<小言航兵衛>

隣家の犬

 隣家の犬が、人の顔さえ見ればワンワンきゃんきゃん吠え立てる。うるさくて仕方がない。時どき食事の残り物をやったりするのだが、吠えるのをやめようとしない。恩義を感じないのと同時に、吠えればまた何かくれるとでも思うのだろう。泥棒よけにもなることだし、まあいいかと考えたり、余りうるさいときは文字通りの犬畜生だからとでも考えるほかはない。

 それにしても、うるさくて厄介なやつが隣に居ついたものだ。

 そんな犬の吠え声を聞きながら、最近『売国奴』(黄文雄・呉善花・石平、ビジネス社、2007年10月17日刊)という本を読んだ。なんともすさまじい書名だが、台湾、韓国、中国の3人の著者があまりに親日的であるために、それぞれの国から裏切者とか売国奴と呼ばれていることを背景として語り合った鼎談である。話の内容は主として中国人と朝鮮人の思考回路を、国家、民族、歴史、文化、日本、反日などの主題によって解明している。

 まず国家や世界について、彼らはどう考えるているか。中国人はいうまでもなく中華思想である。彼らのいう天下とは世界であり、その中心に自分たちがいて、その傘の下に世界がある。とりわけ周辺諸国――朝鮮、日本、蒙古、ベトナム、チベットなどは古代からわが膝下にある野蛮国であって、それらを善導してゆくことこそ自分たちの努めであると考える。

 これを受けて朝鮮は、自らを宗主国中国に対する朝貢国であるとする。同時に中華思想にならった小中華主義によって、東方の未開国であった日本に文字や宗教や芸術などの文化を教えたのは自分たちだと考える。つまり日本をつくったのは朝鮮である。にもかかわらず、その日本が恩義を忘れてわが国をを統治するなどはまことに口惜しく、けしからんことであった。

 朝鮮の国家観は、血縁社会や民族主義が背景にある。家族や宗族を拡大した民族の血の一体意識が強く、その民族意識や国家意識の強さは世界に例がない。それに対して野蛮な日本は、国と国との関係でも長幼の序をわきまえない。もっと後ずさって礼をつくして貰わねばならぬと主張する。

 中国人や朝鮮人は、頭の良し悪しも判断基準のひとつとする。中国人は自分たちが世界でいちばん利口だと考える。特に人間関係、社会関係を築く上で知恵があり、したがって最も知恵のある政治をするのが中国人だという。

 さらに漢民族は自分以外の民族をことごとく軽蔑し、朝鮮人も日本人もベトナム人も、自分たちの子孫とは考えない。「われわれはこんなに頭がいいのに、あのような愚かな民族がわれわれの子孫であるはずがない」と思う。とりわけモンゴルやチベットは汚くて、頭も悪い。だからこそ、われわれが彼らを指導してやるのだ。チベット人にとって、漢民族に支配されるのは幸せなことなのである。

 朝鮮も、かつては世界で一番聡明な民族は中国人であることを認め、2番目が朝鮮人と考えていた。しかし最近は韓国人が中国人を追い越して、世界で最も聡明だという人が増えたらしい。

 経済的な繁栄から見れば日本が一番だが、聡明さにおいては日本人が韓国人の上であるはずがない。なぜなら日本人のルーツは朝鮮人であり、日本文化のルーツは朝鮮文化だからである。日本の繁栄も古代朝鮮移民の子孫がつくったもので、それゆえ今や韓国人は世界で最も聡明である。特に個々人の能力は、芸能人や運動選手などを見ても、日本人が韓国人に劣ることは明らかだとする。

 歴史の見方については、中国も韓国も事実を無視したり、ねじ曲げたり、嘘だったり、自国に都合のよい独善的なものが多い。

 中国の歴史認識は、中国共産党の価値観を踏まえたもので、史実とは関係ない。南京大虐殺は「あった」かどうかではなくて、「あるべき」なのだ。これが「なかった」ということになれば、中国の反日教育は完全に崩れてしまう。

 韓国には古代の文献が残っていないので中国古代の書物や『日本書記』などを参照するほかはない。そして都合が悪ければ『日本書記』は歴史を捏造(ねつぞう)したなどという。

 そのうえで韓国の歴史教科書には反日民族主義の立場から、史実をひん曲げた記述が多い。しかも、この教科書が韓国唯一の正しい歴史ということになっている。つまり韓国の歴史は社会科学ではなく、ほとんど民族宗教なのである。

 したがって日韓共同で歴史研究をするといっても、韓国側は「まず私たちのいうことを認めて、謝罪しなさい。そこから話を始めましょう」という。その内容も、日本は古来野蛮で侵略的な性格をもった民族だなどというので、日本側は左翼的な学者ですら返事のしようがなく、共同研究などできるはずがない。

 日中の歴史研究も同様で、日本からは学者が出てゆくが、中国側は党幹部と官僚が出てきて「この歴史を認めよ」などと要求する。それが前提となるので、これまた話のしようがない。

 以上のような本書の紹介をつづけてゆくと、延々きりがない。ここらでやめておくが、日本人もいつの間にか朝鮮民族のような小中華主義におちいっているのではないか。たとえば昨年12月、民主党の小沢代表が子分や取り巻き何百人を引き連れて北京へ行ったようだが、何用あって野党代表が外交の真似ごとをするのか。中国に暖かく迎えられたと喜んでいるようだが、朝貢してくる者を歓迎せぬはずがない。野党による朝貢外交などは百害を生むだけである。

 そして今年は、中国のような勝手気ままな独裁国家がオリンピックをやろうというのだ。これこそは国威発揚を狙ったもので、政治的でないはずがない。日本人の中にも中国の言い分をオウム返しにして、スポーツと政治は別だなどと抜かす政治家や評論家がいるが、これも朝貢心理に冒されたものといわざるを得ない。

 そのうえヒットラーを真似た聖火リレーを、日本で成功させるために腐心するなどは、人がいいというか愚かというか、中国の独裁的中華政治を助ける以外のなにものでもない。あんなものはさっさと断っちまえばいいのである。

 そうはゆかないというのであれば、航兵衛の提案は聖火ランナーとして、親チベット派の人びとを、日本人に限らず世界中から募って、長野でもどこでも走って貰えばよい。ランナーの胸や背中には「チベットに自由を」とか「中国はチベットを解放せよ」などと書いたたすきやゼッケンをつける。そうすればロンドンやパリのように、聖火を奪おうとしたり消そうとするような妨害はなくなり、大勢の警察官を動員する必要もなくなるであろう。

 隣家の犬がまた吠え始めた。

(小言航兵衛、2008.4.16)

【関連頁】

  嫌中論と聖火リレー(2008.4.8)

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