ティルトローター新時代

付録:ティルトローター半世紀の足跡

 

 4つのローターを持つ輸送機

 去る5月下旬、カナダのモントリオールで開かれた国際ヘリコプター学会(AHS)の年次大会に出かけたときのこと、奇妙な模型が会場に展示されていた。太い胴体の前後に固定翼がつき、それぞれの両端にローターが取りつけてある。翼は2枚、ローターは4つという欲張った航空機である。

 模型を発表したベル社によると、胴体はロッキードC-130を準用し、前後に固定翼を取りつける。後方の翼はやや高い位置にして前翼よりも長く張り出す。これで前後のローターの干渉を減らすことができる。

 また翼とナセル、エンジン、ローターなどのダイナミック系統は今のV-22オスプレイのものを流用する。したがって新しい開発費はほとんどかからず、時間もかからない。この開発構想を、ベル社は数字の四を意味する「クォッド・ティルトローター」(QTR)と呼び、現用大型ヘリコプターや戦術輸送機の後継機として提案している。

 総重量は垂直離陸時で45トン、短距離の滑走離陸をするときは60トン余り。ペイロードは15トン前後で、C-130とほぼ同様。ただしエンジン出力はオスプレイと同じものが4基だから、合計24,600shpになる。これはC-130の4,500shpが4基、合わせて18,000shpであるのに対し35%ほど大きい。つまり、出力が余分にかかるところがVTOL能力の代償ということかもしれない。

 また巡航飛行中はプロペラが4基も要らない。そこで、垂直離陸から前進飛行に移ったのちは、後方2基のローターをたたむという考え方もある。このローターの折りたたみについて、ベル社はイーグルアイ・ティルトローター無人機を使って飛行テストをするもよう。さらに高速巡航を可能にするには、ローターをたたんで、ジェット・エンジンで飛ぶことも考えるという。

 QTRはまだ研究段階にある。といっても、かなり本格的、具体的な研究が進んでおり、決して抽象的な構想だけのものではない。2つの翼と4つのプロップローターの間に発生する複雑な干渉気流についても、水流を使った実験がおこなわれている。

 研究のための資金は今のところ、ベル社独自で負担しているが、その構想には政府も関心を寄せている。特に米海兵隊は現用KC-130タンカーとCH-53Eヘリコプターの後継機として、新しいロータークラフトを探しているところで、その候補機のひとつにもなり得る。また米空軍が求めている「超STOL」戦術輸送機としても使えるかもしれない。

 QTRは、いわばホバリングのできるC-130である。向こう15年くらいのうちには実現する可能性も出てこよう。

 

ベル609の開発

 さて、AHSの3日間の大会が終わった後、ちょうど良い機会なので、モントリオール郊外にあるベル・ヘリコプター・カナダ社を訪問、ヘリコプターの製造工場を見せてもらった。この工場は7年前、1992年にきたことがあるが、今回は407や427といった新機種の製造が活況を呈し、組立てラインの先では、出来上がったばかりの新造機が盛んにテスト飛行をくり返していた。

 工場見学に先立って、民間向けティルトローター機609のレクチャーを受けた。目下開発中の同機は、周知のように1996年11月18日ベル、ボーイングの両社が共同ではじめた計画である。当時は「ベル・ボーイング609」と呼ばれたが、1998年2月12日ボーイング社が計画から手をひくことになった。そこでベル社は、共同開発のパートナーとしてイタリアのアグスタ社を選び、半年後の1998年9月ファーンボロ航空ショーで公表した。

 これに伴い、両社の合弁企業、ベル・アグスタ・エアロスペース社(BAAC)が設立され、計画の調整と推進に当たることになった。機体の呼称も「ベル・アグスタ609」(BA609)に変わり、開発日程も当初の予定からやや遅れて、今のところは2000年末に初飛行し、2002年なかばまでに型式証明を取って量産機の引渡しに入る計画。受注数は現在77機と聞いた。パリ航空ショーでも同じ数字が公表されている。

 1機当たりの価格は800〜1,000万ドル。最終組立はアメリカとイタリアの両方でおこなわれるが、アメリカ側はテキサス州アマリロ国際空港の一角にティルトローター機のための新しい工場を4,000万ドルで建設中。99年末までに完成し、先ずはV-22の組立てがはじまる。

 BA609は与圧キャビンをもち、乗員を含めて最大11人乗り。操縦席は最新のグラス・コクピットで、操縦系統はフライ・バイ・ワイヤ方式。パイロット2人で計器飛行が可能だが、将来は1人でも可能になる。また氷結気象状態でも飛ぶことができる。

 速度は経済速度が460km/h、最大巡航速度が509km/hで、航続距離は通常1,400km、補助タンクをつけると1,850kmに伸びる。

 エンジンはP&W PT6C-67A(1,850shp)が2基。片発でもカテゴリーAの飛行が可能。

 飛行形態は回転翼モードで垂直に離陸し、1分後、速度370km/h、高度180mに達したところで固定翼モードに移り、15分後、高度6,000mで巡航飛行に入る。500km/h程度の巡航速度で飛べば、ニューヨークからワシントンやボストンへ40分前後、ダラスからヒューストンへ50分、ロサンゼルスからサンフランシスコへ1時間でゆける。

 日本ならば東京から名古屋、新潟、仙台まで40分、大阪まで55分、広島まで90分で飛べよう。むろん空港を使う必要はないから、都心部で発着できれば迅速な出張旅行が可能になる。

 また海底油田開発のための支援機材として、現用ヘリコプターに代わって使われる可能性が大きい。特に沖合50kmを越える採掘プラットフォームへは好適な人員輸送手段となる。北海の石油開発は海岸からの距離が遠いうえに、気象条件が良くない。そのため長距離を高速で計器飛行ができるBA609には、北海のヘリコプター会社からも多数の注文が出ている。

 こうしたBA609は民間市場ばかりでなく、米海兵隊や沿岸警備隊へも提案されている。沿岸警備隊の捜索救難(S&R)機として使えば、沖合遠くの遭難現場までヘリコプターよりも速く飛んでゆき、広範囲の捜索活動ができると共に、遭難者を見つけたときはそのままホバリングをして、吊り上げ救助をすることも可能。こうした捜索救難能力は外国政府に対しても提案されており、おそらくは日本の海上保安庁にも話がきているであろう。

 

 BA609の基本データ

寸度

 全長

13.41m

 全幅

18.29m

 ローター直径

7.92m

エンジン 

 型式

P&W PT6C-67A

 出力

1,850shp×2

重量

 最大離陸重量

7,250kg

 空虚重量

4,760kg

 乗員/乗客

1〜2/6〜9人

 キャビン与圧

5.5psi

 手荷物室

1.4立米

飛行性能

 最大巡航速度

509km/h

 航続距離

1,380km

 運用高度限界

7,620m

 

V-22いよいよ実用段階へ

 ベル社訪問より2週間ほど前の5月14日、ダラス近郊のベル・ヘリコプター社ではV-22オスプレイの量産1号機が米海兵隊に引渡された。長年にわたって開発が続けられてきたティルトローターがいよいよ実用段階に達したわけで、史上初の実用ティルトローター機の誕生である。

 引渡されたのはMV-22B。引渡し式にはベル社の従業員500人が集まり、海兵隊からも関係者が出席した。海兵隊を代表するテリー・デイク将軍は、頭上を静かにフライオーバーするV-22を仰ぎ見ながら、「オスプレイは、われわれ数千人の海兵隊員をのせて21世紀へ飛翔することになった。皆さんの長い間の開発努力と素晴らしい成果に感謝したい。今日は航空界にとっても、海兵隊にとっても歴史的な日となった」と挨拶の言葉を述べた。

 このようなV-22の実用化に漕ぎ着けるまでに、ティルトローター機は半世紀近い開発の歴史をもつ。1955年8月11日に初飛行したXV-3にはじまり、77年5月3日に飛んだXV-15を経て、V-22が初めて飛んだのは10年前の1989年3月19日のことであった。その足跡については本誌1998年8月号の拙文「ベル609とティルトローター機の系譜」に詳述した。

 それにしてもアメリカがここまでティルトローターに執着し、長年月をかけて実用化の努力を重ねてきたのは何故か――民間分野では、目前にせまった大空港の行き詰まりを打開するためである。今のままでは、大都市近郊の空港30か所以上が増加する旅行者と飛行便数のために、数年のうちにパンクしてしまう。その流れを変えて、空港を使わずに旅客を運ぶのがティルトローター機である。ただし、ティルトローター旅客機の実現はもう少し先のことになる。

 一方、軍事分野では1980年イランからの人質救出作戦の失敗がある。これは1979年ホメイニ師の指揮のもとイラン・イスラム共和国が成立した後、学生団体がテヘランの米国大使館を占拠、パーレビ元国王の身柄引渡しを要求して外交官など52人を拘束した事件である。

 この人質救出のために1980年4月24日、米海兵隊は8機のシコルスキーRH-53D大型ヘリコプターをペルシヤ湾の空母ニミッツから飛ばし、1,000km離れたテヘランへ向かわせた。ところが途中1機の主ローターブレードに亀裂が入って飛べなくなり、もう1機も計器が故障して母艦に引き返した。

 残り6機が1時間ほど遅れて「デザート・ワン」と呼ぶ秘密の中継基地に到着、C-130と落ち合って、燃料補給をした。そして、いよいよ6機でテヘランに近い秘密基地「デザート・ツー」へ向かおうとしたとき、1機の油圧系統が故障して飛べなくなり、さらに1機が暗闇のなかでホバリング中に駐機していたC-130にぶつかり、燃料が爆発して8人が死亡した。結局、作戦は失敗に終わり、カーター大統領は翌日のテレビ演説で、この作戦遂行を承認した最高責任者として米国民に謝罪した。

 失敗の原因は何か――RH-53Dは、この作戦任務を遂行するには速度と航続性能が不足していた。そのためペルシヤ湾からテヘランまで途中2か所に秘密の給油基地を設け、昼間は隠れて夜間に行動しながら、最後はトラックで大使館に突入して多数の人質を救出するという、3日がかりの作戦計画を立てなければならなかった。

 しかも補給のための燃料と突入のための特殊部隊を運ぶのにC-130の動員が必要になり、救出した人質輸送のためにはC-141ジェット輸送機まで使うという、きわめて複雑な計画であった。したがって計画失敗の原因は、しばしばいわれるようにRH-53Dが砂塵を吸いこんだためといった単純なものではない。けれども計画が複雑にならざるを得なかったのは、RH-53Dの飛行能力に起因していたことは間違いない。

 だが、もしもこのときV-22があればどうなったか。ティルトローター機は空母から直接テヘランへ飛び、大使館のそばに着陸して特殊部隊が突入、人質を連れ出して同機にのせ、そのまま母艦へ戻ることができる。飛行は夜陰にまぎれて超低空でおこない、作戦に要する時間は往復8時間ですむ。そんなにうまくいくかどうか、いささか疑問は残るが、少なくともカーター大統領は再選されただろうという冗談も残っている。

 

一時は開発中止のおそれも

 V-22の開発は、こうした苦い経験を発端として1981年にはじまった。当時は3軍共同の垂直離着陸機という意味でJVXと呼ばれ、1983年に海軍が計画の主導権をにぎり、1985年には「V-22オスプレイ」と呼ばれるようになった。当時の計画では、まず海兵隊が1991年からCH-46の代替機として導入することになっていた。

 この間、ベル社とボーイング社は1982年に共同で同機の開発に乗り出し、6年後に原型機が完成した。初号機がロールアウトしたのは1988年5月、初飛行は翌89年3月であった。ところが、それから1か月後、1989年4月25日の下院国防委員会で、当時のチェイニー国防長官が「未知の技術を使った機材の開発をするよりは、既製の兵器を増産する方が有効」と証言し、V-22の開発打ち切りを表明したのである。

 初飛行の成功に気をよくしていた関係者は、一転して奈落の底に突き落とされた。しかも突き落としたのが肝心の国防長官だったから、後ろから突かれたようなもので、狼狽ぶりが目に見えるような気がする。その奈落の底から救い上げてくれたのは議会だった。議員の中にテヘランの人質救出失敗の一件を忘れずにいた人があったにちがいない。また選挙区の中にベルやボーイングの工場のある議員もいたであろう。

 それに、もしここでティルトローター機の開発をやめれば、これまでの研究成果が無駄になるばかりか、日本に買い取られて、アメリカは日本からティルトローター機を輸入しなければならなくなるという真面目な議論もあったらしい。日本の経済力が頂点に達していた頃の話で、議会は国防長官の反対を押し切って、要求になかった国防予算をつけたのである。

 この奇妙な状態は2〜3年つづいたが、この間V-22は国防省から見放されていたばかりでなく、安全の女神にも見放され、2度の事故を起こしてしまった。余談ながら、事故は航空事故に限らず現場のエラーによることが多いが、民間企業でも政府機関でも何故か中枢がごたごたしているときに起こるものである。組織のトップに立つ人は常にこのことに心を用いていなければならない。

 一度目の事故は1991年6月11日、原型5号機の初飛行に際して、操縦系統の配線が間違っていたため、地上5mほどのホバリング中に墜落した。パイロットは2人とも無事だったが、機体は大破し、初飛行と同時に屑鉄と化した。

 2度目の事故は1992年7月20日、原型4号機がポトマク川に墜落して、乗っていた7人が全員死亡した。原因はエンジン・カウリングの中に油液がたまり、着陸態勢に入ってカウリングを立てたとき、その液がエンジン空気取り入れ口から内部に入って爆発したのである。

 このときも、再び三度びティルトローター機への疑問が持ち上がった。しかも死亡した7人のうち5人はティルトローターの開発とは無関係で、単に便乗していただけというので、世論の激しい非難を浴びた。その結果、オスプレイの飛行試験は1年近く中断した。

 その窮地から救い出してくれたのは、今度は国防長官である。もっとも別の人物で、1993年1月からはじまったクリントン政権のウィリアム・ペリー長官だった。同長官のティルトローター支持によって、オスプレイは1993年6月17日、飛行を再開した。

 

ローターブレードの工夫

 ティルトローター機の安全を確保するには、万一飛行中にエンジンが故障しても飛行継続が可能でなければならない。そのためオスプレイもBA609も主翼の中をクロスシャフトが走っていて、両方のローターをつないでいる。これでエンジンの片方が止まっても、残りの片発で両ローターを駆動することができる仕組みになっている。

 この機構による安全性はXV-15の試験飛行中、実際に一発が止まったことがあり、それでも双方のローターが回り続けて実証された。オスプレイの場合は、上の7人が死亡した事故がそれに当たるかもしれない。けれども、あの場合はエンジンが火を発したためにクロスシャフトが高熱で溶け、左側の正常なエンジン出力を右ローターに伝えられなかった。事故後の対策としては、エンジン・ナセルに油液がたまらないようにすると共に、クロスシャフトも強化されている。

 では、エンジンの両方が止まったときはどうなるか。回転翼モードで飛んでいるときは、ヘリコプター同様のオートローテイション着陸をすればよい。固定翼モードの場合は、回転翼モードに戻してオートローテイションに入る。

 しかし、どうしても固定翼モードのままで着陸しなければならないことがあるかもしれない。そんなときオスプレイのローターは直径が大きいので接地の際に地面を叩く。ブレードが砕け散って危険ではないかということになるが、実はこのブレードには工夫がしてある。

 それは、ブレードが地面に触れると、先端が筆の穂先のように細い繊維状に分離して路面を掃くだけ。無論あとは使いものにならないが、危険はないし、滑走路面にも傷はつかないというのである。

 さらに激しく接地した場合は、その衝撃で主翼が胴体から分解し、機首がスキーの先端のように持ち上がって地面を滑る――地面に突っ込んで逆立ちをすることはないように設計されているらしい。ただし、まだ実際にそういう場面が生じたことはない。

 以上のような問題に関連して、シコルスキー社ではローター・ブレードを伸縮させる方法を研究している。これも、先のAHS年次大会で発表された研究の成果だが、同社のジェームズ・ワン博士によればローター・ブレードに望遠鏡のような伸縮機構を組みこみ、巡航飛行中は回転翼モードのほぼ70%まで縮める。これで回転軸が水平のまま着陸しても、ブレードが地面に当たるようなことはない。

 また巡航飛行中も、ローター直径を縮めると回転に伴う振動が少なくなる。したがって回転翼を支える固定翼の剛性も減らすことができるので、重量の軽減にもつながる。さらに直径の小さいプロペラは前方からの突風の影響が少ないので、水平尾翼や垂直尾翼を余り大きくする必要がなく、乗客の乗り心地も良くなる。

 一方、大きなローターで効率的な巡航飛行をしようとすると、ローターの回転速度を落とさなければならない。しかし、ローター直径を縮めれば、それだけでブレードの先端速度は遅くなるから、回転翼モードでも固定翼モードでも、エンジンは常に最良の効率が発揮できる回転数で運転することができる。

 また、現用ティルトローター機は固定翼モードでの巡航効率を上げるために、一種の妥協がなされていて、オートローテイション能力は通常のヘリコプターよりも劣る結果となっている。けれども伸縮可能なローターは回転翼モードの妥協が不要であり、したがってオートローテイションの能力もヘリコプターなみに確保することができる。

 シコルスキー社ではすでに、この伸縮式のローター模型を作製し、NASAの協力を得て、風洞試験を進めている。ちなみに、シコルスキー社のティルトローター構想は近距離の旅客輸送を目的とするもので、機体の大きさは乗客40人乗り。主な諸元は次表の通りである。

 

シコルスキー社の伸縮ローターを持つティルトローター機諸元

総重量

50,000lbs

巡航速度

350kts

航続距離

600nm

ローター直径

35.3-53ft

ブレード数

4

円板面荷重(ホバリング時)

11.33lb/ft2

ローター回転数(ホバリング時)

216rpm

ローター回転数(巡航飛行時)

216rpm

ブレード先端速度(ホバリング時)

600ft/sec

ブレード先端速度(巡航飛行時)

402ft/sec

 

欧州のティルトローター機

 新しいティルトローター機の開発は欧州でもはじまろうとしている。今から10年ほど前、ユーロコプター社を中心とするいくつかの航空機メーカーが共同で「ユーロファー」と呼ぶ開発研究をしたことがある。乗客30人乗りで、固定翼の両端にエンジンを固定し、ローターだけが垂直から水平へ向きを変えるという形態だった。

 この研究は未完成のままで終わったが、ユーロコプター社としては新たな構想を打ち出したいもようで、今年に入って世界の主要ヘリコプター会社からアンケートを取り、市場調査をしている。そこから乗客19人乗りの基本構想が生まれ、欧州各国のメーカー33社で開発研究を進めるため、欧州委員会に資金援助の申請をしている。これが認められるならば、2005年頃、試作機が実現するという。

 一方、イタリアのアグスタ社も独自のティルトローター研究を進めようとしている。同社は、いうまでもなくBA609の開発パートナーである。にもかかわらず、みずからも次世代のティルトローター研究に着手するというのだから、その満々たる意欲には驚かされる。

 このアグスタ機は、固定翼の外側半分だけがローターおよびエンジンと共にティルトするという構造。したがってティルトウィングといった方がいいかもしれない。アグスタ社によれば、ティルトローターの場合、固定翼が固定された状態では、その上で回っている回転翼の推力は12%ほど損なわれる。それに対して、固定翼を一緒に変向させることにより、出力の無駄を取り除くことができる。逆に、出力の無駄がないからローター直径を小さくすることも可能で、結果として巡航速度を650km/hまで上げることができる。

 また、このティルトウィング機は固定翼を5〜7°傾けることによって、普通の飛行機同様、滑走離着陸をすることもできる。降着装置は引込み脚。主翼スパーはカーボン複合材のチューブで、その中にシャフトが走り、ティルト部分の内側についた両方のエンジンを結んで、片発停止の場合にそなえる。これでトランスミッション系統の構造は簡単になり、かつ最大離陸重量でも片発停止の離着陸が可能というのがアグスタ社の説明。

 大きさは20人乗り。キャビンは与圧され、重量はおよそ10トン。エンジンは2,400shp級が2基。寸度は全長16.6m、主翼スパン20.4m、全高6.5m。

 アグスタ社は、この「エリカ」と呼ぶティルトローター研究のために、ユーロコプター社同様、約100億円相当の研究費を欧州委員会に申請する予定。この予算が認められ、計画が動き出せば、4〜5年後に地上試験機をつくってダイナミック系統と構造に関するテストをしたのち、その2年後に飛行試験機をつくるという。このエリカ計画にはウェストランド社、サーブ社、イスラエル・エアクラフト社など16社が協力するもよう。

 

 オスプレイの基本データ

寸度

 全長

17.48m

 全幅

25.78m

 ローター直径

11.58m

エンジン

 型式

アリソンT406-AD-400

 出力

6,150shp×2

 片発緊急出力

6,830shp

 ローター回転数

397rpm(回転翼モード)、333rpm(固定翼モード)

 ローター先端速度

マッハ0.69(回転翼モード)、マッハ0.66(固定翼モード)

重量

 最大離陸重量

27,400kg

 空虚重量

15,030kg

 乗員

2人(+ジャンプシート1席)

飛行性能

 最大速度

633km/h

 最大上昇率

707m/分

 最大運用高度

7,620m

 航続距離

950km

 

 

V-22の生産と運用

 もう一度アメリカに戻って、海兵隊は1999年中に合計4機のMV-22を受領、2000年に7機、2001年に8機を受け取る。また99年10月から2000年春まで運用評価試験をおこない、2001年から本格的な実戦配備につけることにしている。最終的には向こう14年間に総数360機のオスプレイを導入し、進攻輸送作戦に使用する。輸送能力は、兵員24人、貨物は機内9トンまたは機外吊り下げ6.5トンを搭載することができる。

 MV−22に続いて、海軍向けのHV−22Bと空軍向けCV−22Bの生産もはじまる。HV−22は48機が生産され、戦闘中の捜索救難、艦隊補給輸送、特殊戦闘支援に使われる。またCV−22は50機がつくられ、特殊部隊の長距離の侵入および離脱作戦に使われる。このためCV-22は主翼内部に補助燃料タンクを増設し、航続距離を片道950kmまで伸ばす。これで、先のイラン人質救出のような長距離の敵地侵入作戦を可能にしようという考え方である。

 さらにV-22は近い将来、国外へも輸出される可能性が高い。たとえば英海軍が現在運用中のシーキング・ヘリコプターに代わって、V-22を艦隊支援機や早期警戒機として使うかもしれない。また日本の海上自衛隊も強い関心を持っていると伝えられるが、こうした外国政府との話し合いはまだ明らかにされていない。

 かくてティルトローター機は、V-22オスプレイが実用段階に達し、BA609の開発作業が進み、欧州でも新たな構想が動きはじめた。いずれも向こう10年ほどのうちには、現実の形をなしてくるであろう。

 いよいよティルトローターの新しい時代が到来した。

(西川渉、『エアワールド』誌、99年11月号掲載)

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