現場の責任感と犠牲的精神

――東海村事故を考える(3)――

 

 ロンドンでのメモ帳をひっくり返しているうちに、イギリスの新聞が東海村の事故について描いたマンガのことを思い出した。そのマンガというのは10月2日付けの『ザ・タイムス』紙に掲載されたもの。放射能を浴びた盆栽が急に大きくなって、そばにいた日本人が吃驚している図柄である。盆栽とは本来小さいものであることを踏まえての皮肉であろう。

 そして、マンガの横の記事は「幾多の疑問を残したまま、日本政府は危険が去ったと主張している」と書いている。

 もうひとつ、10月3日付け『ロンドン・インディペンデント』紙には「日本、あり得べからざる事故に呆然」という見出しで、70行ほどの解説記事があった。まず「クリティカリティ・アクシデント」(臨界事故)とは原子炉の中で起こるものと同じ核の連鎖反応であると説明した上で、こうした核事故に対処する安全手順のないまま、日本政府はJCOの東海村ウラニウム処理施設の設置を許可していたと書いている。

 日本のマスコミも当時こういう表現をしたのかどうかは知らぬが、恐らくはできるだけやわらかい言葉遣いをして、われわれ一般大衆に不安感を抱かせないよう有難い配慮をしてくれたに違いない。そもそも「臨界事故」なるものがどのくらい危険なのかをあいまいなままにしておいて報道の正面に押し出し、まずは大衆の目をくらまそうという関係当局の陰謀に加担している気配が読みとれる。

 上の英紙も「クリティカリティ・アクシデント」(criticality accident)という言葉を記事の中に出すたびに括弧をつけていた。余りに専門的な用語なのであろう。私も初めて聞いた言葉で、無知な素人としては意味不明のうさん臭い言葉としか思えない。本頁でも、すべて括弧をつけ、当初は頭に「いわゆる」を冠して書いたゆえんである。

 そして『インディペンデント』紙は、「臨界事故」の防止は核施設における「トップ・プライオリティ」(最重要問題)であるとして、その「防止策」を確認せず、事故が起こったあとの迅速な「対応策」も確認しないまま放置しておいたのは、二重の意味で政府の責任であると書く。

 その結果、何がおこなわれたかというと、作業員たちは「バケツで」「手作業で」「誤って」大量のウラニウムを混合した。「全く理解に苦しむ」というのが、この記事の結論である。

 何度も書くけれども、これは作業員の問題ではない。JCOのマネジメントの問題であり、科学技術庁の責任である。

 先日のテレビでも「科学偽述庁」の幹部が、専門家が警告を発したのに何故迅速な避難命令を発しなかったのかと問われて「専門家といっても1人だけの意見で動くわけにはいかない。われわれは合議制でやっている」という意味の強弁をしていた。科学や安全の問題が合議制で決められるのだろうか。

 原子力安全局の局長殿も「専門的な知識がなかった。専門の先生方の意見を聞いてから動こうとするのは自然の心情」と白状する始末で、かかる無知無能が何用あって「安全」局長の椅子に坐っているのか。

 そのため付近の住民は「念のために」避難してくださいと言われて、却って、それならば安全だろうと受け取り、畑仕事を続けたと語っていた。もはや日本の危機管理は出鱈目というよりも錯乱状態というべきだろう。

 ところでJCOの事故現場では、臨界はすぐにおさまるという常識か迷信かは知らぬが、その誤った思いこみに反して、午前10時半にはじまった反応が深夜になっても続いた。それを食い止めるために危険な水抜き作業をすることになったところ、多数のベテラン社員が自分がやりますと申し出たという。そして代わるがわるに中性子の飛び交う事故の現場に入り、大量の放射能を浴びつつ写真を撮り、配管に穴をあけ、ドレイン管を取りつけ、ポンプを据え付けていった。

 この人たちが限界ぎりぎりまで被曝しながら作業を進めた結果、臨界反応は翌朝の6時15分、ようやく停止した。事故の発生から19時間45分後である。 

 現場に働く人びとの自らの危険を顧みない責任感と犠牲的精神に、私は胸をうたれる。

(小言航兵衛、99.10.21加筆/99.10.20) 

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