不思議というも愚かなり
新聞報道によれば、神奈川県伊勢原市の東海大学病院で過去1年以上にわたっておこなわれてきたドクターヘリコプターの運航が今年3月末をもって打ち切られるとのこと。せっかく国のレベルで新しい予算案が決まり、自治体が多少の上乗せをして、いよいよ本格的なヘリコプター救急が日常的な救急手段として実行に移されるのかと思っていたが、まことに残念なことである。
中止の理由は事業主体の神奈川県が「財政難で予算が取れないから」という。厚生省が1億2,000万円の予算を決めたのに対し、神奈川県では6,000万円の予算が取れないと言うのである。
もとより6,000万円といえども決して半端な金額ではない。どうしても捻出できなかったといえばそれまでだが、国の予算案の決定に際して、そのあたりの何がどう食い違ったのだろうか。
東海大学病院のヘリコプター救急は、厚生省の肝いりによって、1999年10月からはじまった。以来、最近までにおよそ410回の出動をした。月平均30回近い救急業務である。その成果はどうであったか。詳細は昨年11月の日本航空医療学会で報告されたが、運航開始から1年間の結果を見ると次のようになっている。
東海大学病院ドクターヘリ試行的事業の成果
死 亡 障 害 軽 快 中 等 軽 傷 合 計 実 績
45
26
135
48
27
281人
推 計
59
70
77
48
27
[注1] 実績:1999年10月〜2000年9月の1年間のドクターヘリによる治療実績
[注2] 推計:ドクターヘリを使用しなかった場合の推計
[注3] 障害:運動機能障害が残り、何らかの介助・介護を要するもの
軽快:完全に社会復帰し、障害が残らないもの
中等:入院治療が必要だが、生命の危険がなく、障害も残らない中等症
軽傷:外来治療ですむもの
この表から見ると、1年間で総数281人の救急治療にヘリコプターが使われた。その結果、助からずに死んだ人は45人だったが、もしヘリコプターがなければ死亡したと思われる患者さんは3割増しの59人に上る。言い換えれば1年間で14人――毎月1人以上の人が命を喪くさずにすんだのである。
同じように、後遺症が残った人は26人であった。しかし、ヘリコプターがなければ70人に後遺症が残ったと見られる。したがって後遺症に苦しむ人は3分の1近くまで減ったのである。
さらに障害が残らずに社会復帰のできた人は135人であった。ヘリコプターが出動しなければならないような重篤患者の半数近くが完全治癒できたのである。もしヘリコプターがなければ77人しか社会復帰は果たせなかったであろう。言い換えれば、ヘリコプターによって2倍近い人が元気な日常生活に戻ったのである。
このように、ヘリコプター救急の効果はきわめて明快である。その全ては、ヘリコプターで出動した医師が、救急患者の現場近くで手早く初期治療をおこなうことによって実現したのであった。
ヘリコプター救急は経済的な効果も高い。まだ精緻な金額を算出するだけのデータは集まっていないけれども、治療や医薬品にかかる経費は、ヘリコプター1機が飛ぶだけで、おそらく年間5,000万円程度は軽減できるという見方がある。また社会保険の出費も2〜3億円は下がるはずという。
逆に社会復帰をした人の生産性を考えると、これは同じドクターヘリコプターを飛ばしている川崎医科大学の場合だが、同大学の小濱啓次教授の計算によると、最初の半年間に生還した人の分だけでもおよそ10億円に達したという。
こうしたことからすれば、死んだかもしれない人が生還できたという人道面は当然のこと、経済面から見てもヘリコプター救急の効果は大きい。
そればかりか、行政面においても、これだけ有効な人命救助をヘリコプターという最も目立つ形で――といえば語弊があるかもしれぬが、住民に密着した理解しやすい形で、しかも他の都道府県に先がけて日常的におこなうことは、地域社会からも極めて高い評価を受けるであろう。
そのような大きな意義をもつ施策が、何ゆえに中止されたり、なかなか実行に移されなかったりするのであろうか。まことに残念のきわみというほかはない。
[参考]日本のヘリコプター救急への取組み
(西川渉、2001.2.8)
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