<野次馬之介>

福島原発を見る

 今年は午年。謹賀新年と云いたいところだが、早くも松の内が終わってしまった。けれども干支(えと)が午ならば、すなわち馬之介の年でもあり、今年も大いに野次馬根性を発揮してゆきたいというのが年頭所感。ついでに云うと、野次馬根性とは好奇心のことである。好奇心をなくした人間もしくは野次馬は、進歩がないから生きる意味もなくなる。

 ただ、ここでは、今後のことはさておき、昨年最大の根性を発揮したつもりの福島原発の見学について、書いておきたい。

 あれは11月なかば、もはや二た月前のことだが、福島医大の主催で日本航空医療学会学術集会が開かれた。その閉会後、同大学病院のお世話により、30人ほどの希望者が放射線の飛び交う原発の現場へ向かったのである。といって、その場で急に行きたいと云っても無理。あらかじめ申しこんであった者だけしか参加が許されない。

 それも、自分が本人であることを証明する身分証明書やパスポートを持参していなければならない。恐らくはテロか何かを警戒したのだろうが、参加者の大半は学会に参加した医師である。

 なお、女性の参加は初めから認められなかった。確かに、これから結婚したり妊娠する可能性のある人はやめておいた方がよかろう。けれども、そうでない人はいいのではないか。もっとも、その区別をどうするかが難しい。下手にあなたは認めますなどと云うと却って怒り出すかもしれず、そのあたりが難しくて、年令にかかわりなくみんな駄目ということにしたのかもしれない。

 それに、考えてみれば男の方だって影響がないとはいえない。もっとも広島や長崎で、戦後、奇形児が生まれた例はないともいう。

 原発見学にあたっては、前日の11月16日午後、福島医大で放射線に関するセミナーが開催された。初めのうちは被曝とは何か、放射能汚染とは如何なる状態をいうのか、放射線量はどの程度まで許容されるかといった講義や、実際に線量計をもって大学の室内やグラウンドの放射線量を測るといった簡単な実習だったが、後半は白い放射能防護服(タイペック・スーツ)を着こんで被曝患者の緊急治療をおこなう医師の専門的な実習となった。

 タイペックは米デュポン社製の商品名で、細かいチリを遮断する繊維で出来ている。この防護服を着るときは袖口やズボンの裾から放射能が入らぬようにガムテープを貼って、しっかりと隙間を塞がなくてはならない。また、誰もが同じ恰好だから区別がつかなくなるため、胸と背中に黒いマジックで大きく名前を書いておく。

 もとより馬之介は医者ではないから、そばで見ているほかはなかったが、患者は放射能が周囲に漏れないようにシートで厳重に包まれて治療室に入ってくる。そのシートの外から線量を測りながら、少しずつはがしてゆき、裸にした患者の体についた放射性物質を拭い取ったうえで治療にかかる。

 この場合の患者は等身大の人形だが、大腿部に放射能を帯びた瓦礫が突き刺さって出血しているなど、原子炉建屋の爆発を想定したようなリアルな症例であった。防護服を着た医師も身軽な行動はできない。それでも治療をしなければならないといった状況で、手術が終わると、医師は頭と顔を覆ったキャップを取り、手袋や足のカバーを外し、防護服をその場に脱ぎ捨てて、やっと手術室の外に出ることができるのだった。


タイペックをまとった医師たちによる被曝患者の治療実習
タイペックは使い捨てである。


講義を聴いただけで、実習は見学だけの馬之介にも、
なぜか終了証が授与された。
ただし、名前が野次馬之介になっていないのがヘンである。

 翌日は早朝6時半、福島駅前からバスに乗って発電所へ向かった。片道2時間半。途中のサービス・エリアで休憩があったりして、9時頃「Jヴィレッジ」なるところへ到着した。馬之介としては初めて聞く言葉で、何か特殊な原子力用語かと思ったら、サッカーの練習場とのこと。かつて東京電力が建造し、サッカー連盟か県へ寄付したものという。大きな立派な建物があって、ここで合宿でもするのだろう。発電事業とサッカーとの間にどんな関係があるのか知らぬが、今は逆に東電が借り戻して原発事故に対応する拠点のひとつとして使っているらしい。

 ここの一室で福島原発の副所長その他の職員から事故の後の現状に関するレクチャーを受けた。最大の問題は1日400トンもの地下水が原子炉建屋の中へ流れこみ、放射能に汚染されて出てくるので、それを如何に処理するか。巨大な貯水タンクが、原発敷地内にすでに350本も立ち並び、中には漏水するものもある一方、そろそろタンクの置き場がなくなりつつある。

 なにゆえに、そんな地下水が流れこむようなところに原子炉を設置したのか。まさか今回のような大地震や大津波は、それこそ「想定外」だったのである。それならば、何らかの方法で水を熱し、蒸発させればいいではないかと思い、そんな質問をしたのだが、副所長の答えはそうすると放射能も一緒に発散するという。

 しかし、ずっと前に馬之介の調べたところでは、放射性物質の沸点は水よりも高いので、先ずは水だけが沸騰して放射能をもった残渣はあとに残るはず。もっとも放射能もいろんな種類があるから、ものによっては水と一緒に出てゆくのかもしれぬ。

 それならば蒸気の出口にフィルターをつけて、放射能が外へ出てゆかぬようにできないのか。あれこれ考えられるが、いずれも実行されていないのは、そんな対策は効果がないからで、むろん副所長の答えが正しいのであろう。


Jヴィレッジでのレクチャー

 そんな論議のあとで、いよいよJヴィレッジから発電所へ向かうことになる。マスク、手袋、靴カバーをして、荷物を残したままバスに乗る。

 発電所までは直線距離で20km、バスで30分ほどだろうか。途中で避難地域に入るが、もうその前から人の姿はほとんど見かけなかった。

 避難地域は人が住んでいない。それでも家や畑や草原の景色は平和で変わったところはなく、中には真新しい住宅も見かける。新築のわが家に住めなくなった人は、どんなにか悔しいことだろう。庭に沢山の柿がなっている家も何軒かあって、勿体ない気がするが、あれは放射能を含んでいるのだろうか。食べられるのではないかと思うが、取って食おうものなら、いかに人が住んでいないとはいえ、泥棒になってしまう。そういえば先ほどから、ゆっくり走っているパトカーをしばしば見かける。無人の地域だから空き巣を警戒して、巡回しているのにちがいない。

 それに、柿の実が木の枝に鈴なりに残っているのは、それを食いにくるはずのカラスや雀がいないからである。鳥は放射能を検知できるのかと思ったが、そうではなくて人間が住んでいないからゴミが出ない。ゴミの出ないところには、鳥もこないのだそうである。

 バスはやがて福島第1原子力発電所の構内に入った。(つづく

(野次馬之介、2014.1.15)

   


原発敷地内に立ち並ぶ汚染水タンク
毎日400トンずつ発生する汚染水の浄化ができなければ、
いずれ日本中がタンクで埋めつくされてしまう。

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