<救急ヘリの危機管理――4>

安全の確保は全関係者の責務

 「ヘリコプタージャパン」10月号では寄り道をして、国際ヘリコプター協会(HAI)が8月に出した「救急飛行の安全性向上」と題する白書を読んだ。その主旨は、救急飛行の安全は「パイロットだけの問題ではない」――ヘリコプター会社や病院はもとより、救急隊員や警察官など、ヘリコプター救急に携わる誰もが「安全の文化」とでもいうべきものを共有する必要があるということだった。

 では、どうすればいいのか。その具体策が米連邦航空局(FAA)のマニュアル『救急ヘリコプターの危機管理』(Risk Managment for Air Ambulance Helicopter Operators、1989)第3章の説くところである。

ヘリコプター経営陣の責務

 救急ヘリコプターの安全は、何といっても運航会社そのものが基本である。企業としての基盤が弱くては、安全の確保もおぼつかない。したがって経営にあたる者は、病院や自治体などとの契約に際して、運航の安全と経済的合理性を充分に考慮しなければならない。

 さらに、自分たちの、これまでの成功や失敗の実例を理解し、必要な修正を加える。パイロットや運航管理者など、運航部門の意見を聞くことも重要である。そうすることによって運航業務の効率、収入、利益、安全などが、いずれかに片寄ることなく確保できることとなる。

 コスト計算にあたっては、マニュアルの第2章表2に掲げる「救急ヘリコプターのリスク要因」を考慮し、それらを排除するための費用を勘案する必要がある。

 すなわち経営陣として、運航の安全を確保するためになすべきは、第1に社内の安全意識を高め、基礎訓練から毎年の慣熟訓練のための経費予算を充分に取っておくこと。第2に訓練プログラムが通常の業務の中にも含められるよう、時間的な余裕を取っておくことである。特に救急飛行のための訓練は、たとえば乗員訓練の一例が上述のHAI白書に示されているように、複雑多岐にわたることから、これで充分ということはない。

 これらの要件は当然、コストの増加につながる。しかし事故が起こった場合の損害額、患者や乗員の補償額の方がもっと大きい。だからといって無限に膨らませるわけにはいかないが、必要最小限の金額は契約にも含めるべきであろう。

 さらに救急業務の開始にあたっては、機体装備にもさまざまな追加事項が出てくる。しかるに多くの場合はほとんど無視され、不十分なままで放置されている。たとえば機内に搭載する医療器具、病院や緊急機関との無線通信機器、不燃性の飛行服、安全ヘルメットなどの費用も見逃すことはできない。これらの装備を病院側が別途負担する場合はともかく、ヘリコプター本来の装備品として要求される場合は見積もり金額や契約金額の中に含めて当然のことである。

全関係者の訓練が必要

 ヘリコプター会社は自らの社員ばかりでなく、救急機に同乗する医療スタッフの訓練についても考えなくてはならない。彼らは単なる乗客ではない。飛行の安全に関係し、いざというときは消火器の操作や非常口の開閉など、航空機本来の装置を操作することもある。したがって医療スタッフもまた、ヘリコプターの出発時、進入時の安全点検や、巡航飛行中の外界監視について訓練を受ける必要がある。

 飛行中は、基地にいる運航管理者との間で無線交信やポジション・レポートをしなければならない。自分の乗り組んだヘリコプターが万一の事態におちいったときは「メーデー」発信を続けることもあろう。ヘリコプターが不時着して、パイロットが負傷したり意識をなくしたときは、看護師がエンジン停止操作をするような事態になるかもしれない。

 さらに救急隊員や警察官など、地上の関係者についても訓練の必要がある。彼らは救急現場において咄嗟の間に着陸場所を選定し、物見高い野次馬を規制し、障害物の有無などをパイロットに伝えなければならない。これらの判断業務は意外にむずかしく、まかり間違うと、いわゆる二次災害を招くことがある。(この二次災害を恐れる余り、訓練を受けるどころか、頭から高速道路への着陸を禁じてきたのが日本である)

 これらの関係者に対し、実際の訓練にあたるのは現場の運航担当者だが、運航会社のトップとしては、そうした訓練の重要性を理解し、訓練科目の設定に力を貸すのはもちろん、警察や消防機関に対して訓練が必要であることを説明し、訓練に参加してもらうよう折衝する必要がある。

 訓練科目の中には、ヘリコプターの着陸地点の大きさ、風向風速の判断、障害物の有無、マーキングの方法、夜間照明の方法、進入/離脱の経路設定、乗員の手助け、着陸地点の安全確保、駐機中のヘリコプターの見張りなどを含めるべきであろう。

病院管理者の責務

 次の問題は救急ヘリコプターを使う病院側の責務である。救急医療部門の責任者もしくは管理者は、ヘリコプター救急の実施にあたって、ヘリコプターの能力とその限界をよく理解し、その範囲の中で安全に、かつ患者のためになるようにヘリコプターを使うことが大切である。具体的には、まずヘリコプターの運用限界――視程、雲高、霧、氷結などの基準を承知しておくことである。

 それがなくては、過去いくつもの実例が示すように、無理な飛行を強いる結果となり、患者や乗員の生命を危うくしたり、大きな損害を招いたりする。したがってヘリコプター会社との間で、運航要領、スケジュール、勤務割、最低気象条件など、あらかじめ危機管理事項を取り決める際は、その協議にみずからも参加しなければならない。

 さらに、これらの基準が決まったあとも、パイロットその他の関係者が錯誤や失策におちいることがある。そうしたエラーが、どのようなときに起こりやすいか、また過去どんなときに起こったかを理解しておく必要がある。この理解にもとづいて、病院側責任者として運航上の危機管理を支援すると共に、病院側の医療スタッフが日常業務の上で常に安全意識をもつように仕向けてゆかねばならない。

 具体的には、(1)安全上の指示や決定事故には、積極的に従う、(2)航空当局の発した関連文書やガイドラインをよく理解しておく、(3)繰り返し訓練、安全確保、危機管理勉強会などの費用負担に応じる。さらに、たとえば毎月1度ずつ成功例や失敗例を掲載したニュース・レターを発行したり、少なくとも3ヶ月に1度は安全会議を開催するなど、眼に見える形で運航業務を支援する必要がある。

運航部長の責務

 以上によって安全運航の環境がととのったとすれば、次は直接の運航責任者が負う具体的な課題である。運航部長が最初におこなうべきは、経営陣の了解を得た上で、運航方針を明確にすることで、その方針は、次のような理解の上に立つものでなければならない。

  1. パイロットの能力の範囲と心構え
  2. 救急ヘリコプターの事故、自社のあらゆる事故、および不具合事項の報告文書の通覧
  3. 運航上の危機管理の目標と、それを達成するための方策
  4. 部下の勤務割とスケジュールの限度
  5. 繰り返し訓練の必要性

 こうした運航方針を補足し、関係者全員の安全意識を維持するために、運航部長は安全諮問委員会を設置する。この委員会は、病院側から理事や救急部長といった責任者、ヘリコプター救急のプログラム・ディレクター、ヘリコプターに乗り組む医療スタッフ、またヘリコプター会社側から整備部長や安全管理者が参加し、消防や警察の代表も含む。またヘリコプター・メーカーや販売代理店を入れるのも望ましい。

 運航部長は、こうした安全諮問委員会で決議された事項を実行に移す責務がある。その場合、社内の安全管理者やパイロットはもとより、病院側の医療スタッフなどの協力が必要となる。

 運航部長の究極の責任は、救急飛行が安全かつ確実に遂行されることである。そのためには飛行業務と地上業務の双方について的確な危機管理がなされていなければならない。とりわけ安全の限界に近い状態で飛行要請が出た場合、如何にしてそれを実施するか、また取りやめるか、具体的な基準をあらかじめ明示しておく必要がある。

 なお、運航部長は、安全を損なう要素、安全に寄与する要素を知る最良の立場にある。したがって常に、これらの要素を掌握し、必要な対応をしてゆくことが望まれる。

プログラム・ディレクターの責務

 プログラム・ディレクターとは救急業務を遂行する病院側の直接の責任者である。ヘリコプター会社の運航部長に相当するといってよいであろう。したがってプログラム・ディレクターは、救急業務を正常に遂行してゆくために、まず危機管理が重要であることを認識しなければならない。

 さらに、その責務の内容は運航部長以上に複雑な情報管理が求められ、関係者との調整も多忙となる。というのは病院の経営管理と運航上の危機管理の間に立って業務を進めなくてはならないためで、その責務は次のようなものである。

  1. ヘリコプター救急業務全体の最高責任者であり、ヘリコプターの運用についても指揮を執る。
  2. 危機管理プログラムの全般について責任を持つ。
  3. 病院側と運航側との間の安全に関する調整をおこなう。
  4. 現場のパイロットの出した判断について、病院または医療スタッフから反論が出た場合は、パイロットの判断を支持する。

 プログラム・ディレクターの最も重要な役割は、ヘリコプターの運航要領、救急業務のガイドラインや日常業務のプロトコールを承認することである。また、救急業務の遂行にあたって何らかの違反や失策が生じたときは直ちに注意を与え、重要な問題については文書化して次の安全会議に提出し、検討と対策を求めなければならない。

安全管理者の責務

 ヘリコプター会社の安全管理者は危機管理上の重要な要(かなめ)である。その役割は経営陣から乗員に至るまで、全員に対して安全上の責任を持つ。

 毎月1度は安全報告書を作成し、安全諮問委員会に提出しなければならない。また安全に関するニュースレターの作成もおこなう。さらに何らかの事故や不具合が生じたときは直ちにその内容を把握し、文書にして関係者全員に知らせる。

 さらに安全諮問委員会の決定事項など、安全にかかわる問題を関係者全員に周知徹底することも安全管理者の責任である。

整備部長の責務

 整備部長は、自分の立場が危機管理上重要な役割を持つことを自覚していなければならない。そのうえで航空法や耐空性基準はもとより、救急関連の規則にも積極的に従う。

 具体的には、ヘリコプターとその装備品について機械的な不具合、もしくは機能上の不具合がないかどうかを監視し、記録し、報告する責任を持つ。そのことによってヘリコプターが常に最良の飛行性能を発揮できるよう維持しなければならない。

 またヘリコプターの操縦操作を間違えてエンジンが過熱したり、ローターが過回転したり、飛行前点検で不具合の見落としがあったような場合も報告しなければならない。

 整備部長は安全管理者と協力して安全に関する情報の周知徹底をはかり、安全会議には必ず出席し、安全報告書には全て眼を通さなければならない。

医療クルーの責務

 ヘリコプターに乗りこんで救急現場へ向かう医療クルーは飛行の安全に関し、パイロットに次いで直接の関係を有する。その影響力は、飛行の安全を高めるように作用することもあれば、安全を損なうこともある。すなわち、医療クルーはパイロットの様子を見ていて、必要に応じて安全確保のために助言する必要がある。

 たとえばパイロットが飛行前、あるいは飛行中に天候を気にするような言葉を発したときは、多かれ少なかれ不安を抱いていることを示す。そのようなときは医療クルーの方から積極的に発言することで対話が始まり、適切な結論が得られる。しかし医療クルーの反応が不適切であると、パイロットはいっそう不安感を覚え、的確な決断ができず、不安定な気持ちのままで飛び続けることになる。

 事故というものは、パイロットが不安感を見せたときに、周囲の人びとが遠慮して沈黙するか、もしくは否定的な言葉を発してこのまま飛行をつづけるべきだと言ったようなときに多い。

 米国運輸安全委員会(NTSB)も1988年の報告書の中で「パイロットに対して、他の乗員および医療クルーは強い影響力を持つ」と書いている。この影響力が良い方へ働くか悪い方へ働くかによって安全が左右される。その意味では、同乗者といえども飛行の安全に大きな関係を持つ。危険が大きいと思われるときは、パイロットに飛行を中止するよう助言する必要がある。

 こうして、医療クルーはパイロットの判断を助けるばかりでなく、安全ベルトを確認したり非常口を開いたり、機内の安全操作にも責任がある。したがって、これらの装備品の作動に不具合があったときは報告し、問題が大きいときは安全会議に出さなければならない。

地上関係者の責務

 ここでいう地上関係者とは、運航管理者、勤務割の作成者、現場の救急隊員、警察官、着陸地点の選定や準備に当る者など、救急ヘリコプターの業務を支援する人びとをいう。これらの人びとも飛行業務を遂行する上で安全にかかわっており、所要の訓練を受けなければならない。また、上に述べたような安全報告書や安全に関するニュースレターを読んでおく必要がある。

 救急現場でヘリコプターを待ち受ける地上関係者は、飛行の障害になるようなものを見つけたときは直ちにパイロットに知らせなければならない。そのため地対空の無線交信が直接できるようにしておくことも重要である。

 地上関係者も常に安全会議に出席し、安全上必要と思われることを積極的に発言し、基準をつくるなり変更を求めるなり、救急ヘリコプターの飛行の安全に協力しなければならない。 

 この協力者の中には、FAAのマニュアルには書いてないが、一般市民の協力も大切で、救急現場にヘリコプターが近づいたときは付近を走っている車は速度を落とし、背後から救急車が近づいたときと同様、道路のわきに停止することも必要であろう。場合によっては反対車線の車も、そうした配慮が必要である。

 ましてや、ヘリコプターの横の狭いすき間をオートバイですり抜けていくなどは言語道断である。実は、高速道路の着陸を認めないといってきた道路公団や警察の二次災害の理由は、この言語道断(話にならないほど正道から外れていること)を正面に据え置いた理屈であった。これまた言語道断というべきだが、それが言い過ぎというならば、一歩譲って理不尽(理屈に合わないことを無理に押しつけること)といっておこう。

 繰り返しになるが、ヘリコプターの安全はパイロットだけの責任ではないし、パイロットだけで維持できるものでもない。運航の安全を確保するには救急関係者の全員はもとより、一般市民も含む全ての人びとが「安全の文化」を共有し、協力し合ってゆく必要がある。そのことが1人でも多くの命を救うことになる。(来月号へつづく)


ロンドン郊外の住宅地で路上着陸した救急ヘリコプター

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2005年11月号掲載に加筆)

【関連頁】

   HAI白書「安全の文化」(2005.11.28) 
   パイロットを待ち受ける心理的陥穽(2005.9.26)
   なぜ老練パイロットが事故を起こすのか(2005.8.25)

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