイロット・エラーということになる。

 しかし、その適性のなさを見抜けなかった教官や会社にも責任がないとはいえない。それがヒューマン・ファクターの中のマネジメント・エラーである。とりわけエアラインでは経営陣が入れ替わったり、「ワンマン社長」といわれるようなカリスマ経営者がいたりすると、そのマネジメント・ファクターが善い方へ作用すればいいが、悪い方へ働くと従業員を萎縮させ、敵愾心を起こさせて、事故が続いたりする。

 本書は、この問題についても理論的に説明し、対策としては「パワー・ディスタンス」を縮める必要があるとしている。つまり経営陣と従業員との距離が遠すぎると相互の不安や疑心暗鬼から事故が起こる。逆に豪州カンタス航空の場合はパワー・ディスタンスが短く、上司は部下に反対意見を言わせて相互に自由に議論しながら、部下は上司を尊重する。このことが同航空の無比の安全記録の要因であるらしい。

 航空会社に勤務する人ならば、おそらく多くの人が現実の問題に照らして思い当たることがあるだろう。

 話は変わるが、アメリカの首都ワシントンの上空はかねてから飛行禁止区域に指定されていた。それが、9.11テロ以来いっそう厳重な警戒が敷かれるようになる。上空には常に戦闘機が警戒飛行をつづけ、近くのレーガン・ナショナル空港は1か月余にわたって閉鎖され、再開後も発着できるのは定期便に限るとか、進入の際には所定の位置で特殊なパスワードを言わなければならないとされた。

 この合言葉は毎日変わり、パイロットが応答できなかったときは着陸を拒否されるばかりでなく、直ちに警戒態勢が取られて郊外のダレス空港へ強制着陸させられ、取り調べを受けるはめになる。ナショナル空港の規制は4月24日になって、やや緩和されたが、ビジネス機や自家用機を含む一般航空機(ジェネラル・アビエーション)はまだ発着が認められていない。

 こうした規制の結果、ナショナル空港の最近1年間の実績は下表に示すとおり、前年にくらべて航空機の発着回数が27%減、乗降客数が22%減となった。

   

2001年3月〜2002年2月実績

前年同期

前年比

発着回数

大手航空

148,172

191,587

−22.7

地域航空

42,098

60,607

−30.5

一般航空

25,562

45,158

−43.4

軍事航空

4,267

5,305

−19.6

合  計

220,099

302,657

−27.3

乗降客数

大手航空

11,523,191

14,868,559

−22.5

地域航空

905,779

1,145,369

−20.9

一般航空

72,984

161,651

−54.9

軍事航空

3,439

――

――

合  計

12,505,393

16,175,579

−22.7

 一方、ワシントン市内の飛行禁止区域は2か所に存在する。ひとつは中心部のホワイトハウス、議会、その他の政府関連の建物を含むP-56Aと呼ばれる空域。もうひとつは中心部から4kmほど北西に行った海軍監視所の上空P-56Bで、ここには副大統領の公邸がある。

 けれども、飛行禁止区域といっても、実際にはあまり広くない。したがって9.11テロのような事件が起これば、FAAが禁止区域に入った航空機に気がついても、そのときには遅すぎる。ホワイトハウスでも議事堂でも、飛行機は数秒間で突入できるであろう。現実問題としては、ワシントンへ向かう多数の飛行機の中に何か異常な行動があるかないかを、まだ遠くにいるときに察知しなければならない。

 とすれば、今の禁止空域は首都を保護するための最後の線である。したがって地上の安全体制や機内の警報手段など、もっとさまざまな対策を立てる必要がある。ナショナル空港が1か月以上も閉鎖されたり、今もジェネラル・アビエーションが飛べないのは、そうした理由からである。

 さらにワシントンへ向かう旅客機の乗客および手荷物については、厳重な保安検査がおこなわれる。そのことは私自身も去る2月に経験したばかりだし、航空機そのものもパスワードなど徹底的な認証手続きが必要であることは先に述べた通りである。


ワシントン市街地とレーガン・ナショナル空港との位置関係。
画面中央下、すなわち市の南側にポトマック川をはさんで空港があり、
ここから北向き(図中赤い↑印)に離陸すると飛行禁止区域P-56Aに入る。
 この区域にはホワイトハウスや議会など、政府の重要施設のほとんど全てが存在する。
したがって、離陸した航空機はすぐ川沿いに左へ旋回しなければならない。
 フロンティア航空機は、このP-56Aを突き抜け、左旋回をしたためP-56Bに入った。
なお、ナショナル空港の西北側に
ペンタゴンアーリントン国立墓地がある。

 ここまで厳重な警戒の下、エアラインやパイロットに対しては繰り返し注意が喚起されているにもかかわらず、9.11テロ以来ナショナル空港へ入ろうとしてダレス空港へ迂回させられた航空機は、およそ35機に上る。合言葉が答えられなかったためである。

 またワシントン上空の飛行禁止区域に入った航空機は、9.11以降5機に上る。これらの航空機は管制塔から警告を受け、直ちに正規の航空路へ戻るよう指示された。同時にシークレット・サービスが動き出し、ワシントン上空をパトロールしていた戦闘機も警戒態勢に入る。場合によっては撃墜という最後の手段もあり得るが、現実に戦闘機の干渉を受けた機体はない。

 またFAAは昨年秋、禁止空域に入ったパイロットはライセンスの一時停止または没収をすると発表している。が、実際に5機のパイロットがどのような処分を受けたかは、よく分からない。

 しかし9.11以前、1992年から9年間に禁止区域に入った違反機は94機、パイロットは111人であった。うち1人は1990年代なかばホワイトハウスに突っ込んだ軽飛行機のパイロットで、そのまま死亡した。次の1人は1,000ドルの罰金を科され、9人が7〜120日間の免停となった。しかし残りの約100人は警告文書を受け取った程度である。余談ながら、日本で規則違反をすると本人が始末書を書かせられるが、アメリカは逆に航空局が何かを書いてくれるらしい。

 こうした実情から見ても、ワシントン中枢の上空警備はきわめて難しい。シークレット・サービスとしては最も気を使うところで、ナショナル空港の閉鎖を長期にわたって主張したのもうなづけよう。


(飛行禁止区域内、モニュメント横をかすめる旅客機)

 さて9.11以降、ワシントン上空の飛行禁止空域に入った5機は、4機が旅客機、1機が救急ヘリコプターであった。旅客機のうち2機はアメリカン航空、あとがUSエアウェイズとフロンティア航空の機体である。

 フロンティア航空の違反は最も新しく、4月1日のことであった。ボーイング737旅客機で、フロリダからナショナル空港を経由してデンバーへ行くフライトだったが、実はこの日、同機は2回のトラブルを起こしたのである。

 1回目はナショナル空港へ進入しようとして、正しいパスワードを答えることができず、ダレス空港へ強制着陸させられた。このとき乗客の1人は窓側にすわってナショナル空港へ入るときに見えるはずのポトマック川を探していた。しかし、それが見えないまま着陸した。彼は、そこがダレス空港であることに気がついたが、スチュワーデスはなんと「皆さん、レーガン・ナショナル空港へようこそ」とアナウンスしたのである。

 その後、機長の声が聞こえて、ここはダレス空港であると告げた。しかし、なぜここに強制着陸させられたのか、理由は分からないというアナウンス。飛行機の周りには多数の車が赤い警報灯を点滅させながら集まってきて機をとり囲み、ターミナルとは逆のはるか離れたところへ誘導した。

 機長が降りて行った。しばらくして戻ってくるとエンジンをかけ、ナショナル空港へ向かって離陸した。しかし何故ダレスへ着陸したのか、最後まで説明はなかった。

 2回目のトラブルは乗降客の乗り換えが終わって、午後6時15分の離陸直後に発生した。ナショナル空港を北向きに離陸した飛行機はポトマック川に沿って左へ旋回しなければならない。そのまま真っ直ぐ飛ぶとワシントン市内の飛行禁止区域に入ってしまうからである。

 ナショナル空港の管制官は、デンバーへ向かうフロンティア航空819便に離陸許可を出すと、南から入ってくる別の便へ向かって着陸のための交信をした。それから再び819便の方を見ると真っ直ぐ飛んで行くではないか。

 管制官は直ちに左旋回の指示を出した。しかしボーイング737はすでに禁止空域P-56Aに入り、ホワイトハウスとワシントン・モニュメントのやや西側を通過するところで、慌てたように左へ曲がったが、今度はその先のP-56Bに入り副大統領の公邸上空をかすめたのである。このときホワイトハウスでは大統領が執務中であった。

 フロンティア機は直ちに前方のダレス空港に降ろされ、2人のパイロットは飛行差し止めとなった。

 話を冒頭の『機長の真実』に戻そう。この本では豪華客船タイタニックの沈没(1912年4月10日)も、イギリス最大の旅客飛行船R101の事故(1930年10月5日)も、大韓航空機撃墜事件(1983年9月1日)も、スペースシャトル「チャレンジャー」の事故(1986年1月28日)も、原因はことごとくヒューマン・ファクターで説明されている。大韓航空機の事件に至っては、韓国乗員のエラーよりも当時のソ連軍のエラーが主たる原因という解釈である。

 とすれば、ワシントン周辺の空で繰り返される規則違反もヒューマン・ファクターとか乗員のエラーで説明できるであろう。ナショナル空港から北向きに離陸するときは、直ちに左旋回をすることという注意は繰り返しパイロットたちに伝えられてきた。航空路誌にも地図の上で強調してあり、実際の滑走路端にも大きな看板が立ててある。さらに空港の状況や気象情報を伝える無線通報でも常に、この注意が繰り返されている。

 それでも間違えるパイロットが出るのは人間の人間たるゆえん、というのは如何にも当然の結論だが、果たしてそれでいいのだろうか。合言葉を忘れたり、禁止区域に入ったり、同じ日に2度も同じようなエラーをするのは解せない。これらを頭からエラーだったと決めつけるのは早計であろう。

 それでなくてもワシントン周辺の飛行は上に見たように規則がやかましく、ナショナル空港は多くのパイロットに嫌われ、最悪の空港と評されている。一方で、9.11テロを誘発したブッシュ政権の強引な政策がある。ひょっとして、規則違反と見えた行動は、ホワイトハウスに対する抗議のあらわれだったのかもしれない。ヒューマン・ファクターの中にはヒューマン・エラーばかりでなく、ヒューマン・インテンション(故意)も含まれるのではないだろうか。

 こうした事態がもっと進めば、ホワイトハウスも大統領も簡単に吹っ飛ぶこととなるであろう。 


(垣間見たホワイトハウス――2002年2月13日)

(西川 渉、2002.4.30)  

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