<ハリケーン>
ヘリコプター救助活動つづく 大災害が起こったとき、ヘリコプターに対する期待は大きい。実際にまた、それだけの仕事ができる。
9月4日付の「国際ヘラルド・トリビューン」紙の伝えるところでは、ニューオーリンズ・コンベンション・センターに避難していた人びとの間で広まったうわさは「明朝ヘリコプターがやってきて、みんなを助けてくれる」というものだった。
恐ろしく、苦しく、汚れた生活が、もう5日もつづいていた。朝になって、誰もが半信半疑のまま一列に並んだ。そこへなんと、本当にヘリコプターが飛んできたのだ。海軍のMH-53。なんだか不格好な、やけにでかい図体をした機体だった。しかし、格好などはどうでもいい。うわさが本物になったのである。
小さい子どもと年寄りが先に乗った。そして大勢が詰めこまれ、3基のエンジンが鋭い金属音を発し、ヘリコプターは轟音を立てて飛び上がった。眼下に水びたしのニューオーリンズが広がる。その上を、大型ヘリコプターは一とまたぎで飛び越え、わずか10分で目的地に到着した。
デキシーランド・ジャズの王様、ルイ・アームストロングの名前がついたニューオーリンズ国際空港である。そこから今度はもっと大きな輸送機で、テキサス州やアリゾナ州へ送られることになっていた。
ヘリコプターはすぐにまた市内へ引き返した。9月3〜4日の2日間にわたってピストン輸送を続けた。
ニューオーリンズ・コンベンション・センターの駐車場に集まった
軍のヘリコプター。ここから多数の避難民が送り出された。
コンベンション・センターからヘリコプターに乗りこむ人びと。
同じくコンベンション・センター駐車場で、
ヘリコプターのダウンウォッシュから子どもを守る乗員。こうして多くの人がニューオーリンズから脱出した。ニューオーリンズは人口50万人ほどだが、日曜日までに8割くらいの人が脱出したと市長が語っている。しかし市当局や軍隊の手で送り出されたのは5〜6万人である。残りは自力で脱出したことになるが、実際にどのくらいの人が脱出できたのか、本当のところはわからない。
わからない分は死んだ可能性がある。死者数千人というが、万を超えるかもしれないという推定の根拠はそこにある。
人びとの救助活動にあたっている軍の隊長は、死者の人数について「多分3,000くらいか、いや5,000かな? とにかく1万人を超えないよう祈ってるよ」といった。
多くの人は洪水に追われてハイウェイの上に逃げた。
比較的高いところを走っているので、水がこないからである。
それに高速道路は、救出のためのヘリコプターも着陸しやすい。
何万人もの人がバスで脱出。その出発地点に集まった人びとの中には
ヘリコプターや救急車できた人もあるし、歩いてきた人もある。
小高い道路上に避難していたはずが、
いつの間にか周囲に水がきて、
孤立してしまった人びとを助けにきたヘリコプター。
こんな吊り上げ装置もある。9月4日、ニューオーリンズの救助活動にあたっていたヘリコプターが墜落したという報道があった。避難者をのせる前で、パイロットその他の乗員に死者はなかった。ヘリコプターはAS332スーパーピューマ。所属はヘリネット・アビエーション・サービスというが、詳しいことは分からない。
ニューオーリンズ市内はまだ洪水のまま、至るところが水没しているのに、
あちこちで火災が発生。なぜか理由が分からず、不気味である。
昔からいう「火攻め、水攻め」とは、このことか。【関連頁】
再びヘリコプター救助活動(2005.9.4)
史上最大の救助活動(2005.9.2)
(西川 渉、2005.9.6)