<小言航兵衛>

開かずの踏切(2)

 

 先日の本頁に「開かずの踏切」が開かないのは社会主義を信奉しているからだと書いたところ、読者のおひとりから日本は民主主義ではなかったのかというメールをいただいた。私の返事は、次のとおりである。

 たしかに戦後しばらくは、アメリカの占領下ではあったが、真の民主主義がおこなわれたかもしれない。しかし時代が下るにつれて、日本は社会主義化していった。官僚の権力が強くなった結果としての「官僚社会主義」である。

 社会主義は、なるほど失業者はいなくなり、社会統制がうまくいって、軍事的には強化されるだろう。けれども経済的にはうまくゆかない。ひと握りの官僚だけで複雑な経済活動を統御もしくは管制することは難しいからだ。その結果がソ連の崩壊であり、中国の市場解放であり、北朝鮮の赤貧化である。

 日本も、この10年間、不況の大波に呑みこまれてしまったことはご承知のとおり。というのも余りに官僚統制がゆきすぎて、談合ですら官僚指導の下に堂々とおこなわれるようになったからである。その官僚統制の上に乗って、勝手な利権をむさぼってきたのが政治屋どもであった。

 開かずの踏切は、まさにその象徴である。轟音を上げて電車が行き来する間、通行人は何十分も遮断機の外でぼんやり待っていなければならない。まさか土下座をせよとは言わぬにしても、「そこのけ、そこのけ、お馬が通る」とはそのことにほかならない。

 小泉改革は、そうした官僚と政治屋の専断と抵抗を押し切って、今ようやく真の民主主義、資本主義に向かいはじめた……と言っていいかもしれない。本当のところは無論、結果を見なければ分からないのだが。

(小言航兵衛、2003.10.30)


(電車が通ります)

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