<世界航空機年鑑>

2002年版民間輸送機

9.11同時多発テロの影響

 アメリカの9.11同時多発テロから1年が経過した。その凶器となったのは多数の乗客をのせた旅客機で、前代未聞の詭計であった。しかも同時に4機をハイジャック、そのうち2機がアメリカ経済力の象徴ワールド・トレード・センターに突っ込み、1機は軍事力の象徴ペンタゴンに突っ込んだ。残りの1機は政治力の象徴――おそらくはホワイトハウスに突っ込むはずだったが、これは自らを犠牲にした勇敢な乗客たちによって阻止された。

 こうして多数の犠牲者を生んだ9.11テロは、発端が旅客機のハイジャックだっただけに、民間航空界への影響は想像以上のものがある。全米の空域が飛行禁止になったのを初め、長期にわたって閉鎖された空港があり、航空旅客の保安検査もきびしくなった。検査機関も民間委託から国の機関「運輸保安庁」(TSA)に変わり、旅客機のコクピットはドアを頑丈にして施錠をしたり、客席にはエアマーシャルをのせるなどの対策が取られるようになった。

 旅客の方もハイジャック・テロの再発を恐れて、不要不急の航空旅行は避けるようになった。結果として乗客数が減ることになり、折からの経済不況と相まってエアラインの苦境がはじまった。欧州では老舗のサベナ航空やスイスエアが姿を消し、米国では政府の緊急融資や補償がおこなわれたにもかかわらず、USエアウェイズが破産法11条を申請、ユナイテッド航空も経営悪化に苦しみ、アメリカン航空は大幅赤字と大量のリストラを余儀なくされている。

新製機の引渡し数も減少

 エアライン業界の落ち込みは、当然メーカーの方にも影響する。エアラインの多くが旅客需要の減少に合わせて運航機数を減らし、発注機の引き取りを延ばし、場合によっては注文を取り消したため、メーカーの引渡し数も減少した。

 ボーイング社による大型ジェット旅客機の生産数は、2001年が526機だったが、2002年は380機程度、2003年は275〜300機になると見られている。ピーク時の半分くらいまで落ちこむわけで、従業員も3万人以上が解雇された。

 エアバス社の方は、2001年の生産実績325機に対して、2002年は300機程度となり、2003年もほぼ同じレベルになるもよう。これでも9.11以前は2004年で450機になるという見込みだったから、かなりの落ち込みということになろう。

 リージョナル航空機に関しても、英BAEシステムズは2001年11月アブロRJの生産打ち切りを決定、ドイツのフェアチャイルド・ドルニエ社は新しい70人乗りのリージョナル・ジェット、728の初飛行を目前にして破産法の申請に追いこまれた。

 こうした航空工業界の不況がいつどのように回復するのか。明確な見通しを立てるのは困難だが、エアバス社は2004年になれば回復に転じ、生産数も320〜340機まで増えると見ている。

 これに対してボーイング社の予測はもっときびしい。というのは、これまでエアラインが運航してきた旅客機およそ2,000機が防錆処置をほどこされて砂漠の中で眠っているからで、多少の景気回復があっても、先ずはこれらの防錆機が復活してくるから、直ちに新製機が売れるわけではない。したがって旅客機の受注は今後なお2004〜05年まで下降をつづけるというのである。

初飛行した旅客機

 とはいえ、こうした不況の嵐をついて、この1年間、何機種かの新しい航空機が初飛行した。メーカーとしては、不況だからといって開発の手を休めるわけにはいかない。不況回復の際に遅れを取るおそれがあるからだ。

 エアバス社からは2002年1月15日にA318、2月11日にA340-500が初飛行した。ボーイング社では7月31日に747-400ERが飛んでいる。

 A318は乗客100人乗り。最近よく売れているA320ファミリーのひとつで、操縦特性は変わらず、コクピットも共通である。1999年4月に開発がはじまったもので、エアバス大型機との共通性を持ちながら、旅客は少ないけれども頻繁な便数を求められるような市場への参入をねらっている。エンジンはPW6000だが、将来はCFM56-5の装備も可能とする。2003年秋から定期路線に就航する予定。

 その一と月後に飛んだエアバスA340-500(313席)は世界最長の航続性能を持つのが特徴。航続距離は16,000kmに及び、たとえばロサンゼルス〜シンガポール間をノンストップで飛ぶことができる。2003年10月末には型式証明を取る予定。

 エンジンはロールスロイス・トレント500が4基。最大速度はマッハ0.86と高速である。

 姉妹機のA340-600は2002年7月に就航したばかりだが、-500よりも胴体が6.5m長く、乗客数は380席まで増える。当分A380の就航までは、A340-600と-500がエアバス社の代表選手として、大量・長距離輸送というエアラインの要請に応えることになるのであろう。

 そのA380超巨人機は、いよいよ2002年1月から製造がはじまった。日本からも三菱重工、富士重工などメーカー7社が製造に参加している。

 A380は総2階建て550席で、キャビンスペースが競合機の747-400より5割近く大きい。2006年から定期路線に就航する計画で、最近までの受注数はエアラインなど9社から97機に達する。日本からの注文はまだ出ていないが、成田空港でも受け入れに備えて新しいターミナルビルやエプロンの建設準備がはじまっている。

 エアバスに対抗するボーイングからは2001年7月31日、747-400ER(Extended Range) が初飛行した。同機は1,308機目の747にあたる。最大離陸重量は412,770kgで、マッハ0.85の高速巡航が可能。民間機としては最も大きく、最も速いというのがボーイングの主張。2002年秋には型式証明を取り、引渡し1番機はカンタス航空へ納入される。

 引き続きボーイング社では、新しい長距離用の777-300ER (Extended Range) と777-200LR (Longer-Range)の開発が進んでいる。このうち777-300ERは2002年11月にロールアウトし、2004年初めから就航の予定。ボーイング社は、これらの機材によって長距離旅客機に関する地歩を固め、あらゆる需要に応えようというのが次の戦略である。


ボーイング777-300ER

リージョナル・ジェットの動向

 一方、リージョナル・ジェットに関する最近の動向は、この1年間の初飛行という面では、2001年4月28日にRJX-85、6月29日にERJ-145XR、9月23日にRJX-100、2002年2月19日にエムブラエル170がそれぞれ飛んだ。

 しかし、9.11テロはリージョナル航空にも深刻な影響を与えた。結果として、RJXの2機種が初飛行したばかりというのに、メーカーの英BAEシステムズは2001年12月アブロ・リージョナル機の生産と計画の全てを取りやめにしてしまった。

 さらにドイツのフェアチャイルド・ドルニエ社も、70人乗りの728JETが2002年3月21日にロールアウトしたばかりだったが、それから10日余り、4月2日には破産申請をするところまで追い込まれた。このため728も、飛行できないまま計画が中断し、会社再建の方策が模索されているが、見通しは立っていない。

 こうして2社が消えて行くことになれば、リージョナル・ジェットのメーカーはカナダ・ボンバーディアとブラジル・エムブラエルの2社に絞られる。このうちエムブラエルERJ-145XRは上述の初飛行をしたのち、2002年秋の型式証明取得をめざして試験飛行がつづいている。ERJ-145XRは-145ファミリーの長航続型で、最大離陸重量が9%増の24,000kgとなり、燃料搭載量が増え、航続距離は標準型よりも800km長い3,700kmの飛行が可能。

 ERJ-145XRには米コンチネンタル・エクスプレスから確定104機、仮100機の注文が出ている。なおERJ-145は2002年6月、1996年12月の引渡し開始以来、量産数が600号機に達した。

 エムブラエル社で初飛行したもう一つのエムブラエル170(70席)は2003年夏までに型式証明を取る予定。量産1号機は旧クロスエアから発展したスイス国際航空へ引渡される予定。

 なおエムブラエル社は、モデル195(108席)について、2002年9月製造に着手した。同機は1年後にロールアウトする予定である。

 一方、競争相手のボンバーディア社が開発してきたCRJ900(86席)は2002年9月、カナダ運輸省の型式証明を取得した。米FAAと欧州JAAの照明も間もなく取れる予定。量産1号機は2003年初め、米メサエア・グループへ引渡される。

 CRJ900は近い将来、最大離陸重量を36,500kgから37,400kgに上げて航続距離を延ばすCRJ900ERや、さらの長距離型のCRJ900ERが計画されている。900LRは総重量38,300kgで、3,590kmを飛ぶことができる。


ボンバーディアCRJ900

ソニック・クルーザー構想

 最後に、ボーイング社のソニック・クルーザー構想に触れておこう。この構想は2001年春発表された。それまでエアバスA380に対抗して提案されていた巨人機747Xの開発構想を取り下げ、その代わりという形で出てきたものである。

 200〜250人の乗客をのせ、マッハ0.95以上の高速で航続16,000kmを飛んで、地球上どこからどこへでもノンストップで行くことができる。したがって、今の亜音速旅客機にくらべて15〜20%の時間短縮になる。これからの旅客機は大きさよりも速さが重要というのがボーイングの主張である。

 それに対して、エアバスなどからは、わずかな時間短縮のためにコストがかかりすぎる。技術的、経済的に成り立つのかどうかといったさまざまな疑問が投げかけられている。

 機体の形状は、胴体前方に上反角のついた大きなカナード翼を取りつけ、胴体後半にダブルデルタ翼がつく。エンジンは翼後縁に取りつけられ、そのナセルの上に三角形の垂直尾翼が内側に傾斜して立つ、というのが発表当初のものであった。

 それが1年余り経って、2002年7月のファーンボロ航空ショーに展示された模型では、カナード翼の上反角がなくなり、垂直尾翼は高くなって梯形に変わり、内側への傾斜もなくなった。

 ところが、それから3か月ほど経って9月に出てきた完成予想図では、一見して通常の旅客機とほとんど変わりがない。カナード翼もダブルデルタ翼もなくなり、エンジン・ナセルの上に並んで立っていた垂直尾翼は尾部先端の一つだけになってしまった。

 主翼は胴体中央部に取りつけられ、やや後退角をもち、先端にはウィングレットがつく。変わっているのは、胴体中央部分がエリアルールにしたがってややくびれているだけ。

 性能データなどの数字は発表されていないが、ボーイング社は近く大手エアラインを集め、詳しい説明会を開催することにしている。その反応を見ながら、2003年初めにも重役会の承認を得て、正式の開発計画にもってゆきたいというが、エアラインの業績が余り良くない時期だけに、果たして積極的な反応が出るだろうか。うまくゆけば早くて2006年、遅くも2009年までに試験飛行を開始したいというのだが。

(西川 渉、『世界航空機年鑑2002』掲載)


計画発表当初のソニック・クルーザー完成予想図
その後、残念ながら計画は中止となった

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