<交通事故死>

救急体制ができていない

 

 去る8月11日付の「ワシントン・ポスト」紙が米国内の交通事故の死者が減ったと報じている。

 それによると、2003年の交通事故死は全米で42,643人。前年の43,005人より少ないが、死者の減少はこの6年来初めてだった。この死亡率は1億マイルあたり1.48で、史上最も低い。ということは、ブッシュ政権が進めてきた安全対策が功を奏したものという政権内部からの自賛の声もある。

 ただし4月に発表された米国高速道路交通安全庁(NHTSA)の推計値はこれより多く、死者は前年より増えたという発表だった。しかし、そのNHTSAの推計は間違ったデータにもとづいていたものらしい。けれども、そんなに簡単に間違ったり修正したりできるものか。大統領選挙を控えての作為ではないかという疑問も出ている。考えようによっては、道路交通の安全性までも大統領選挙に影響するのである。

 いずれにせよ、道路の安全は高まったといってよいのであろう。理由のひとつは座席ベルトの着用が挙げられる。2003年の着用率は79%で、これまでの最高記録より4%高かった。同時にベルトをしていなかった人の死亡率は2003年が56%で、前年の59%より低下した。

 また飲酒運転による事故死は、2003年が17.013人で、これも前年の17,524人から下がったという。

 以上のようなアメリカに対する日本の状況はどうか。2003年中の交通事故による死者は7,702人で、前年の8,326人に対して7.5%減であった。この割合でゆけば10年後にはちょうど死者が半減する。まさしく小泉首相が2003年初めに出した「今後10年間を目途に、交通事故の死者数を半減したい」という談話に沿ったものとなろう。もっとも、これはまだ1年目の実績に過ぎない。

交通事故死亡者数の推移

死者数

死者数

死者数

1970

16,765

1993

10,942

1999

9,006

1988

10,344

1994

10,649

2000

9,066

1989

11,086

1995

10,679

2001

8,747

1990

11,227

1996

9,942

2002

8,326

1991

11,105

1997

9,640

2003

7,702

1992

11,451

1998

9,211

2004

 上表のうち1970年は史上最も死亡者の多かった年である。それから30年余りたって、2002年の死亡者がやっと半減したというので首相の談話が発表されたわけだが、同じ1970年、当時の西ドイツでは交通事故の死者が2万人を超えたことからヘリコプター救急がはじまり、1990年には7千人弱まで3分の1に抑えこんだ。

 このことからすれば、日本でも今後、交通事故にもっと多くのヘリコプターを投入すれば、小泉首相の10年で死者半減という目標は5年ほどで達成できるのではないだろうか。筆者自身この提案を、小泉談話の出た直後に首相官邸に送ったが、参考にしますという返事がきただけで1年半たった今も具体的な動きはほとんど見られない。

 ところで、アメリカの事故死42,643人が事故の発生から何日以内に死んだものか、ワシントン・ポストの記事だけではよく分からない。日本の7,702人は24時間以内の死者だが、これを30日以内の死亡まで広げると8,877人となって15%増しとなる。たしかに30日後に死んだからといって、その原因が交通事故ではないと言い切るのはむずかしい。

 何かの病気で、もうすぐ死ぬと分かっていた人が、たまたま事故に遭遇したという偶然もないとはいえぬが、そんな偶然は無視してもいいのではないか。事故による死者は、本当は1日以内の死亡だけではなくて、後日の死亡数も勘定すべきであろう。

 その場合の死者の推移は下表の通りとなり、15%ほど増加する。

年  次

24時間後

30日後

増加率(倍)

1994

10,649

12,768

1.20

1995

10,679

12,670

1.19

1996

9,942

11,674

1.17

1997

9,640

11,254

1.17

1998

9,211

10,805

1.17

1999

9,006

10,372

1.15

2000

9,066

10,403

1.15

2001

8,747

10,060

1.15

2002

8,326

9,575

1.15

2003

7,702

8,877

1.15
[資料]交通安全白書(平成16年版)

 昨年の報道だが、中国の交通事故が急増というニュースがあった。それによると、2002年の交通事故死は約109,000人だったという。マイカーブームが背景にあって、スピード違反、違法車線走行、無理な突っ込み、違法な追い越し、酒飲み運転など、交通ルールを守る意識が薄いことが大きな原因。今後も3〜5年間は交通事故が増え続けると予測されている。

 この死亡者は1日平均300人にあたり、大型旅客機が毎日1機ずつ墜落しているようなものというたとえ話がある。とすれば、アメリカの事故死は1日平均120人弱で、737クラスの旅客機が毎日1機ずつ墜ちていることになり、日本では毎日25人乗りのコミューター機が墜ちていることになる。

 このような航空事故が毎日起これば、これはもう大変な騒ぎとなるだろう。1日25人だからといって、許されるはずはない。しかし、交通事故の場合は死者のほかに何十万という怪我人も出しながら、対策はいっこうに進まない。空で死ぬのは問題だが、地上で死ぬのは気にしないというわけではあるまい。

 ここでは以下、最近までの交通事故とヘリコプターとの関係を整理して、年表にしておきたい。

交通事故とヘリコプター救急に関する年表

年 月 日

出  来  事

1972.3.10

中央高速道路小佛トンネル付近で発生した交通事故で、東京消防庁ヘリコプターに自衛隊の医師が同乗、路上に着陸して負傷者1名を武蔵野赤十字病院に搬送。

1981.10.23

岡山県倉敷市の川崎医科大学で自動車専用道における交通事故を想定し、ヘリコプターによる救出、搬送の研究実験。

1990.9.1

札幌医科大学で9月末までの1か月間、交通事故現場への救急医療ヘリコプターの実用化研究。

1991.8.1

神奈川県伊勢原の東海大学医学部で9月30日までの2か月間、高速道路で交通事故負傷者のヘリコプターによる救出・搬送の実地研究。

1992.3.17

北海道の道央自動車道で降雪中、車輌186台の玉突き事故が発生、死者2名、重軽傷者108名を出した。北海道警察航空隊のヘリコプター3機(うち1機は運航委託を受けた防災ヘリコプター)が出動、1機は医師を現場へ送りこみ、もう1機が重傷者1名を搬送するため反対側の車線に着陸。

1999.11.29

内閣官房安全保障・危機管理室が未開通の都内高速道路で、東京消防庁のヘリコプターを使い、着陸と救急患者の収容訓練

1999.12.29

神戸市内の阪神高速道路で発生した交通事故に際し、神戸消防のヘリコプターが現場に近い白川パーキング・エリアに着陸して負傷者を搬送。

2000.2.1

航空法第81条の2を改正。

2000.5.29

神戸市内の阪神高速道路で交通事故。神戸消防のヘリコプターが現場に着陸して負傷者を搬送。

2000.6.9 

「ドクターヘリ調査検討委員会報告書」。それまでの1年間、委員と各省庁の間で路上着陸に関する論議があったが、サービス・エリア、パーキング・エリアに緊急着陸場を設けることが書かれたのみ。

2001.3.16

政府の中央交通安全対策会議「第7次交通安全基本計画」。重点施策7項目の最後に「救急・救助体制の整備」の中に初めてヘリコプターが交通安全対策の手段として書き加えられた。

2001.3.23

阪神高速道路でタンクローリーやトラックなど3台が巻き込まれる事故が発生。神戸消防のヘリコプターは交通渋滞の中で動けなくなったドクターカーの医師をホイストで吊り上げ、再び事故現場に降ろし、応急手当をした患者を搬送。

2001.6.6

東名高速道路三ケ日インターチェンジ付近で自動車事故が発生、聖隷三方原病院のドクターヘリが道路横の草地に着陸、救急治療を実施。

2002.2.9

仙台消防ヘリコプターが東北自動車道に着陸、交通事故の負傷者を仙台市内の病院に搬送。

2002.4.23

東関東自動車道の事故に際し、千葉北総病院のドクターヘリが現場に着陸、患者の治療と搬送をした。

2002.6.12

神戸市消防局の定岡正隆元航空隊長が阪神高速道路におけるヘリコプター救急など一連の防災救急活動により、モントリオールで開催されたAHSインターナショナルの年次総会で「会長賞」(Chairman's Award)を受賞。

2002.12.18

警察庁、総務省消防庁、厚生労働省、国土交通省道路局、日本道路公団の5機関が「高速道路におけるヘリコプターの活用に関する検討」の結果を発表。ヘリコプターを活用するには「二次災害」を避けるために(1)ヘリコプターを離着陸させる緊要性が高い場合において、(2)ヘリコプターの離着陸場所に係る条件が整っているときに限って、(3)ヘリコプターの機長による安全な離着陸が可能である旨の最終判断がなされたときに、(4)関係機関による事前の申し合わせに基づいて行うという4条件をつけた。

2003.1.2

警察庁が前年の交通事故による死者数8,326人と発表。1970年の「交通戦争」と呼ばれた時期の死亡16,765人に比較して「ついに半減」に至ったとのこと。これを受けて 小泉首相が「交通事故死者数半減達成に関する内閣総理大臣(中央交通安全対策会議会長)の談話」を発表、「今後10年間を目途に、交通事故死者数を更に半減する決意を固めました」

2003.6.23

愛知県豊川市付近の東名高速道路で発生した多重玉突き事故でドクターヘリ2機が出動したが、道路公団の承諾が得られず、10分前後の上空待機ののち、道路から離れた空地に着陸。なお事故に巻きこまれた車輌は12台、うち6台が焼損。死亡4名、負傷者13名であった。

2003.7.16 

HEM-Net(NPO法人・救急ヘリ病院ネットワーク)が「東名高速道路多重玉突き事故」の直接関係者(地元の消防、警察、医師、ヘリコプター運航者)を招いて40人余の事例検討会を開催。

2003.11.10

この日の衆議院総選挙にあたり、公明党はマニフェストで「救命医療の切り札、ドクターヘリを全国配備」をうたい、「ドクターヘリ拠点を4年以内に3倍、10年後には各都道府県1ヵ所、50ヵ所の整備をめざす」と公約。

2004.4.26

公明党の浜四津敏子代表代行ら国会議員団が日本医科大学付属千葉北総病院のドクターヘリを視察

2004.6.4

内閣府の危機管理担当職員が千葉北総病院のドクターヘリを視察。

2004.6.1

参院国土交通委員会で小泉純一郎首相は、公明党の森本晃司氏の質問に答え、ドクターヘリの高速道路本線上への着陸について「直接離着陸ができるよう各省庁が連携して取り組む」と表明

2004.6.16

石原伸晃国交相は公明党の浜四津敏子代表代行らの要請を受けて「本線着陸ができるようにする」と回答。

2004.7.15

この日の「日本航空新聞」に掲載されたインタビューで、日本道路公団の近藤剛総裁が「ドクターヘリの高速道路への着陸は真剣に取り組まなければならない」と語り、「ヘリコプターを活用した救命救急活動支援マニュアル」(案)を示した。

(西川 渉、2004.8.16)

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