GPSの活用を急ごう

 

 先日、米サテライト・テクノロジー社(STI)のマネージング・オーナー、ステファン・ヒコック氏の話を聞く機会があった。氏はアメリカ陸軍と沿岸警備隊で長くパイロットを勤めたのち、1990年代なかばFAAの垂直飛行プログラム・オフィスでヘリコプターの計器進入プロジェクトを担当した人である。

 2年間のプロジェクトからは、GPSによるヘリコプター独自の計器進入方式が開発され、実際にヘリポートへの非精密進入を実現した。ヒコック氏はその後FAAを退職し、STIを設立して逆の立場でFAAと契約、ディファレンシャルGPSを使った精密進入方式の開発に取り組み、さらにヘリコプター専用の新しい計器飛行方式について開発作業をつづけている。

 それにより米国内はもとより国外でも、企業、病院、その他のヘリポートでGPSによる計器進入を実用化してきた。1995年初めラスベガスで開催された国際ヘリコプター協会(HAI)の年次総会では、会場のコンベンション・センター前の駐車場にこのシステムを設定し、実際にヘリコプターを飛ばして、計器進入のデモ飛行を見せた。そのデモ飛行には筆者も乗せてもらい、正面にヒルトン・ホテルの大きな建物がそびえ立つ駐車場に、外界を見えなくしたパイロットがGPSの指針だけでアプローチして行くのを後席から見ていたことがある。

 こうして翌1996年、ヘリコプターのためのGPS進入がFAAの承認を得て実用化された。最初は病院の救急用ヘリポートである。この計器飛行方式は1年後には11か所の病院ヘリポートを結ぶネットワークに発展した。同時に、ほかの病院でも同じような動きがはじまり、いくつもの救急ヘリポートでGPS進入がおこなわれるようになった。

 その結果、何が起こったか。ある病院ではこの進入方式が設定される前の2年間に救急ヘリコプターが1,502回飛来した。しかし気象条件が悪いために進入を断念した回数は328回、2割以上という記録が残っている。この間もしもGPS進入が可能だったならば、断念した飛行は1割以下に減り、167回は余分に着陸できたと推定される。それだけ多くの救急患者が早期の治療を受けられたはずで、その中には命を喪くさずにすんだ人がいたかもしれない。

 その後、一般企業も社用ビジネス機のために、本社の屋上や工場の一角にあるヘリポートへのGPS進入方式を設定するところが出てきて、今では100か所以上のヘリポートにヒコック氏の開発した計器進入方式が設定されている。

 GPSによる交通案内は、すでにカーナビゲーション・システムで多くの人に馴染みが深い。それをヘリコプターに使う利点は何か。第1にGPSは、受信機が安い。そのうえヒコック氏の非精密進入方式は地上施設が要らず、機上の受信機だけで用が足りるので、従来の航法システムにくらべてほとんど金がかからない。しかも受信機は軽量小型だから、搭載量に余裕のないヘリコプターには最適である。

 第2にGPSは地球上のどこでも利用することができる。従来の航法装置は、当然のことながら地上施設のないところでは使えない。特にヘリコプターは低空を飛ぶことが多いから、航法電波の受信が困難になる。しかも受信機は大きくて重くて高価である。

 第3にちょっとした手を加えることで、精密進入も可能になる。ヘリポートのそばに衛星からの電波を補正するディファレンシャルGPSを置いて、精度を高めるのである。もっとも今年5月からGPSの精度は一桁向上して地上での誤差が10m程度になった。これまでは米国防省がわざわざ精度を落とすための操作をしていたので、湾岸戦争の時期を除いては誤差100m以上だった。

 こうしてGPSによって安価で手軽なヘリコプター計器飛行が可能になれば、ヘリコプターは気象条件の悪いときでも飛べるようになるばかりか、運航の安全が向上する。これまでも有視界飛行で飛んでいたヘリコプターが天候の急変によって事故を起こした例は少なくない。しかも天候急変による事故は死亡者の出ることが多い

 GPSによる計器飛行方式は、アメリカの病院や企業の計器進入の実例を待つまでもなく、技術的に実用可能な段階にまで達した。あとは扱い方もしくは考え方、すなわち制度の問題である。これについて日本では、GPSは米国の軍事施設だから、まず運輸多目的衛星(MTSAT)を打ち上げてからという。しかし、その打ち上げは2度も失敗した。仮に成功しても、これは本来の目的が太平洋線を飛ぶ定期航空のためである。

 したがって低空でせまい範囲を飛ぶヘリコプターのためには、同じGPSを使うにしてもヒコック氏のような別の方式を考えなければならない。それが何故できないのか。最近は携帯電話にもGPSを内蔵し、道案内をしてくれるものが登場した。どこからか、航空の場合は安全の保証が必要だから、そんな簡単ではないという声が聞こえてきそうだが、いつまでそんなことを言っていては、日本の航空界はますます取り残されるであろう。                    

 (西川 渉、『航空情報』誌、2000年10月号掲載)

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