見当違いの独禁法

  

 

 今朝(5月23日)の新聞に、米国で6月に予定されていたウィンドウズ98の発売が確実になったと報じられていた。マイクロソフトに対する司法省の提訴について、実質的な弁論開始が9月になったためという。その決着がつくまではマイクロソフトも既定の計画をすすめていいということらしい。とすれば、日本でも1か月遅れくらいで売り出されるのであろう。

 この動きに、私は賛意を表したい。といって、すぐにウィンドウズ98を買うつもりはない。半年前のインターネット・エクスプローラー4.0にずいぶん痛めつけられたからで、あのときはインターネットの閲覧ができなくなったばかりか、ほかのソフトまでが動かなくなってしまい、本頁の作成も不可能におちいり、通信もおかしくなってしまった。その後遺症は今もこの機械に残っていて、マイクロソフトへの恨みはつきない。ついに新しい機械まで買わざるを得ないはめにおちいってしまった。

 しかし、私のようなパソコン素人は、便利で使いやすいソフトは大いに歓迎である。新しいウィンドウズ98は基本的に、これまでのオペレーティング・システム(OS)としてのウィンドウズにインターネット・ブラウザーのエクスプローラ4.0を組み合わせたものという。ということは、半年前にエクスプローラ4.0を組みこんだ状態になるわけで、あのベータ判は確かに使い勝手がよかった。

 ところが本番の製品に切り換えた途端バグが表面化して動かなくなり、私は自分の機械から外してしまったけれども、それが初めから組み合わせてあるのならば、まさかあのときのような奇妙なバグは生じないであろう。すぐに、この機械にも組みこみたいところだが、まだまだ信用できないところがあるから、少なくとも半年は様子を見ることにしよう。

 ところで、このソフトを開発したマイクロソフトの経営戦略や営業戦術に対して、司法省が独占禁止法に違反するとしているのはどういうことだろうか。新しいウインドウズ98がなぜ競争を排除することになるのか分からない。ウィンドウズをいったんパソコンに組みこんだら、ほかのOSは手出しができないというのなら問題だが、こんなものはいつでも取り替えられる。

 競争相手は悔しければ、ウインドウズを上回る機能と性能をもったソフトを開発すればいいではないか。良くて安いものができれば、私はすぐにでもウィンドウズなどやめて、「ドアドア99」でも何でも使うであろう。アメリカの独禁法は、コダックが日本の富士フィルムを訴えたように、ときどき営業的な競争の道具に利用されるから油断がならない。

 それに今のウィンドウズは決して完璧ではない。すぐにフリ−ズを起こすし、エクスプローラ3.0もISDNにつないでいるのに動作が遅い。無論こちらの機械のせいもあるが、まさかウィンドウズ98がソフト開発の頂点とか限界というわけではあるまい。もっと良いものはいくらでもできるはずで、法律の力でマイクロソフトを抑え込んでOSとブラウザーを分離せよなどと、何故わざわざ不便なソフトに押し戻そうとするのか。

 OSとブラウザーを別々に開発して、後から組み合わせたから、そんなことも言えるのだろうが、初めから両者一体として開発したらどうなのか。それを分けろなどとは言えない筈である。

 便利で良いものをつくり、それを合理的な価格で売り出せば、よく売れるのは当然のこと。売れすぎるのは良くないから、もっと不便なものに後退させようというのは、文明の退歩というよりも思考の退歩である。

 5月20日付けの日経新聞によれば、日本の公正取引委員会も米司法省の尻馬に乗って「メスを入れる方針」だそうである。なるほどOSとブラウザーの組み合わせを切り離すのだからメスを入れるには違いないが、立ち上がったばかりのインターネット関連業界を手術するくらいならば、もっとほかに公正取引に反するような業界はいくらでもあるのではないか。

 もっとも、そういう業界は歴史が古く、役所もグルになって、したたかな防護策を講じているから、公取委のメスぐらいでは歯(刃)が立たないのかもしれない。

(西川渉、98.5.23)

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