航空の現代電脳篇 → ホームページ作法(7)

電子文書の表題

 

 近頃は、私が楽しみにしている「アクセス向上委員会」からのEメ−ル通信がなかなか送られてこない。著者の橋本大也さんも社会人になって余程忙しいのであろう。当然のことで、この種のことを考えるのには大変な時間がかかる。どうでもいい思いつきを書き散らかすというのならともかく、何か事実関係にもとづき、根拠を調べて書くというのは、ホームページの製作もそうだが、いくら時間があっても足りない。

 そこで止むを得ず、この頃は橋本さんに教えて貰ったニールセン先生のホームページを愛読している。もっとも航空関連の英文記事であれば30年以上も読み慣れてきたが、インターネットやコンピューターの話を英語で読むのはいささか骨が折れる。ついでに先日はクリントン大統領のセクハラ疑惑を書いた「スター報告書」とやらを読もうかと思ったが、目次を眺めているうちに当然のこと、余りに膨大な量で面倒になってやめてしまった。家人からは「野次馬根性もいい加減にしなさい」とたしなめられたが、いずれ翻訳か要約が出るであろう。

 さて、ニールセン先生は9月6日の記事で、ホームページやイーメールのタイトルの付け方を論じている。余談ながら、ニールセン先生は、もはやE-mailなどとは書かずに email という普通の言葉にしてしまっている。それに習って本頁でもイーメールという表記にする。

 先生によると、ホームページやイーメールの表題と印刷物の表題では根本的な違いがある。印刷物の方は、1冊の本を手に取ったときのように、表題も副題も、装丁の絵や写真もいっぺんに見えるし、パラパラと頁をめくれば中味の文章だってほとんど同時に見ることができる。つまり、どんなことについて書いてあるのか、一と目で全体像をつかむことができる。

 ところがインターネットやイーメールは、せまい窓からごく一部が見えているに過ぎない。しかも読みにくい文字で表示され、読者は一刻を争ってスキャン(拾い読み)してゆく。そこで、ホームページに沢山並んでいるニュース記事の見出しやイーメールの表題は、1〜2行で全体の内容がつかめるようなものでなければならない。読者にとって意味不明の見出しは、それだけで読み飛ばされ、イーメールならば読まずに削除されるであろう。

 しかるに現在、こうした電子文書に適した見出しのつけ方を理解している人はほとんどいない。したがって「貴君が読者に親切であるためには、自らホームページやイーメールの見出し(件名)の付け方に習熟しなければならない」

 そのためにはどうすればいいか。ニールセン先生は次のような具体的な技法を教授してくれる。

 第1に、その記事やイーメールが読者にとって如何なる関係があるのか短かい言葉で明解に説明すること。第2に平易な言葉を使うこと。語呂合わせや気取りや遠回しの表現は良くない。

 そして第3、第4と説明され、第5に、タイトルの最初に重要な情報を含んだ言葉をもってくること。たとえば、これから取り上げようという企業や人の名前、あるいは議論の対象となる言葉を見出しの頭に置く。しかしまた、各頁の見出しを同じ言葉にすると、読者が混乱するという注意もある。

 最後に、著者は具体的な見出しを例示しながら、その善し悪しを評価してみせる。もっとも英語だから言葉のニュアンスは分かりにくいが、たとえばイーメールの表題。「ノルウェーのホームページ・デザイン会議」といっても、今すぐノルウェーに行く予定がなければ、自分には関係ないと思って読まずに削除してしまうだろう。しかし実は、その内容は「ご招待――ノルウェーでホームページ・デザインに関するご講演依頼」というような表題にすべきものであった。それならそうと、一と目で内容が分かるような件名にしてもらいたいというのが著者の主張である。

 これは、恐らくニールセン先生のところへきた実際のメールだったに違いない。それを危うく、自分には無関係と思って削除するところだったのであろう。今回の表題のつけ方に関する論考も、このイーメールがきっかけだったのではないか。

 実は、私もこの半年間に二度、イーメールで講演の依頼を受けた。その表題は、最近の一つが「講演のお願い」、もう一つは今年春先のもので何という表題だったか、もうパソコンには残っていない。しかも当時、そのメールを私は読んでいなかった。それほど熱心に毎日イーメールをチェックする習慣がなかったからである。そのため、こちらの返事が遅かったせいか、主催者の方から電話をいただいて、それと分かった次第。

 どんなに上手な表題をつけても、先方がイーメールの受信トレイを開いてくれなければ無駄に終わってしまう。その後は、しかし、私も少なくとも2日に一度くらいは郵便受けをのぞくようになった。

 平易で分かりやすく、ずばり核心をついた表現は、電子文書の表題ばかりでなく、あらゆる文章の基本要件であろう。

(西川渉、98.9.17)

【追記(98.9.18)】
 Eメールのことを、ニールセン氏は email という普通の言葉にしてしまった。同じように、これを普通の日本語にするとイーメールではなく、電子書簡、すなわち「電簡」にしなければならないのではないか。イーメールとかE−メールなどのカタカナ用語は、何度でも書くけれども、不毛の言葉で、そこからは何にも生まれてこない。telephone は電話、telegram は電報という日本語にしたように email には「電簡」という日本語を提案したい。

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