<救急ヘリの危機管理――3>

HAI白書「安全の文化」

 

 「ヘリコプタージャパン」誌9月号を書き終わったところへ、国際ヘリコプター協会(HAI)が「救急飛行の安全性向上」に関する白書を出したというニュースが入ってきた。そこで今月は、「危機管理」ガイドラインを中断して、最新の安全白書を読んで見たい。白書の日付は2005年8月。実際に公表されたのは8月16日のことである。

 基本的な主旨は「救急飛行の安全は、パイロットのみならず、ヘリコプター会社や病院を含む救急運航システム全体にかかっており、何か一つだけの要素で確保できるようなものではない。システムの全ての要素が飛行の安全にかかわっている」というもの。したがって安全性向上のためには、ヘリコプター救急に携わる誰もが共有する「安全の文化」を醸成することが重要というのが基本的考え方である。

救急機の事故は大ニュース

 HAIは国際的なヘリコプター協会で、世界73ヶ国以上の企業や団体、または個人が会員として加盟している。これらの会員が運航するヘリコプターは4,500機以上、飛行時間は年間およそ230万時間に及ぶ。そのうち93の企業もしくは団体が米国内で救急ヘリコプターの運航にあたっている。白書は、これらアメリカの救急飛行だけを扱っている。

 近年アメリカでは、救急飛行の事故が続いた。そのためFAAから安全の確保について疑問視されるようになり、一般社会からも不安の目で見られるようになった。救急機の事故は全て、小さいものでも新聞やテレビ・ニュースのトップに取り上げられる。ましてや死亡事故は大きく報道され、非難の対象となっている。

 実際は、同じヘリコプターでも、自家用機や訓練機の事故の方がはるかに多い。しかしニュースになるのは救急機である。救急飛行は人の命を救うのが目的であって、その目的が逆の結果になるところが問題なのであろう。

 救急ヘリコプターは毎年何十万人もの人を救っている。世界中では推定50万人に上る。また救急機を操縦しているパイロットは、ほとんどが経験豊かな熟練者で、安全問題についても高い見識を持つ人が多い。さらに不幸な事故が起こるのは、救急飛行全体の規模からすれば、ごくわずかである。しかし、いかにわずかであろうと、ただ1人の命が失われただけでも「わずか」ではすまされない。

 とりわけ事故原因が判明してみると、悪天候の中へ無理に突っ込んだとか、立木や電線に気づかなかったとか、どの事故も避けられたはずという印象が強い。そうなると外部の人から見て、ヘリコプター界は何をしているのかという疑問がわいてくる。最後は、ヘリコプターそのものが危険であるとして、社会的に受け入れられなくなり、ヘリコプター界全体が沈むことにもなりかねない。

双発機でも事故を起こす

 1991年の当時、アメリカで救急専用機として飛んでいたヘリコプターは約225機であった。それが今では650機を超える。また飛行時間は91年がおよそ162,000時間。2005年は30万時間に達すると見られる。

 ところが、91年から今日まで救急ヘリコプターの事故は127件発生した。うち49件が死亡事故で、犠牲者は128人に上る。また127件の事故のうち109件(85.8%)は何らかの形で人的要素(ヒューマン・ファクター)が関係していた。それもパイロットのエラーばかりでなく、整備作業や品質管理のミス、パイロット以外の乗員や地上員との協調関係、さらには、わずかではあるが上司の監督や管理に関連する問題もあった。

 とはいえ、パイロット・エラーも相当に多い。事故のうち69件(76%)が直接パイロットに起因する。エラーの内容は技量不足、操縦ミス、障害物との接触、状況判断の誤り、あるいはこれらの要素がいくつか重なり合った結果である。特に多いのが障害物との衝突で59件(46.8%)と、半分に近い。そのうち40件は夜間飛行で、その半分以上の23件が計器気象状態の中で無理に有視界飛行をしたためであった。

 さらに1998年以降の最近7年間に、救急ヘリコプターは77件の事故を起こした。その半数の38件は20機以上の機材を保有する大手または中堅のヘリコプター会社の事故であった。残り29件が20機未満の小企業である。

 しかも77件中45件は双発機の事故で、単発機は32件である。さらに77件中54件はVFR機であった。計器飛行の可能な機体は残り23機、すなわち3分の1以下である。

 ということは、救急ヘリコプターの事故は会社の規模にかかわらず、エンジンの数にも関係なく起こっていることが分かる。ただし計器飛行装備は多少とも有効ということになろう。

航空医療に関するFAAの勧告

 救急ヘリコプターの運航費は誰が負担するか。財源は国によって異なるが、フランスと日本は公的資金でまかなわれている。アメリカでも、ごく一部の限られた自治体で警察や消防などの公費によって運営されているが、基本的には民間機による運航で、その費用は医療保険によってまかなわれる。

 余談ながら、日本のドクターヘリはフランス同様、公的資金でまかなわれている。といっても、フランスが全て国の費用であるのに対し、日本は国が半分、自治体が半分という中途半端な仕組みになっている。そのため国の予算がついても自治体の方で残りの半分が負担できないとか、その負担をするくらいなら今の防災ヘリコプターを使うと言ってみたり、うまく歩調が合っていない。おまけに1県で2ヵ所に置くときは、国の負担は1ヵ所だけという奇妙なルールを後からつくるなど、行き当たりばったりのちぐはぐ行政である。要するに人命保護という国の本来の任務など完全に忘れ去られているのである。

 それでいて、防災ヘリコプターがしっかり救急業務にあたるのかと思うと、なかなかやろうとしない。情報収集と称するテレビ撮影にばかり夢中で、災害現場を撮る方も観る方も、人が死ぬか生きるかの境目で苦しんでいるときに、緊急機関の諸君は高見の見物を決めこんでいるのが実態である。

 そんなに映像撮影が好きなら、初めからテレビ会社に入ってカメラマンになればよかったのである。以前も本頁に書いたが、消防防災ヘリコプターからはテレビの生中継装置を取り外すべきだ。

 話を戻すと、ヘリコプター救急に当たる民間航空会社は財務内容が健全で、救急業務を確実に実行し維持できるような経営内容でなければならないとされている。ところが、経営内容の如何にかかわらず、事故が減るような兆候は見られない。

 FAAは、そこで今年初めHAIと話し合い、「ヘリコプター救急医療サービスの運航」と題する通達を発した。運航者にパイロットや整備士の判断能力の向上、操作手順の見直し、さらにはCRM訓練を求めるものである。

 さらにFAAは別の通達によって、航空医療業界にさまざまな勧告を出した。この通達発行にあたっては業界の立場を尊重し、強制ではなく勧告という形にした。

 内容は、運航者の組織の中に「安全の文化」(safety culture)といった思想または環境を定着させることが基本となっている。これによって個々の飛行はもとより、地上業務や危機管理体制についても、常に安全を考慮しながら仕事を進めるべきだというのである。

 具体的には、たとえば各ヘリコプター会社の運航規程の見直し、訓練の方針や内容の見直し、そして天候悪化が予想される場合のパイロット訓練、長距離飛行訓練、夜間飛行訓練などを担当地域に合わせて実地におこなうよう勧告している。

 さらに、訓練にあたっては実際の運航状況を想定しておこなう。また夜間飛行では必ず電波高度計、暗視装置、衝突防止装置を使用する。そのためにFAAの認定した夜間暗視ゴーグルをそろえる。加えて夜間の最低気象条件を再検討し、必要があれば条件を上げて飛行の安全をはかる。

 機長は救急出動にあたって、必ず気象条件を確認する。気象状態が不安定な場合は、リスクを冒すことにならないかどうかの判断の方法を確立し、必要によっては管制塔の気象担当者の見方も参照しながら、出発するかどうか、飛行を続行するかどうか二重、三重の確認をしながら最終判断をする。

 一方、機体の飛行位置が常に確認できるよう、救急機の拠点ごとに地上の運航監視体制を確立する。

地上員も訓練が必要

 HAI白書は、事故をなくすには研修や訓練が重要であるとしている。ただし訓練の内容が、救急飛行という新しい分野に有効かどうかが問題となる。したがって各運航者はそれぞれ、救急飛行のための訓練内容を再検討する必要がある。

 HAIが救急業務の安全確保に有効な訓練としているのは、まず乗員については下表のような内容である。

救急飛行の安全確保に必要な乗員訓練

  • 危機管理訓練・CRM訓練
  • 新入者訓練
  • 緊急事態に対応する反復訓練
  • 個別の担当地域や担当業務に応じた訓練
  • 計器気象状態と中間気象状態での飛行訓練
  • 航空機のシステムに関する訓練
  • 夜間飛行訓練
  • 山岳飛行訓練
  • 判断能力の向上訓練
  • 管理監督者として安全上の判断に関する訓練

 次にディスパッチャー、すなわち航空機出発の可否を助言する運航管理者は、救急ヘリコプターの飛行の安全にきわめて密接な関係を持つ。そのためディスパッチャーは充分な訓練、知識、経験を積んで、ヘリコプターが飛んでいる間、常に気象条件や着陸地点の状況について刻々の情報をパイロットに送らねばならない。また気象条件が悪化するなど、飛行の継続が困難と思われるときは、いつでもヘリコプターを呼び戻す権限を危機管理規程の中に定めておかねばならない。

 もうひとつ重要なことは、運航者の側ばかりでなく、救急現場でヘリコプターを迎え入れる警察官や消防隊員、救急隊員の訓練である。これらの地上関係者が正しい訓練を受けていれば、着陸地点の周囲にヘリコプターの障害となるようなものがあったときは、すぐ察知してパイロットにも注意をするよう連絡することが可能となろう。

避けられたはずの事故

 HAIは人材の研修に加えて、機体装備の強化についても勧告している。それによると、救急機には衝突警報装置、電波高度計、夜間暗視装置が必要という。

 特にアメリカの場合は、夜間飛行が救急出動の3分の1を占めている。しかるに事故の発生は3分の2が夜間というから、発生率は夜間の方が昼間の4倍になる。それというのも地上の航行援助がほとんど受けられない状態で飛ばなければならないためで、正常な飛行をしながら山腹などの障害物に突っ込む、いわゆる「CFIT」(controlled flight into terrain)といった事故が起こる。

 たとえば2004年、救急ヘリコプターの事故は11件発生したが、そのうち6件が夜間のCFITによる死亡事故であった。この6件のうち5件は有視界気象条件(VMC)の下での事故で、残り1件だけが計器気象状態(IMC)であった。このとき気象条件はIMCでも、パイロットは有視界操縦をつづけていた。

 これらの事故は衝突警報装置や暗視装置をつけていれば避けられたはずの事故である。もっともヘリコプターがこれらの装備をするには機体の修理改造検査に合格し、パイロットの訓練も必要になる。そこでHAIとしては、これらの手続きがもう少し容易に、余り時間をかけずに終わるような工夫をするようFAAに要請している。

 さらにHAIは、この白書の中でFAAに対し、低高度空域の飛行の安全を高めるために自動気象通報システム(AWOS)と障害物衝突防止システム(OCAS)の設備を充足するよう要望している。

 気象条件がVMCとIMCの中間にあるとき、障害物にぶつかる事故は非常に多い。これらの事故は、救急ヘリコプターが飛ぶような狭い範囲の地域に関する気象通報システムの整備によって減らすことができる。さらに低空域にある障害物が容易に探知できるようになれば、ヘリコプターの事故は大きく減るであろう。

 救急ヘリコプターは基本的に、空港や滑走路などの航空施設がないところで発着する。したがって気象情報の入手も困難だし、障害物にはぶつかりやすい。そのため現状は高い塔に灯火をつけたり、電線には目印になるような大きなボールをつけたりしているが、これらは視程が落ちたときや夜間には余り役に立たない。

 そこでHAIとしては、ヘリコプターの低空飛行のための衝突防止装置が安く入手できるような開発努力をFAAに要望している。

「安全の文化」を醸成する

 以上のような具体策に加えて、救急飛行の安全に最も重要なことは、パイロットや運航管理者はもとより、同乗するクルーや事業責任者などの安全に関する意識と知識を高めることであろう。安全には、何か一つだけで決め手となるような特効薬はなく、多面的な手を打ってゆく必要がある。すなわちヘリコプター救急システム全体の「安全の文化」とでもいうようなものが醸成されなくてはならない。

 救急飛行はヘリコプターにとって、戦闘任務に次ぐ危険な任務とされる。それを安全に遂行するには、飛行要請が出るごとに飛行の可否を判断し、出発から最後の帰投に至るまでの作業行程を想定し、危険な要素を排除しつつ飛行計画を立てなければならない。それも1〜2分という短時間のうちにである。

 単に危険だからというだけで飛行を中止するのではなく、危険の要素を幅広く考え合わせたうえで「ゴー」か「ノーゴー」かを決める。その判断が機長を中心に関係者の間で的確になされるためには、人びとが共有する「安全の文化」が出来上がっていなければならない。

 それには航空会社の社長、担当役員、運航部長、チーフ・パイロット、安全管理者などは勿論、医療側の責任者や飛行スタッフ、そして現場の救急隊員や警察など、救急システム全体の関係者が安全に関する意識を常に忘れないようにしなければならない。それも危険から逃れるだけの消極的な意識ではなく、危険を克服する積極的な心構えが必要である。

 飛行の安全は関係者の全員で支えてこそ、初めて確保されるであろう。(来月号へつづく

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2005年10月号掲載に加筆)

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